くる天 |
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プロフィール |
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板垣英憲 さん |
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 |
地域:埼玉県 |
性別:男性 |
ジャンル:ニュース 政治・経済 |
ブログの説明: 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速報する。板垣英憲の過去著書も連載します。*定期購読月額1000円
板垣英憲マスコミ事務所
http://www.a-eiken.com |
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【拙著】『総理大臣 小沢一郎』(2007年11月10日刊) 第2章 新しい「絆」を構築し、「結」を蘇生させる 戦後の厚生官僚が目指した北欧型高度福祉国家 |
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【拙著】『総理大臣 小沢一郎』(2007年11月10日刊)
第2章 新しい「絆」を構築し、「結」を蘇生させる
戦後の厚生官僚が目指した北欧型高度福祉国家
戦後日本の厚生官僚の多くは、北欧の高度福祉国家、スウェーデン、デンマークを目指して所得保障・医療・福祉政策の充実に努めてきた。戦争により廃墟と化した東京、上野公園での生活を余儀なくされた浮浪者や孤児たちの姿を見て、日本再建と理想国家づくりを志した。 政府および自民党は、昭和三十四年(一九五九)四月に国民年金法を、昭和三十六年(一九六一)四月には健康保険法を制定し、国民皆年金、国民皆保険制度を導入した。また昭和三十八年(一九六三)七月一日に老人福祉法を制定し、日本の法体系のなかに初めて「老人」という言葉が、法律用語として規定されたのであった。 |
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[カテゴリ:『総理大臣 小沢一郎』(2007年11月10日刊)] [コメント (0)] |
5月3日「憲法記念日」は同時に「皇室典範の施行日」でもある。いま日本は「皇統の危機」にあり、喫緊の優先課題は、「憲法改正」ではなく、国民の総意に基づく「皇統」の「皇室典範改正」が先である |
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5月3日「憲法記念日」は同時に「皇室典範の施行日」でもある。いま日本は「皇統の危機」にあり、喫緊の優先課題は、「憲法改正」ではなく、国民の総意に基づく「皇統」の「皇室典範改正」が先である
◆〔特別情報1〕 TBSは5月3日、「各地で憲法集会 憲法改正めぐり岸田総理『選択肢を示すことは政治の責任』」という見出しで次のように報道した。 「憲法記念日のきょう、各地で集会が行われました。岸田総理は憲法改正について、“先送り出来ない重要な課題だ”と訴えました。 岸田総理は憲法改正を目指す団体の集会にビデオメッセージを寄せ、「憲法改正は先送りできない重要な課題であり、国民に選択肢を示すことは政治の責任だ」と国会での積極的な議論に期待を寄せました。一方、都内の別の場所では憲法改正に反対する集会が開かれました」 自民党には「現行憲法の自主的改正」との結党以来の「党是」があり、それを受けて岸田首相の発言は致し方ない。とはいえ、いまの日本の現状からいって待ったなしの優先順位はそこではない。1947年(昭和22年)5月3日、昭和憲法と同時に「皇室典範」も施行された。つまり5月3日は、「憲法記念日」であると同時に「現行皇室典範の施行日」でもある。そしていま日本は、「皇統の危機」の状況のなかにあり、急ぎこの問題について真剣に取り組まなければならない。喫緊の優先課題は、「憲法改正」ではなく、国民の総意に基づく「皇統」の「皇室典範改正」が先である。 |
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イスラエルが対イランにおいて負けを認めた場合、米国の敗北を意味するため、欧米メディアは誤魔化した内容を報じてきた。ただ英国系メディアはイランに向けたイスラエル対抗措置の攻撃目標を特定し暴露していた |
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イスラエルが対イランにおいて負けを認めた場合、米国の敗北を意味するため、欧米メディアは誤魔化した内容を報じてきた。ただ英国系メディアはイランに向けたイスラエル対抗措置の攻撃目標を特定し暴露していた
◆〔特別情報1〕 これは中東情勢に詳しい外国人記者からの特別情報である。 イランのイブラーヒーム・ライーシー大統領は4月22日にパキスタン訪問し、パキスタンのシャバズ・シャリフ首相らと会談した。4月22日付イスラーム共和国通信(IRNA)によると、今回の訪問に合わせ、両首脳も参加し、貿易、科学技術、農業、健康、文化、法律・司法などさまざまな分野の8つの協力文書への署名が行われたということだ。 隣国でありながら、パキスタンからは石油は採れないため、長引く財政難はエネルギー不足を直撃し、一日に何度も停電を繰り返し、国民の生活を困難なものにしてきた。そうしたなか、かつてイランとパキスタンは、イスラム教の国として兄弟国の関係にあった時期があり、石油の採れないパキスタンまでイランからパイプラインを敷いて天然ガスを送る計画が話し合いで決まっていた。実際にイランは、莫大な建設費を使って、パキスタンとの国境までパイプラインが建設されてきていた。 ところが、パキスタンで政権が変わったことから、米国からの圧力により、イランから石油やガスを輸入することが禁止されてしまった。 |
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