2018年4月27日? | |
[日本の政治] | |
2018年4月1日 23時0分の記事 | |
2018年4月27日という日付には一体、どのような意味があるのでしょうか?
私がザ・フナイの連載や拙著『この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体』(2015年 ビジネス社)で指摘してきた2013年4月28日の日本の独立は、1952年4月28日以来、戦後の日本を規定してきた朝鮮戦争の構造が2013年4月27日に終焉したというものです。つまり1945年の敗戦から始まった占領期が1952年4月27日に終わり、その翌日の4月28日になされた日本の国際復帰は朝鮮戦争の構図に嵌め込まれるという形で生じたのです。この意味については本ブログ「日本にだまされた?」(2018年3月27日)で書きましたが、簡単にいうとそれは朝鮮戦争という構造をもって日本における戦前の構造(明治維新の構造)を温存させるというもので、それが日本の戦後構造の本質であるわけです。そして、それは日本の政治や経済界において主流を占め、同時にその構造は韓国にも存在してきたのです。日米安保もこの中で存在し、日本の国政というのも、実はこの東アジアという枠組みで規定されてきたと言うことなのです。 そして、ここで当然の疑問が湧きます。それは、戦後日本において戦前構造の温存を可能とさせた朝鮮半島分断(朝鮮戦争)という構造を、その構造がはじまるまで日本が統治下においていた朝鮮半島において、一体誰が仕掛けたのかと言うことです。それは言い換えれば、誰の利益になったのかということでもあります。このことは良く考えるべきことです。 さて、この日本の戦後構造=朝鮮戦争の構造が始まった1952年4月28日から60年(と364日23時間59分59秒)の最後となる2013年4月27日をもって、その構造が終わったと指摘してきました。今から5年前のことですが、必然的なこととしてその翌日の2013年4月28日から新しい状況が生まれるわけです。その第一弾は日露2+2でしたが、この一報を聞いた時はさすがに驚きました。戦後構造=朝鮮戦争の構造の終焉については、まさに2013年4月から言っていますが、日露2+2を始めそれから様々な新しい事象が実は生じ、それらを拙著やザ・フナイでの連載で書いてきたわけです。 この日露2+2は、それまで米ソ冷戦などがあった第二次世界大戦後の日本において到底考えられない動きでしたが、戦後構造が終わった日本において、それは日露平和条約に繋がる必然的な動きであったわけです。この日露2+2は第二次安倍政権でのことですが、これだけの動きですから当然、その準備はその政権が発足するはるか以前から進められていたわけです。このことも拙著や連載などで書いてきましたが、もちろんその動きの主軸は安倍政権ではありません。そのことを示す最も端的な証拠は、2013年4月の日露2+2から安倍政権は5年経っても日露関係を進めることができなかったことで明らかです。この5年というのが実はポイントなのですが、むしろ安倍政権にはこれまで指摘してきたとおり、それを進める気が全く無かったと考えますし、そもそも安倍自民党政権では進めるのが難しいものと考えます。安倍政権自体がその動きとは本質的に逆行する存在と考えますし、今の森友・財務省文書改ざん・国会答弁偽証問題でも明らかなように、内政もろくにできない政権が外交がまともにできるはずはないのです。そして、何よりも安倍自民党自体が現在の世界の流れにおいて逆行する存在であるからと考えます。 「2018年4月27日?」(2018年4月1日)へ続く。 | |
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