どちらにしても政治生命は終わる | |
[日本の政治] | |
2019年11月28日 16時33分の記事 | |
官房長官の菅氏が、桜を見る会の招待者名簿について、電子データでも復元できないと述べています。 「菅氏『復元できないと聞いてる』 桜を見る会招待名簿の電子データ」(2019年11月28日 共同通信)
簡単にいえば、この招待者名簿の電子データを復元できなければ、菅氏はここで政治生命は終わることになると考えます。それは次のように考えるからです。そのデータはかなりの確度で存在していると考えますが、何よりもこのデータは、国民が政権をチェックするという民主主義の原則、そして政権が行っていると考えられている不正を解明するために、開示されなければななりません。つまり、この問題は、現状、日本の政治の根幹、制度の中心の問題なのであって、このデータはそもそも廃棄されてはならないものなのです。それをあくまでも復元できない、つまり開示できないというのなら、それは今後、この問題が菅氏に終生つきまとうことになります。それは日本の政治の根幹、制度の中心の問題について、国民に対して重要な資料・情報を開示しなかった官房長官という評価になり、政治生命はここでつきます。桜を見る会の招待者名簿というのは、不正がなくとも、そもそも国民にとって重要資料ですし、その判断ができない官房長官という評価についてはすでに決定しているのです。 ただ一方で、データが出てきたとしても、それは菅氏が虚偽の発言をして、国民を欺き、同時に国政の遅滞を招いたということになりますので、やはりそこで政治生命は終わります。つまり、どちらにしても一気に政治生命がつき、将来性がなくなるわけです。それほど、この桜を見る会とそれに関連する問題は、政治の根幹に関わる大きな問題なのです。 この招待者名簿を廃棄したことによって、もしくは廃棄した述べたことによって、菅氏の政治生命は決まったのです。 | |
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