他人への評価は、実は自分への評価 | |
2013年7月18日 1時43分の記事 | |
今回の出雲の旅についての詳細は、明日以降アップすることにして、今回は今回の旅で得た気づきを忘れないうちにメモって置きたいと思います。 もっとも印象的だったのは、出雲大社の境内でリーディングしたときに得られた言葉に関係してきます。
それは、かつて出雲の地では、人が人を敬っていたのに対して、いつの頃からか人は、祖先神を敬うようになったのだということです。 宗教の発端というのは、いわゆる教祖様になりたい人と、教祖様にあこがれる人の2種類の人間から成立してきますが、 面白いのは、教祖様の発言というのは、どこか上から目線のことが多いということです。 私は、宗教は別に悪いとは思いませんが、自分が何らかの宗教に属したいとは、これっぽっちも思いません。 むしろ人を評価するタイプの人に二元性の最たるものを感じます。 地球がアセンションした!などとは到底断言できるものではありませんが、もし本当にそうなら、光、闇など二元性の最たる表現など出てきませんし、他人を自分の鏡として見たときに相手の中に自分自身の持つ宗教性などを具現化することなど、ないでしょう。 わかりやすくいうと、この世の中では、他人は自分の鏡ですから、他人の中に宗教性、闇の部分をみる人は、それはとりもなおさず、自分自身の宗教性、闇の部分をみているに等しいことになります。 皆様、応援の方、よろしくお願いします ↓ポチッとお願いします(^0^)/) 最終編集日時:2014年7月31日 18時39分 | |
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