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「払暁の風」第五章 決意 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2012年6月3日 10時27分の記事


【時代小説発掘】
「払暁の風」第五章 決意
鮨廾賚



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


【梗概】: 
 南北朝末期、室町三代将軍足利義満の時代。美濃、尾張、伊勢三か国の守護土岐氏は、惣領康行の弟満貞が、自ら惣領にならんとする野望を抱いていた。主人公沼田又太郎は、満貞の信頼厚い家臣であり、土岐頼益の内室玉木の方に仕えている早希とは、互いに慕い合う関係にあった。だが、明徳元年(1390年)、土岐康行を討った頼益の台頭を恐れた満貞は、又太郎に土岐頼益の暗殺を命ずる。



【プロフィール】:
鮨廾賚此 昭和33年(1958)生まれ。平成22年(2010)第40回池内祥三文学奨励賞受賞。現在、新鷹会会員、歴史研究会会員、大衆文学研究会会員。


鮨廾賚困里海譴泙任虜酩福

秘太刀「一心の剣」
第一話はるいち−風烈廻り昼夜廻り同心朽木重四郎−  
雲、流るる
猿御前
信綱敗れる 
あかね空
中条流平法 
沼田法師
女忍び無情
帰心の風
「払暁の風」第一章 黒田の合戦
第二話 筑波ならひ−風烈廻り昼夜廻り同心朽木重四郎−
蝉丸無明剣(前編)
「払暁の風」第二章 合縁奇縁
「払暁の風」第三章 暗転
「払暁の風」第四章 亀裂



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【時代小説発掘】
「払暁の風」第五章 決意
鮨廾賚



一 玉木の方の思いやり

「お方様」
 早希は意を決して玉木の方へ呼びかけた。
 秋らしく空が、いつもよりも高く、遠く感じられる。
 筋雲が三本、さっと箒ではいたように並んでいた。
「部屋にばかりいては気が滅入ろう」
 玉木の方は、そう言って、
「庭など散策しようほどに、ついてたも」
 散歩に連れ出した。
 塞ぎがちな早希のことを心配して、自分のことにかこつけて気晴らしをさせよう、という思いやりが感じられて、
「はい」
 と、早希は素直に従ったのだが、やはり気になるのは、沼田又太郎のことだった。
 それは玉木の方にも分かったのだろう、
「いかがいたした。何ぞ、気になることでもあろうかの」
 言葉には優しさがこもっているように思われた。
 おそるおそる見上げると、玉木の方の目は柔らかく早希の方を見ていた。
「沼田又太郎のことかえ?」
「はい」
 早希は素直に頷いた。
「そなたの思いはいかがじゃ」
「わたくしは・・・・」
 後の言葉を言い淀んでいると、
「遠慮はいらぬ。たとえ命じられた嫁ぎ先が、我が家の家人とて、恋の道は別のもの」
 玉木の方はそう言って、歌を口ずさんだ。

   諸共に哀れといはずは人知れぬ 問わずがたりをわれのみやせむ

『新古今和歌集』にある歌である。
 作者は大納言俊賢の母で、互いに好き合った二人だが、好きだという想いを貴方が打ち明けてくれなければ、人知れず私だけが(好きだと)独り言を言って暮らすところでした、という意味である。
 玉木の方は、想いを打ち明けるというところを、婚儀の申込みを待つ早希に掛けて謳ったのである。申込みがなければ、長井掃部介とも結婚せず、この先一人でも生きていけるか、という謎も含んでいる。玉木の方は、早希の胸の内を正確に見抜いていたに違いない。
「・・・・」
 先年の上賀茂社への参詣以来、歌への興味が湧いてきて、早希も少しずつ習ってはいたのだが、まだそこまでは理解できなかった。歌の意味をそのまま理解しただけだった。
 それでも玉木の方は、がっかりした様子もなく、そのまま話を続けた。
「なにゆえに土岐満貞どのから話がないのかのう?」
 それは沼田又太郎の主への不信というよりも、自問するような問いだった。
「わたくしもそれが不思議でなりませぬ。鴨川で沼田さまは、確かにお約束くださいました」
「わらわもそなたの言葉に偽りがあるとは思うておらぬ」
「・・・・」
 早希は、その先の言葉がなかった。
 下を向いたまま、ただ悲しみに耐えるだけだった。
 土岐頼忠の命で屋敷を出ることは叶わなかった。それでも、又太郎への想いは変わらないし、信じてもいる。
 だが、ついに頼忠から、
 ――長井掃部介の元へ嫁ぐように。
 という命が、下ったのである。
 玉木の方も夫の頼益も、今少しときをいただきたい、と願ったが、
「満貞どのからは何の話もない。掃部介のことを思うとわしもいっそいじらしいのだ。早希のことになると、剛の者がまるで子供のようだ。あれほどに惚れられて、女子としても本望と申すものではないのか」
 再三再四、掃部介からの懇願に、ついに頼忠としても応えねばならないと思ったようである。
「気の毒だが、沼田又太郎のことは諦めるがよい。先方から話がなくては、我らもいかんともしがたい」
 ついには頼益からも絶望の言葉が漏れたらしい。
 南側に大きな庭がある。真ん中は砂地で、広くとってあるのは、土岐家の行事用である。家の子郎党の兵法の稽古に使うこともあるが、今日は誰もいなかった。
 その先が前栽になっている。塀に沿って四季折々の草花が植わっているのだ。そこから西の対の屋を経て厩に通じている。その手前に築山があって、そこにも木々が植わり、秋の草花が咲き誇っていた。大きな桜の木もあったが、いまは季節ではない。
 今日は特段の行事もなく、朝、掃除した箒の目が、まだきれいに残っていた。
 玉木の方は、ゆっくりと中央の砂地から前栽の方へ進んだ。
 同じ頃――。
 長井掃部介が厩に寄ってきた。
 遠乗りに出ようと思ったのだが、
「おや?」
 彼方に玉木の方と早希の姿が目に入った。
「長井さま」
 と声をかけてきた厩の者に、しっ、と強い口調で口を塞ぐと、二人への視線はそのままに、
「はて?」
 二人きりで歩いていることに、掃部介は疑念を抱いたのだ。
 玉木の方と早希は主従である。別に二人きりで歩いていても不自然ではないのだが、ここのところ玉木の方が、お付きの女と二人切りなのは見たことがない。以前は寵愛する早希と二人切りというのは、よく耳にもし目にもしたのだが、
「わしが嫁取りを願うてからは・・・・」
 なかったはずだ、と掃部介は思った。
 玉木の方は、自分と早希との婚儀を望んでいない。沼田又太郎とのことを知っているのは、明らかなのである。
 もしや、と感じた掃部介は、こっそりと二人に近づいていった。
「秋は良い。春と並んで草花がきれいな季節よの」
 早希の同意を求めつつ、玉木の方は、前栽の中を進んだ。
 やがて、小さな築山に出た。三つほどの山と谷を模した造りで、ここにも木々と合わせて草花が植わっている。
 すぐ近くに厩に続く西の対の屋の中門がある。
 玉木の方は声を落とした。
「近江の伊香郡磯野山城に磯野四郎兵衛という国人がいる」
「お方様」
「声が高い」
 玉木の方は早希をたしなめつつ、
「築山を愛でるように、わらわに従って歩くがよい」
「はい」
「そなたも知っていよう。四郎兵衛は」
「はい」
 早希は肯いた。
 磯野四郎兵衛は、磯野山村の領主である。玉木の方が信頼を寄せる国人で、四十からみの口の堅い人物だった。
 早希の実家は、坂田郡国友の里にある上坂氏である。坂田郡と伊香郡とは隣合っており、互いに行き来があった。早希も磯野四郎兵衛は知っている。
「彼の者を頼るが良い。すでに使いの者に文を預けた」
「京を離れるのは嫌でござります」
「聞き分けのないことを言うでない。そなたは知らぬであろうが、満貞どのの噂は様々入ってきている。満貞どののもとでは沼田又太郎もしっかりとした奉公はできまい。二人で四郎兵衛のもとへ行くのだ」
「お方様!」
 早希の顔色が輝いた。
「来月の十日に、大殿はこの屋敷を留守にする。京極どのに招かれたのじゃ」
 陰暦九月九日は、重陽の節句にあたる。例年宮中では、観菊の会を催し、翌日十日は、後朝(きぬぎぬ)の詩宴を設けていた。そのため頼忠は、土岐氏の惣領として将軍義満に従って参内することとなる。
 だがそれは、九日の観菊の会のみである。翌日の詩宴への参加は、幕府の要人に限られているため、頼忠は参内しない。侍所でもないため、警備とかの用務も免除されていた。そのため頼忠は、飛騨国の守護京極高秀の観菊の宴に招かれ、そちらに参加することにしたのだという。
 京極高秀からの招待は、観菊の宴ということだが、それは口実である。高秀は、将軍の命を受けて頼忠と協力してともに土岐康行を討った。その慰労の宴を征討に従った将士と共に開こうというのである。以前に頼忠主催で慰労の宴を持ち、高秀たちを招待したことがある。十日はどちらかというと、そのお返しの意味合いが強い。
 ちなみに京極家は、頼益の内室玉木の方の実家だが、惣領の高秀と直接の血縁はない。玉木の方は京極家の庶流の出であった。
「その日大殿は、かなりの郎党を従えて出るはず。夜陰に紛れて二人で近江へ逃れるが良い。後は全て四郎兵衛に任せれば良い。若狭国の沼田どのの御本家との渡りをつけてくれるはずじゃ」
 又太郎の家は、若狭国の沼田家の分流である。若狭国の守護は、一色左京大夫だが、管領斯波氏につながっている。その伝手をたどれば決して悪いようにはならないだろう、というのが玉木の方の言葉だった。
「はい」
「そなたが居なくなった後の屋敷内のことは、わらわに任せておくがよい」
 玉木の方の言葉を聞いて、早希の顔は、愁眉を開いたように晴れやかだった。


二 罠

 三日後――。
「いかがであった?」
 そう問うたのは、長井掃部介である。
 目前には家人が控えている。
 ここは長井掃部介の屋敷の中で、土岐頼忠邸の隣になる。この時代の家臣は、主人の邸地の中か近くに屋敷を構えるのが一般的であった。
「やはり、来月の十日にこっそりと邸を出るようで」
 そう応えたのは、掃部介の家人弓場彦一という者である。三十過ぎの世智に長けた男で、長井家の執事の嫡男でもあった。背は高く、がっしとした体躯の割に髭は濃くない。女もてのする顔立ちをしている。
「早希さまの下女は、わしの言うことなら何でもききまするよ」
 と言って、彦一はにたりと笑った。
 先日、掃部介を早希にけしかけたとき彦一は、ちゃっかり下女とできてしまっていたのだ。
「ふふ。遊女よりもむっちりとした尻で・・・・」
「その話はよい」
 掃部介の一喝で、彦一は下卑た笑いを引っ込めた。
 あまり銭に縁のない彦一は、下女たちに手を出すしかないが、所領を持ち裕福な掃部介は、堂々と遊女を買える。掃部介は、武辺も女遊びも好きだと公言して憚らなかったが、早希との婚儀が、正式に進むようになってから女遊びの方は控えている。
 話がずれていきそうな気配に掃部介のひんしゅくを買ったと思ったのか、
「その下女から聞いたことですから間違いありませぬ」
 今度は媚びるように言った。
「先日の玉木の方の話は、半信半疑だったが、これではっきりした」
 おのれ、わしの忠義を何とする。女人の分際で浅はかな、という怒りがふつふつと胸の内に込み上げてきた。
 とはいえ、早希は先日のことがあってから、北の対の屋に居っぱなしで、玉木の方といっしょでなければ、出歩かなくなった。
 さてどうするか、と思案にくれていると、
「ところで、殿・・・・」
 彦一の問いかけに、
「何だ?」
 掃部介が彦一の顔を見ると、うっすらとした笑みを張り付かせている。
 この者がこのような顔つきをするときは、何か良からぬことを企んでいるときだ、と思いながら、
「なんぞ他に良い話でもあるか」
 余り期待もかけずに訊くと、
「土岐新次郎さまの家人から思いもかけぬ話を聞きましたぞ」
「ほう。何だ思いもかけぬ話とは・・・・」
 掃部介は興味を持った。話の続きを促す。
「渡辺源太郎の話では、このところ又太郎どのは、鬱々として一人楽しまぬ様子とか」
「聞いておる。おおかた土岐満貞どのが、早希との婚儀を進めてくれぬからであろう」
 なんだそんなことか、とややがっかりした。
「それがしもそう思うておりました。ところがでござる。わけは別にあるのでござりますぞ」
「おおかた、慈恩どのが京を去って、兵法修行ができないからではないのか」
「そうかも知れませぬ。さりながら、土岐満貞さまが頼益さまに刺客を差し向けるという話は・・・・」
「なにっ! 真か?」
 掃部介には初耳であった。
「あくまでも新次郎さまの家人から聞いた話にござります。ですが、新次郎さまは、その話を又太郎どのに確かめたとか」
「ふむ。それで」
「又太郎どのは、肯いませなんだが、言葉の後ろがかすれたとか」
「ふうむ」
 掃部介は思わず考え込んでしまった。
 又太郎は、腰抜けで卑怯者ではあるが、根は正直な男である。土岐満貞は、小心者だが野心家である。将軍や幕府の宿老たちから見放されたいま、返って何かとんでもないことをしでかさないとも限らない。
 あり得るかも知れぬ、と掃部介は思った。
「沼田又太郎こそ刺客と思われまする」
 彦一は、そこのところを強調したかったようだ。
「はっはっは」
 とたんに掃部介は大笑した。 
「それはあるまい。あの卑怯者を満貞どのが信用するわけがない」
「そうでござりましょうか」
 彦一はまだ未練がありそうだったが、仮にそうだとしても、もし暗殺に失敗して捕らえられれば、満貞が命じたと世間に公表するようなものである。
「いくら追い詰められたとはいえ、そのような浅はかなことを図るはずがない。沼田又太郎、いや満貞の家人ではなかろう」
 掃部介は断定すると、
「だが良いことを聞いたぞ。これは、再び手柄を立てる良い折りかもしれぬ」
 彦一に向かって、にやりと笑った。
「殿を刺客から守れば、いかに玉木の方とは申せ、向後はわしの邪魔立てはすまい」
「満貞どのの身内でないとすれば何者が?」
「分からぬ」
「武辺優れた牢人。あるいは南朝に縁のある者。もしや異形の者どもでは・・・・」
 異形の者とは、不思議な術を使う者たちのことである。まだ伊賀や甲賀の忍びの術は発達していない。
「武辺ならわしにも覚えがある」
「御意の通りでござる」
「ふふふ、刺客が何者か分からぬが、燻り出す良い手だてを思いついたわ」
 そう言って掃部介は、来月十日は、土岐頼忠が郎党を伴って外出すること。それゆえ邸の警護が手薄になることを、
「さりげなく満貞どのの家人に吹き込むのだ」
 と、彦一に命じた。
「昨年までは、御所様に従い満貞どのが参内しておったのじゃ。悔しいことであろう。腹の中が見えるようだわい」
 掃部介は、愉快そうに言った。
 九日に行われる宮中の重陽のお祝いには、将軍義満が諸大名を従えて参内する。大名は当然のことながら惣領か当主ということになる。土岐頼康亡き後土岐氏では、京都代官満貞が務めてきたのである。その名誉は、今年から頼忠に移ってしまった。満貞が悔しがって当然のことだ、という思いが、掃部介にはある。
「暗殺のためには、絶好の日だと流してやりましょうわい」
「頼むぞ。あくまでもさりげなくぞ。刺客が現れれば、我らが待ち伏せして捕らえてやろうわい。うふふ」
 掃部介はこらえきれなくなって笑みがこぼれた。
「捕らえて、満貞どのが命じた、と吐かせれば、満貞どのの没落は必定。さればじゃ。我が殿が、尾張国守護に任じられるかもしれぬぞ」
「そうなると殿の覚えはさらに目出度くなりまするなあ」
 そう言って、彦一もにたりと笑った。
「土岐池田家の隆盛が目に浮かぶようだわい」
「それがしには、間抜けな刺客の末路が、目に浮かぶようでござる」
「ところで、そなたにもう一つ頼みがある」
 掃部介の声が改まった。彦一も笑いを消して、はっと応じた。
「その日早希は、邸を出て必ずや又太郎と落ち合うはず。二人して京から逐電するつもりであろう。わしは刺客の方を退治するゆえ、そなたは早希の後をつけて、又太郎とどこで落ち合うか確かめて欲しいのだ」
「承知仕りました」
「又太郎と一騎打ちと思うたが、卑怯者と正々堂々と戦うこともあるまい。我が池田の軍勢で取り巻いてやる」
 掃部介は怒りを浮かべて言った。
「新次郎どのは、又太郎どのに『土岐の惣領は、頼忠さまと決まり、いずれは頼益さまに譲られる』と仰せになったとか。我ら池田家は土岐氏の惣領でござりまする」
「当たり前ではないか」
 掃部介と彦一は、顔を見合わせてからからと大笑した。


三 訪問者

 又太郎の京の屋敷は姉小路にあるが、新次郎の屋敷などと違って大きなものではない。主屋と侍部屋、下人部屋と厩を設けた小さなものである。といっても、土地は十間四方もある。四条、五条ほどではないが、町屋の多いこの辺りでは大きな方だった。
 もともとは、満貞の邸の近くに住まうはずだったのが、ちょうど手頃な土地がなかったために、やむなく若狭の沼田本家の肝いりでこの地に屋敷を構えたのだった。又太郎の父の代である。だから、近くに住まうのは満貞ではなく頼遠の屋敷、といった方が正確だろうか。
 土岐氏の惣領は、頼遠、頼康と続いて康行が後を継いだ。本来ならば康行に仕えるのが順当なのだが、頼康の命で又太郎の父が、満貞に仕えることになったという経緯がある。 惣領康行は、所領の統治、弟の満貞は、京の代官として幕府との折衝に当たる、というのが頼康の描いた構想だったが、戦に心得のある者は、ほとんど康行に従ってしまったのである。そのため、又太郎の父は、御辺しかおらぬ、と頼康に口説かれて、満貞に仕えることとなったのである。
 三年前、又太郎が家督を継ぐときに、初めて父はその話をし、
「そういうわけでな。満貞どのに仕えることとなったが、ひとたび決したことゆえ、向後は忠義をつくせ」
 と、厳命したのだった。
 しわの多い日焼けした顔の中で、かっと鋭く光ったそのときの父の目ととともに、又太郎にとっては、忘れることのできない言葉だった。
 月が変わって陰暦八月の朔日。
 その日、二人の人物が又太郎の屋敷を訪ねてきた。
 二人のうち一人は、主の満貞自身である。
 夕方、いわゆる逢魔が時のこと――。
「殿・・・・!」
 渡辺源太郎が、転げるように知らせてきた。
「伊予守さまがお見えでござりまする」
「何! 殿が」 
 叫び返したときには、すでに満貞は、部屋の引き戸を開けていた。
「殿!」
 驚く又太郎に、
「静かにせい」
 と制して、
「そなたらは外で待っておれ」
 後ろから入ろうとする、供回りの者を遠ざけた。
「又太郎と二人きりで話がしたいのだ」
 満貞は、源太郎にも顎をしゃくって、出て行くように命じた。
 今日の満貞は、町屋が多いことを意識してか薄い青純色の地味な直垂姿に、ごく軽い供回りであった。後で源太郎に聞いたところでは、馬にも乗らず徒立ちで、目深に笠を被って顔を隠していたという。密かに又太郎の屋敷を訪れたのは明らかだった。
 満貞は二人きりになると、
「二郎のことはどうなっておる」
 不機嫌さを滲ませて詰るように問うた。
 満貞から土岐頼益の暗殺を命じられて、すでに三月近くが過ぎている。
 その間又太郎は、悩み苦しみぬいた。暗殺しなければ早希との婚儀も認めぬ、とも言われている。そのことを長井掃部介にも話せなかったばかりに、腰抜けよ、卑怯者よ、と罵られ、せっかく信頼しあった戦場の友を失うことにもなった。
 ばかりか、長年の親友である土岐新次郎の友情も失いつつある。又太郎にとっては、憎みてもあまりある主命なのだった。
 だが口から出た言葉は、別なものだった。
「申し訳ありませぬ」
「我が命を忘れたわけではあるまいの」
「そのようなことは断じてありませぬ」
「では、なにゆえに果たせぬ」
「事が事なだけに難渋しておりまする」
「難しいと申すか」
「はっ。池田二郎どのは、近頃、屋敷から外に出ることも少なく、折りがござりませぬ」「屋敷には物見を出しておるのか?」
「そ、それは・・・・」
 又太郎はその先を言い淀んだ。
 頼益が屋敷から出ることは少ない。屋敷の中に居れば、又太郎が一人で襲うことは無理である。そのことは承知していて、特に物見は出していなかった。
 いや違う、と又太郎は思った。主命そのものを果たせるかどうかに逡巡しているのである。物見など出せるわけがない。
「出しておりませぬ」
「なに! そなた、またわしから逃げる気か」
 満貞は、自らの問いに対する又太郎の返事に激怒した。やる気がない、と感じたのかもしれない。
「えっ・・・・。逃げる・・・・?」
 その言葉が、だしぬけのように思われて、満貞の言っていることが、又太郎は良く飲み込めなかった。
 満貞は、そんな又太郎をしばらくじっと見つめていた。分からぬか、と問うているようでもあった。
 ややあって満貞は、その意味するところを語った。
「黒田の合戦の折がそうだったの。わしの側近くに居りながら、一人敵を追う振りをして本陣から逃げおった」
「そ、それは違いまする」
「何が違う」
「血気に逸って敵を追ったは真なれど、逃げたわけではありませぬ」
「結果は同じことではないか」
「殿・・・・」
「良いか。そなたはわしの馬廻りなのじゃ。わしあってのそなたぞ。此度のこともそうじゃ。兄者が没落したいま二郎の家が、このまま惣領家になるならば、向後我らは分流となって肩身が狭くなろうが」
「そ、それは・・・・」
 兄者すなわち土岐康行を没落させたのは、満貞自身ではないか。満貞自身が己の野心を成就するためにとった軽率な行動が、将軍義満に利用されることになったのである。
 それゆえに土岐氏は、伊勢国の守護職を失い、あれほどの堅い結束を誇った〈桔梗一揆〉が、いまや四分五裂の状態なのである。そのことは、土岐氏の良識ある一族、家人ばかりではなく、都雀も噂しあっていることではないのか。それとも、自身に都合の悪いそんな話は、耳に入っていないとでもいうのだろうか。
 満貞の余りにも身勝手な理屈に、又太郎は、返す言葉がなかった。
 又太郎の沈黙に、満貞は己の言を理解したと見たか、
「良いな。事を急げよ。わしも度々は来れぬ。世人の目もあるでな」
 一方的に言いつけると、
「おお、そうじゃ。十日じゃが、土岐頼忠は、佐々木どのに招かれて京極邸とか。留守は頼益とわずかな手勢と聞いたぞ」
 一人ごとのように言い捨てて、仏頂面の満貞は、さっさと帰って行った。
 佐々木どのとは、京極高秀のことである。京極氏は佐々木が本姓であることはすでに述べた。
(殿は正気を失われたか・・・・)
 満貞を見送りながら、又太郎は暗然とする思いだった。「十日」という言葉が、ずっしりと又太郎に重くのしかかった。
(それは、十日に暗殺を決行しろ、という暗示なのだろうか・・・・)
「殿。まさに逢魔が時・・・・」
 又太郎を気遣って源太郎が、側に寄ってきたことさえ、又太郎は気付かなかった。

 そしてもう一人は下人で、土岐池田家の奥に仕える三郎次郎という者だった。皺の深い赤黒い顔で、六十は過ぎていようか、という老爺だったが、以外と足腰はしっかりとしていた。
 三郎次郎は、夜遅く亥の刻(午後十時)頃にこっそりと忍ぶようにやってきた。かすれた紺地の水干姿に、潰れたような萎え烏帽子を被った、みすぼらしい格好だった。
 そのうえ、池田家の使い、と名乗らずに、いきなり、
「沼田又太郎さまにお目通りを」
 と、言ったものだから、
「訪ねてくる家を間違えたのではないか」
 家人たちが取り違えて、始めは真面目に応対しなかったようだ。
 だが、よくよく話しを聞くと、家人の誤りと知れて、慌てて又太郎に取り次いできたのだった。
 話を聞いた後で、あれでは池田家の使い、とは名乗れまい、とは又太郎の述懐である。「いかがなされます。殿」
 満貞が帰ってからずっと源太郎は、又太郎の側に張り付くように従っている。
 そんな源太郎を相手に、満貞の命を果たすにはどうすれば良いか、ずっと相談していたのだが、むろん良い策は得られなかった。
「お会いなされませ。池田家の内情を知る良い折りかと思われまする」
「うむ」
 確かに夜分のことではある。少し迷ったが意を決して、
「わけがあるに相違ない。庭に回せ」
 と指示して、三郎次郎という者と中庭で会った。中庭といっても、植栽のない土ばかりの粗末なものである。
 三郎次郎は、土岐頼益に仕える下人だと名乗った後で、驚くべきことを口にした。
「早希さまからの内密の伝言を預かってきましただ」


四 又太郎の決意

「なに!」
 又太郎はすぐに人払いを命じた。
「これで良いか」
「・・・・」
 だが三郎次郎は、黙したままである。
「どうした?」
 又太郎の問いに、三郎次郎は、渡辺源太郎を指さした。
「お、おのれは!」
 怒る源太郎を宥めて又太郎は、しばらく座を外すように命じた。
「これでそなたと二人きりじゃ。早希はなんと言付けてきたのだ」
 声を落とした又太郎は、急き込むように尋ねた。
 気がつけば自分も庭に出て、しゃがみ込んでいた。三郎次郎と同じ目線になっている。「へい・・・・」
 三郎次郎はやっと話し出した。
 地下の者らしくまだるっこい口ぶりだったが、自身も元は近江国の産で、その縁から日頃早希に懇意にしてもらっているという。そのため、
「早希さまのために何とかお力になりたいと思いましただ」
 と、木訥ながら力強く言った。
 そのようなことはどうでも良い。肝心の用件とは何なのだ、と又太郎は、心の内でいらいらとしながらも、顔は平静を装って、三郎次郎の言葉に耳を傾けた。
「早希さまは、お人柄の明るい、優しい女子でござります」
 人柄から生い立ち、三郎次郎との出会い、さらには頼益の北の方にいかに目をかけてもらっているか、まで話は続いた。
 半刻(一時間)ほど経って、ようやく一段落ついた。
「で、早希は何と言っているのだ」
「へい。実は・・・・」
 三郎次郎が、預かった伝言によると、玉木の方と頼益は、頼忠の命を拒みきれず、やむなく掃部介との婚儀を了承した。双方の実家に使いが走り、その旨が伝えられ、婚儀の日取りが決まったのだという。早希の実家は、始め又太郎とのことがあるので、返事を渋ったようだが、主君の命では拒みきれなかったようである。
 すでに早希は、外出を禁じられていたが、いよいよ婚礼のための準備に入るらしい。
(いよいよ恐れていたことが・・・・)
 又太郎は、胸が塞がる思いだった。
 満貞からの命を受けて悶々としている間に、早希と掃部介とのことは、のっぴきならないところまで進んでいたのである。又太郎は、己の非力を恨めしく思ったが、だからといってどうしようもないのも事実だった。
 このままでは早希は、掃部介といっしょになるほかはない。だが、どうしても又太郎のことが忘れられず、
「今月の十日の夜、お屋敷に忍んで来て欲しいとのことでがす」
「なに!?」
「お屋敷から連れて逃げて欲しい、ということでがす」
「なんと!」
 十日は頼忠が外出をするらしい。家人の多くが、頼忠に従うことから屋敷内の人数が少なくなるという。裏の戸をこっそりと開けておくから、そこから忍んで来て欲しい、というのだ。
 さらにその夜、口実を設けて他の侍女を遠ざけて一人で待っている、部屋の灯りを点けておくゆえ、その灯りを頼りに訪ねてきて欲しい、ということだった。
(連れて逃げる)
 又太郎は、その言葉を胸の内で何度も反芻した。
(そこまで早希を追い込んでいたのか)
 又太郎の胸に悔恨が込み上げてきた。
 すまない、という詫びの言葉を心の中で繰り返すうちに、ふと又太郎の脳裏にある疑念が湧いた。
(今月の十日。さきほど確か殿もそのような・・・・)
 満貞の帰り際の言葉が蘇った。
「その夜、二郎どのはいかがいたすのだ?」
 土岐頼益のことが頭をかすめた。
「へい。その日は、お方様と留守居と聞きましただ」
 その一言で又太郎の早希へのすまないという思いが中断した。
「そうか。ご苦労だった。早希にこっそりと伝えてくれ。その日必ず屋敷に参るとな。だが、良いな。他言するでないぞ」
「へい」
 又太郎は、噛んで含めるように言うと、砂金の入った小さな袋を褒美に渡して、早々に三郎次郎を屋敷に返した。
「どのような用件でありましたな」
 三郎次郎を帰すとすぐに源太郎が顔を出した。顔には不審の色がある。
「何でもない。早希が、いよいよ長井どのの嫁になるそうだ」
「それで良いのでござりまするか、殿。黙って指を咥えて見ているご所存か」
 冷静な又太郎の言に、返って源太郎の方が、怒りを込めて又太郎に詰め寄ってきた。
「だからといってどうせいと言うのだ」
 又太郎の怒気を含んだ言葉は、予期していなかったのだろう。源太郎はびくりとしたように、
「それがしは心配してござる」
 と、小さい声になった。
「そなたも分かっておろうが。気に入らなければ、これから武器をとって池田屋敷を取り巻くか」
「め、滅相もない」
 又太郎のあまりの剣幕に、源太郎は、それ以上のことは言わなかった。いや、言えなかったといった方が正しかっただろうか。
「しかたがないではないか」
 又太郎は、声を落として諦めるように呟いた。
 そんな主を見て源太郎は、肩を落としてその場を去った。
 寝所に入った又太郎は、なかなか寝付けなかった。
 灯りを消した組み入れ天井に、鴨川で見た健康的な早希の白い脛が幻影となってちらついている。
「やと。いや、早希・・・・」
 又太郎は天井の幻影に呼びかけた。
 何よりも、明るく屈託のない性格、そしてあたかもそれを具現したかのような肢体、それは野兎の伸びやかさを思わせるものだった。ともに笑い、互いに喜んだ。いっしょに居て又太郎は、ときを忘れ、世俗の憂さを忘れた。そんな早希は、何にも代え難いものである。早希も又太郎を慕ってくれていた。双方ともに結ばれたい気持ちはいっしょのはずである。
「早希・・・・」
 再び呼びかけるように呟いて、早希との楽しい思い出を想像しようとしたとき、突然天井は、満貞の極薄そうな幻影に変わった。
「殿は変わってしまった。頼康どのが亡くなって後、まるで魔に魅入られたかのように実の兄を讒言し、一族の者を悪し様に言うようになった」
 いまでは義満への出仕も思うに任せないらしい。そんな中で、ひたすら又太郎の成功を信じて、頼益暗殺を期待する姿はおぞましくもあり哀れでもあった。仮に頼益を暗殺しても、土岐家の惣領職が、満貞に転がり込んでくるとは思えなかった。すでに一族の中で満貞の評判は地に落ちている。
 だが、それでも主であり恩義がある。故郷の美濃には老いた父と母もいるのである。
「殿・・・・」
 又太郎は、小さく呟いてみた。
 そのときである。ふいに掃部介のあのいかつい顔が蘇ってきた。鎌倉武士を思わせるような剛直で真っ直ぐな性格、荒々しい気質だが、それゆえに早希を想う気持ちは、本物ではないかとも思われるのだった。
 何よりも本物でなければ、
 ――他の褒美に代えて早希を嫁に。
 とは、言わないであろう。
 鴨川で会ったとき、掃部介は、心の底から怒っていた。おそらく主を通して嫁取りの話を進めたならば、むしろ逆に快く喜んでくれたに違いない。自分はそんな友も裏切ってしまったのだろうか。
 情けない、とつくづく思った。とはいえ、主命は断れない。
(ならばどうするのだ)
 又太郎が早希のことを思い、堂々巡りをしながら思案していると、掃部介の早希に対する一途な想いは、間違いなく本物だ、ということに思い至った。
(であればこそ、掃部介は、向後も早希を粗略には扱わないのではないか)
 又太郎には、脳裏に閃くものがあった。
「そうだ。それがしが身を引けばよいのだ」
 頼益を暗殺してその場で腹を切ろう。そうすれば全てが丸く収まるのだ。頼益暗殺に仮に失敗したとしても、己が腹を切ることによって満貞が、故郷の父と母たちを罪に問うことはあるまい。そして何よりも、自分がいなければ早希は、掃部介と結ばれる。
 長井家は、いまや土岐氏の惣領となったかつての土岐池田家の有力な家人である。そのうえ掃部介は、頼益の側近でもある。何事もなければ頼益は、次の土岐氏の惣領を約束されているのである。掃部介の前途は、決して暗くない。むしろ明るいといった方がよいだろう。それゆえ、これから後早希が不幸になることはあるまい、と思われた。
「幸いに十日の夜は、頼忠どのに従って多くの家人が屋敷を出るという。ために、宿直(とのい)の者も少ないに違いない。そのうえ、早希が裏口の戸をこっそりと開けてくれるのだ。これは千載一遇の好機ではないか」
 又太郎は意を決した。
 


五 絶望

 その夜、早希は身の回りの整理を終えて、沼田又太郎が迎えに来てくれるのをいまや遅しと待っていた。
 秋の虫が鳴いている。あの虫たちは、ああして良い声で鳴いて雌を呼び寄せ、契った後に子を残して死んでいく。今年の秋という季節のみを生きるのである。
 早希は、せわしなく鳴く秋の虫が、今日は堪らなく愛おしく感じられるのだった。
「今宵は早希と二人きりでつもる話がしたい。そなたたちは、すまぬが今宵のみ隣の部屋で寝ておくれ」
 そう言って玉木の方は、早希を一人にしてくれた。潮時を見て、
「この部屋で待つがよい」
 と言って、玉木の方も部屋を出て行った。
「よいか。灯りを消してはならぬぞ。外から見える影を頼りに、そなたを確かめにくるはずゆえな」
 玉木の方は念を押した。そのことも三郎次郎に言付けてあることだった。
 虫の鳴き声を聞きながら早希は、歌を一首思いだしていた。

 蟲の音もながき夜飽かぬふるさとに なほ思ひそふ松風ぞ吹く

 藤原家隆朝臣の『新古今和歌集』にある四七三番の歌である。
 この場に合うかどうか分からないが、歌を思い浮かべること自体が、玉木の方の薫陶の賜であろう。早希は、素直に玉木の方に感謝した。
 燭に照らされて、部屋の中が丸く明るい。その明るさの及ぶ範囲に調度とてなく、何かがらんとした感じであった。分に過ぎた灯りだけが、早希の影を映していた。長く伸びた影が、ときおり入ってくる風のせいだろうか、ちらちらと揺れる。
 持ち物といっても何もない。身一つである。ただ一つ、婆娑羅絵を描いた扇を大事に胸にしまってある。それは三年前、沼田又太郎との機縁となったときのものである。
 時期的に扇を使うことはないが、又太郎との出会いのきっかけになった物である。又太郎が迎えに来てくれるのは、もう少し先かもしれない。早希は、もう一度見たいと思って、大切にしまっていた扇を胸から出した。あのときのことを思い出すように、早希は、そっと扇を開いてみた。
 部屋の明かりの中に浮き出た婆娑羅絵には、二人の武者が描き込まれてある。その一騎打ちは、実際にあった話である。
 観応二年(一三五一)の年明け早々、足利直義方の桃井直常と足利尊氏方の高師直軍が、四条の河原で激突した。後世、観応の擾乱と呼ばれる、足利尊氏、直義兄弟の覇権争いである。
 膠着状態に陥った両軍から『太平記』によると、秋山光政と阿保忠実の二人が名乗りをあげて勝負したという。
 秋山光政は、七尺を超える体躯に一丈の樫の木で作った八角棒を持っていた。かたや阿保忠実は、四尺六寸の大太刀をかざしていた。
 馬上で三合打ち合っても勝負は決せず、互いの得物が使えなくなったので引き上げたが、その勇壮な戦いは、都で大変な評判を呼び、扇に描いた絵が飛ぶように売れたのである。絵馬も好評で、婆娑羅絵と呼ばれて大流行した。
 早希も乱世を生きる女である。いつかはこのような勇者に縁づきたい、と思ったのである。
(もし、沼田又太郎さまを知る前に、長井掃部介さまから申し込まれていたら、わたしはどうしたであろうか)
 申し出を素直に受け入れていたかも知れない。
「でも・・・・」
 早希は首を振った。今は沼田又太郎しか想えないのだった。
 人の世の男と女の縁とは不思議なものである。出会いとは、人の心のままにはならぬものらしい。かつて、最も大きな権力を持ちながら、鴨川の流れと僧兵と賽の目を自分の意にならぬものとしてあげた上皇がいると聞いたことがある。
 人と人が自分の思うとおりに出会えるとしたら、本当に楽しいものだろうか。いや、返って煩わしくなるのではないだろうか。自分が会いたい人に会う分には楽しいかも知れないが、他人が会いたいときは、自分が会いたくなくても次から次へと会わなければならないのである。それゆえ人と人との出会いは、あらかじめ神仏が定めたものではないだろうか。
 そう考えるならば、人と人との出会いは、偶然ではなく、必然ということになる。
「わたしたちは、それを縁と呼ぶのでしょうか?」
 早希は、いつものように玉木の方に訊ねた。
「ほほ。早希の質問攻めが始まりましたね。そなたに歌を教えねばよかったかしら」
 笑いながら、知るということは問うということだ、と教えてくれた玉木の方は、いま目前にはいなかった。返ってきたのは沈黙みであった。
 知ることに興味を持ち始めた早希だった。そのことを教えてくれた玉木の方と別れるのは、辛いものがあった。
「良い主人に出会えた」
 と早希は、しみじみと思った。
 長井掃部介との婚儀が決まったとき、いっそのこと自死しようか、それとも屋敷を逃れて又太郎の元に飛び込もうかと思った。屋敷から出られず、このまま掃部介に添わなければならないかと思うと、おのが身と世の中を激しく恨みもしたのだった。だがそれももう少しの辛抱なのだ。
(お方様はわたしのことを分かってくだされた)
 それゆえ、こうして又太郎との逃避行を許してくれたのである。
「いつまでも恋しい殿御について行くが良い」
 それは餞の言葉だったろう。その言葉通りに、もう少し待てば、ずっと又太郎といっしょなのである。
 早希の胸に幸福感が広がる。
 これからの逃避行は、楽なものではないだろうが、磯野四郎兵衛はしっかりした人物である。決して悪いようにはならないだろう、という確信のようなものがある。四郎兵衛は早希も知っている人物なのだ。それに何よりも又太郎が側に居てくれる。早希に不安は全くなかった。不思議なくらいに、これからの未来を明るく前向きに考えていた。
 そのときである。母屋の方から騒がしい声が聞こえてきたのは。
「誰ぞ」
 と、呼ぼうとしてやめた。今日の旅立ちは、玉木の方以外には、三郎次郎以外には知らないことなのだ。
 だが騒ぎは、段々と大きくなってくる。
 早希は胸騒ぎを覚えた。不吉な予感が雨雲のように胸を覆い始めている。
「早希さま」
 自分を呼ぶ声が聞こえた。
「誰?」
「三郎次郎にございます」
 はっとして早希は、戸をほんの少し開けた。庭に三郎次郎と思しき影がうずくまっている。
 左右を見て、人が居ないことを確かめた早希は、すばやく三郎次郎を部屋へ招き入れた。小声で喋るように命じる。
「どうしたのです?」
「刺客でございます」
「刺客?」
 同じ言葉を繰り返して、はっと思った。
「もしや。もしや・・・・」
 沼田又太郎さまではないのですか、と問おうとして舌がもつれた。胸がどきどきとして思うように声がでない。
「裏門から入ったものと思われますで、おそらく・・・・」
 三郎次郎も又太郎の名を口にしなかった。
「そなたが使いしたお方ですね」
 早希は念を押した。
「へい。松明の火明かりに見たお顔は、確かに先日お使いを命じられた姉小路の若い殿でござりました」
 ああ、と早希は力が抜けた。
「早希さま!」
 三郎次郎が人を呼ぼうとするのを、
「お待ちなされ。人を呼んではなりませぬ」
 早希が気丈に制した。
「ですが・・・・」
「良いのです。だいたいのことは分かりました」
 殿の寝所近くから騒ぎは始まったのですね、と早希が問うと、三郎次郎はこくりと肯いた。
 又太郎が、頼益暗殺という主命を果たしたのだとぴいんときた。女の感であったろう。「そなたはもう戻りなさい。女の部屋に忍んだとあっては、後でどのようなお咎めを受けるかもしれません」
「早希さま・・・・」
 ためらう三郎次郎を、早希は半ば強引に部屋から出した。
「又太郎さま。早希はお恨み申し上げます」
 自分を連れて逃げることよりも、頼益を暗殺するという主命を選んだことが恨めしかった。
 主命を果たし、その足で自分を迎えに来る、と思わないでもなかったが、仮にそうなったとして、どうして磯野四郎兵衛のもとに逃げられるだろうか。四郎兵衛も喜んで迎えてくれようとは思われなかった。
 否。それ以上に自分の主である玉木の方を裏切ることになるではないか。そう思い至って早希は、思わず身震いした。
「わたしは犬畜生ではありませぬ」
 いかに恋しい男のなしたこととはいえ、主を裏切ることなど許されない。
 だが、だが、ああ、もしもこれから血刀を下げた沼田又太郎が、
「共に逃ぐるるぞ」
 と、この部屋に現れたらどうしよう。
 早希の心の内は千々に乱れた。
 表の方の騒ぎは益々大きくなっていく。風に乗って弓弦の鳴る音も聞こえてくる。
「もしや、又太郎様はお一人で・・・・」
 あり得ることである。又太郎の気性であれば、余の者を巻き込むことはしないであろう。そして、又太郎なれば必ず成就するであろう、と早希には思われた。何の根拠もないのに、なぜか早希にはそのような思われて仕方がなかった。確信と言い換えてもいいだろう。
 と同時に、又太郎が主満貞から頼益暗殺を命じられた、という噂がやはり本当であったかと思うと、早希は絶望としか言いようのない気持ちに支配されるのだった。
 ――忠義者よ。
 と、評判を取った又太郎である。
 そのことは早希にとって、嬉しいことではあっても、決して拒否すべきものではなかった。
「では、わたしは・・・・」
 早希は自分に問うていた。
 警護の手薄なことを知らせ、入りやすいように裏門のかんぬきも外した。玉木の方の情けとはいえその責任は、自分が取るべきものではないだろうか。今思えば、このような事態は、又太郎の気性から予測できたことではなかっただろうか。
 もし本当に頼益が暗殺されたのであれば、池田家の警護にとって、取り返しのつかない大失態である。
「お方様。殿。申し訳ござりませぬ。わたしは、身の幸せのみを考えた大馬鹿者にござります。又太郎様を好きになったのもわたしの責任でござりまする」
 激情のような感情が、早希の身体を貫いた。
「ですが、又太郎様をお慕い申したことを悔いてはおりませぬ」
 早希は近くにあったお守り用の小刀を抜くと、自らの喉を刺し貫いた。
「早まってはならぬ」
 戸ががらりと開いて、玉木の方が部屋に入ってきた。
「お方様・・・・」
「早希。何ということを・・・・」
「死んでお詫び申し上げまする」
 早希は、最後の一言を振り絞るように言うと、身体を一回ぶるっと震わせてそのまま息絶えた。目には涙が浮かんでいた。
「ああ。早希」
 玉木の方が早希の死体を抱き上げたとき、
「遅かったか」
 少し遅れて部屋に入ってきた頼益も無念の言葉を絞り出すように言った。
 外では弓場彦一が悲しそうな目をして一部始終を見ていた。二つの目から涙が流れている。








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