子どもの貧困対策 | |
[日本の政治] | |
2016年3月4日 23時51分の記事 | |
子ども貧困基金への寄付を募るためのPR費が2億円で、集まったお金が2千万円ということが問題になっています。 「子ども貧困基金、2億円使い寄付2千万円 民主・蓮舫氏『費用対効果悪い』」(2016年3月3日 朝日新聞)
ただ、そもそも政府が子ども貧困基金をつくると言うこと自体が、何よりの問題であるのは明らかです。なぜ、このような発想が出てきたか甚だ疑問です。将来を担う子どもの貧困を政府が直接関与しないというのは、国造りの観点からしてもおかしいことは明白です。このような政府では将来をつくることはできないでしょう。これは国造りの根幹のお話しです。 小林よしのり氏がこの施策を「冷酷無比」と表現していますが、その通りでしょう。発想が明らかにおかしいものと考えます。 保守思想の根幹は「情」です。そして、平和と国民の安寧を実現することです。これら以外にはありません。拙著『この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体』(2015年 ビジネス社)でも書きましたが、安倍政権は保守政権ではありません。それは、右翼革命政権であって、全体のことは考えていないものと考えます。したがって、その本質は、革命を起こすことが目的なのです。昨今の首相の言動を見てもそれは非常に明らかなものと考えます。そして、その革命志向・設計主義の本質はこれまで世界であった他の革命と同じで、最終的には破壊が目的になります。 この子どもの貧困の問題も、家計の問題も、労働環境の問題も、それらが生まれる背景はすべて同じです。社会基盤が壊れ始めているのですが、社会が壊れてしまっては、安保も経済もあったものではないでしょう。今回のこのような施策をすることは、そもそも他の政策と矛盾しているのであり、破綻しているのです。教育に関しても同じでしょう。 先日も申し上げましたが、GPIFの基金のいくらかを少子化対策や子どもの貧困問題に拠出するのは合理的なものと考えます。GPIFで損失が言われた額より遙かに少ない額で将来への確実な社会的投資となることは間違いありません。この世で富をつくり出す者は人間しかありません。その人をしっかりとケアすることは国にとって最大にして、最初の仕事でしょう。国民新党では議員のポケットマネーで貧困家庭に対して奨学金を出していました。政治家とは子どもの貧困に対してはまず身銭を切ってでも対応するくらいの気持ちがなければならないと思います。国民新党の議員と言っても欠点も多くある人もいましたが、この施策は良かったと思います。 子どもの貧困を放っておけば、それは当人達にとって何よりも不幸ですし、その上、貧困の連鎖、治安の悪化などに繋がる可能性が大きくなります。社会として国としてこのようなことが当然視野に入るべき事で、政府が対処しなくてはならない問題です。将来問題が顕在化したときに、警察の予算を上げるというのはそもそも本末転倒なものです。 社会というのは生命の摂理で動いています。その摂理において、弱者を包摂しないと最終的に全体が間違いなく崩壊します。このことは本ブログで何度も申し上げましたが、必ず強者であると思っている人々も滅んでいきます。弱者の社会的包摂は極めて重要な問題です。 思考に時間軸がない 子ども貧困基金なるものを施策として打ち出す考えには、明らかに時間軸がありません。時間軸がない思考は新自由主義者の特徴ですが、現政権も同じでしょう。政治においてその思考に時間軸がないのは、後継者が育っていない今の政界を見れば一目瞭然でしょう。政治において時間軸がない思考というのは、致命的です。そして、このことの本質は、いつまでも「自分」ということが中心の思考であり、それはナルシズムにすぎません。現政権の本質は「ナルシズム」にすぎないと考えます。 | |
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