2018年4月1日 7時44分 |
おおいほうから |
『美の幾何学』1993/10版/中公新書/242 第二版への追記 * 44頁2行目「7角形の花っていうのはないね。」――これについては、桝本セツさんから御注意があった。アラゲノボタンというスンダ列島原産の花は、7弁である由である。それで、本文は「7角形の花っていうのは珍しいね。」とかえるべきでした。〔伏見康治〕 ・・・・ 追記2件は 文庫版2010‐285にも残されていて 頁数については それぞれのものが これは 追記あっての検索へのつながり と みることができるような 検索の仕方があれなのかもしれませんが “アラゲノボタン” 画像では 写真ではなく切手が あるいは 国花では? という程度で ひっかかりが ほとんど というのが あれ ・・・・ (同書)「第二版への追記」 もう1件ありますので 置きます * 72頁図、72〜73頁本文<p3m1とp31m>――この記号は、コクセター・モーザーの『不連続群の生成元と関係式』という簡にして要を得た本から、採用したものであるが、寺門龍一さん(茨城大学)の御注意によると、他の文献では、この記号は反対の意味に使われているようである。つまり、p3m1の方は、三つの相隣る三つ割り回転軸の作る三角形の各辺が鏡映線になっている場合であり、p31mの方は、二つの三つ割り軸を鏡映線が通らない場合である。〔伏見康治〕 『美の幾何学』1993/10版/中公新書/242 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ こちら 宣伝ですか? https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180331-00050115-yom-soci |
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2018年3月31日 9時6分 |
セイケイについて |
「プライド」は 自らを保てるくらい 自分を持ち上げるのには 無理があり 勘違いは ありえず また 勘違いではない(線)にしても 状況をつくるなどの 狙い 利用したいような何かにつきましても 関係無い 仕事(やお勉強など)で「あてはまる」点点におきましては 現場でも そのようにお伝えしており そうであるがゆえに 諸諸わたしがおこなうものごとではない ということ(も) それらを おこなわせる おこなわせようとすることで どうこう という面面につきましては (とうに)ジタイ ということで 早急に お引取りを あらためまして 「大きい」 膨大といいますより そこがなければ・・ ということで 感謝しております 昼 ちょい過ぎ それらがどうであれ 諸諸の提示にも 4.15 先に記入したほうを 続きに移動 |
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2018年3月29日 9時13分 |
とう |
26 13:15 札幌白石郵便局 26 17:21 中継 道央札幌郵便局 27 22:14 中継 東京北部郵便局 (28 新人ひとり)(4.2 もうひとり) 新たな人員 ということ と さほど広くはないスペースで・・ 専用とも限らず 限られた少量の大箱のほうは 素早い“スライドゲーム” メモ:Roll the Ball® - slide puzzle 『美の幾何学―天のたくらみ、人のたくみ』ハヤカワ文庫/2010/130あたり 中身は (必要な材料の確保から)制作 点検後投入 種類別にまとめて の 日日入れ替え カウント等等 毎日更新 修正方法等も(瞬時に)湧かせ すみやかな調整 期限内※に揃えて 要請のあった場に というようなことで ※ リスト紙に明記された数字は勿論なんですが(かなり)前倒しして 修正などがでないような仕上げをしておかないと作業場がまわらなくなる とどこおる したがって どんどん(スペースが)せまくなる・・(何人体制であろうと)(そこに来客などや)さらに (火災報知機点検での出入りも重なる など)というような 作業場独自の・・基準といいますか そのようになっていることの説明などを含め 6入室早早短時間で(詳細などの浸透は経験者や昨日出ていた方に引き継ぎ お任せして数時間別の階で仕事)※ 多く作りたい でも ごちゃごちゃしていると 苛苛 場は広く見渡せるように整頓されてなければ 気がすまない という性分にもとづいての 後先をみない物質移動 即行 数の把握を混乱させ (次の日は休み) 積む 積み続ける あらゆる絡みが 細やかな計算を要するような品揃えを遅らせ さらに すぐに片づけたい気質により 後ずさる(4.2だった) 工程初っ端のシワ寄せ発生(源) それも修正不可能のよう ・・気をつければ なんとかなる話ですが なぜか? 誤解? その言葉をいいわけに使用するのは困難すぎてあれ 28から作業工程開発途中でも効果あり が増え 仕上がりに影響を・・ uuuummmm 点検 修正なども増え・・・・ (作業時)(点検時の)甘さなどの 積み 重ね 発生するはずのない物事が・・ 要らない手間が・・ 諸諸タイトななか 状況変化をみての 遅めの告白(という迷惑) 今回は 仕方ないわけですが 入れ込むのはもちろん困難で あらためて といいますか 当然のこと の 確認として 考案者とは 針を使わない仕上げ という方向で一致 縫い針は 穴あけの道具でもなく扱いにくいため 使うのは別の物 (商品などの購入時にどのように見定めている?) そういうのははじくのでは 自分で 繋げないと 気泡に針を刺して空気を抜くという(新たな一人は上出来) そんなことに手間隙をかけられるような段階でもなく・・ 申告者も点検するも なぜか?その範囲には修正物が無いらしい →言及をかさね 4.5あたりからはそうでもなく対処をはじめられ 「たまたま無いのね」という同様フレーズは これまでに何度か ただ 売りの丁寧な仕上げ物が 激減 0に近づいてゆく (消耗もみられ) そして 次の日が休みという流れで おしつけがましい 丁寧に頭をさげて 他者に針で空気抜きをさせ(密着) という 真にわびています という態度で他人にふりわけてきた ツケ おこないたくない物事を 見えにくい重装備で回避してきた 重み ・・ですから そのように 何かが清算のなかにおりこまれる ということで 今あるそれらは 当人や関係者 同郷人などによるお片づけ あるいは 手分けをして 私は通常作業以外では 優先順位に沿っていくつかの修理 修正 修復なども そのような「懸念」を ずっと抱えてきたわけですが(通じず) 今さら それについて会話をすることは できません 「懸念」の内容などが 全く 合わない その「経験」者たちが 「安心」するためにおこなう物事を 永らくうかがってきましたが 全体に貢献する方向ではないので 別の何かを任せる → 別の場で何かを任せる 凸凹の角度などによる 組み換え 抱き合わせ とかですか そういった「経験」者の「すべりこみ」 というのは あれで 何かを身につけていないのなら 移動のほうがよいのでは 4.3 4.4 4.5 4.6 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.28 7:50 保存 札幌白石郵便局 ↓ 旧西岡水源池取水塔(2004年4月)/Wikipedia 月寒川を堰き止めて作られた旧西岡水源池 水源池通(すいげんちどおり) 札幌市白石区から同市豊平区を経て、同市南区に至る札幌圏都市計画道路である。 起点:札幌市白石区北郷4条7丁目(厚別通交点) 終点:札幌市南区真駒内(五輪通交点) 終点付近は未整備である。 西岡4条9丁目から西岡4条12丁目までは北海道道82号西野真駒内清田線の一部に指定されている。… 起点から南西に向かい、国道12号、南郷通、国道36号といった市中心部から放射状に延びる幹線道路と交差しながら進む。豊平区月寒西2条8丁目で左折し、西岡の中心街を抜け、豊平区西岡4条14丁目に至る。通り名の由来となった西岡水源池はここを左折した先にあるが、都市計画道路としての水源池通はここを右折し、南区澄川の住宅地の外縁を通る。この辺りはカーブ、勾配ともかなり急な山道である。精進川を渡った先で右にカーブし、札幌市営地下鉄南北線の南車両基地付近で五輪通と接続し終点となるが、精進川を渡る地点より先は未整備である。(現在も都市計画上のルートの近くを通る道路はあるが、五輪通の下をくぐる形となっており直接は接続していない)… 精進川沿いには、縄文時代・擦文時代の遺跡(M79遺跡,M81遺跡)があり、古くから先住民が居住していた。1891年(明治24年)刊行の永田方正著『北海道蝦夷語地名解』にある地名「オソウシ」が、今の精進川にあたると推測されている。流域への和人の入植は1871年で、岩手県水沢の出身者を中心とする62戸が平岸村に入った。平岸村の人々は、1873年に用水堀を作ってこの川から水を村に引いた。… |
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2018年3月25日 11時52分 |
その件の 一つか二つ |
・ 其処だけではない件(下に移動 4.3(少少加筆)) ・ ・・22朝 ポケットのファスナーが開かないということがあり・・ 昨日24からメモといいますか 箇条書きといいますか それを すぐに記入するのか? というと そうでもないようで すが (22夜には裏袋側を切ってとりだし 中身確認 27一行) かるく あれしてみます ・ 27 はてなの“しかるべき清算” そのあたりですが それぞれの清算というのは 当人が満足してこそ など 計り知れない部分が大きく また 複雑に絡んでいて 続きの発信は それらにつきましてはむずかしい といったところでしょうか 近くのみなさまに関しては 表情 言動 顕現などを みていることくらいですか (ただ。そこでの階下も 長めに借りているそうで 楽器つきで アレ。 ・・そこへの対処 音源近くでの仕事は わたしではない誰かですが) そして やはり ます 自分の心持を みつめることですかね 26 起きてくる物事 とか いろいろと思うことなどがあり 直発信のために記入したり ということもありました (その場合 どの部屋がいいのか? とか めぐらせたりも) ・ 細かな部分が見えていないのかも で 修正があれで 量が多くて辟易 ・・多くないと満足できないらしい 今まで担当の方の対処があれ こちらとしては今後はあれ 最近 近くにいる方による 視ずに 引き込み という点 ほかの能力もあれで しかも とても丈夫で活動的で ・・ただ もともと涙腺が弱いという 私以上に そこが すごいそれ というそれらにおいて ものすごい能力で 他者のあれらも引き込んでしまうようで 数日前 22の誰かのようすをみて 23におこなっていたのでは 治りのはやさも みての吸収ということでか ものすごいのですが なにしろ 「涙 」最近とみに増しらしい というところでの 割合などになることでしょう その方は 能力をわけはじめたかもしれず 迅速に拡散しているような(話も聞き)(本人は無意識)27追記 辛苦などの感情を味わった日には 私からも もれなく 通じているところから 言いたいことも発しまして その翌日からは また 更新された何か どうであれ 基本的に分け合うことのできる方方ですので そういった繰り返しになるのでしょう おふたりは それぞれの家族 仲間と (すべりこむように) 年末にいけなかった美術展に入ることができたようす 26追記 ・・・・・・・・・・ 漏刻(ろうこく)(水時計) 水資源機構/https://archive.fo/KIAkO 水時計/Wikipedia いれときます 28 ・・・・・・・・・・ ここのところ・・2週間くらいか 野鳥のような? さえずりが戻り 池:そこのそれらだけでもないのですが 大変不満な点において そこは 特にひどい あるのは ビル風くらい? Wikipediaでは8つに分類 ・・ということで そのような エネルギーの源でしょうか 同24 KazeKozo 本体の発注 はしました 揃うのはいつか など 諸諸未定 諸諸記入の予定も無などなど28に少少 「その件」を絡めての諸諸対応 対処など いつのころかは 循環が無い ということで あれで・・でも (要らないということでなく)少少の変化もあり 分厚くなり重ねにくい ので サツらに頑張っていただこうではありませんか そのときは 野口だけ・・で 数えていただいて 交換時には おもに2箇所からの 個人の感覚的±などでのあれ ・・でも それら“4”箇所のあれはあれでも あらゆる色合いで 均衡(の近く)でなければ あれでしょう 今までの(断り上手という)態度などが 通用する段階ではなく それらを行わなければ 進まないのですが。。 はらわない3箇所め 覚悟のうえの あれな所業をみれば 下からの吹き上げ分が膨大 ということはいうまでもない ので ヤツらに頑張っていただこうではありませんか ・ 26 3箇所めに通じているようにもみえる 4箇所め? うちこんでは 送れず 遮られているようでもあり でも・・・・ 時間や労力を使いたくもないので 先へ 意図などが どうであれ・・ 「事の重大さ」(をみぬ)「悲劇」 26朝 この二つが合体してました (【悲報】とかのタイトルに絵が?あれ?) http://johosokuhou.com/2018/03/25/2587/ http://johosokuhou.com/2018/03/25/2576/ なぜ 僅かにでも つながってしまったのか 状況 環境 それらと その数日前のすれ違いなどが 結びつく感じ も ・・時間や気持ちのあるときに タイミングで記入するのかも ・・あれば・・ さえぎられてきましたから 延延嫌なのかも 「時間」もですが ほか いろいろ とられてきましたし わたし もしかして読書とか 好きなのかな そういうことにも使いたいですし と 28数行 27 彼らがうまくいっているわけでもない(26の諸風景を視て) うまくいかなかったとしても それらは積もり 重なり 何かに気づいていない 見ていない(教わっていない)など そうだとしても 降りかかってくる物事にも気づけず とか くしゃみひとつ で ながめて ……している 彼ら 伝えようとしても 別の利用の仕方に持ってゆく(DNA) 同じ血脈などだったとしても 「大人」の側は 教えず 姿勢をみせることもできず 疲弊して・・ それでも ばらまく あまやかす おおめにみる 「 はまだ 歳で将来のある身。寛大な処置を…」 その繰り返しで 清算がどうこう などと 思うだろうか 到ることができる などと 思うわけもない(・・でも) ・ 其処だけではない・・(下に移動 4.3(少少加筆)) ・ このシーズンは 混んでいない路 街歩き とか よいかな ・ ・ 其処だけではない件 |
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[カテゴリ:2018.3] |
2018年3月24日 13時42分 |
澪 |
何処で使うためのメモみたいなのも 公開設定に変更 2020.5.15 北斎/冨嶽三十六景/甲州三坂水面 http://www.museum.pref.yamanashi.jp/4th_fujisan/01fugaku/4th_fujisan_01fugaku36_29.htm ※御坂峠(山梨県富士河口湖町・笛吹市) …御坂峠は、甲府盆地と富士山麓との間にある鎌倉往還の峠。本図は峠を下り、河口湖畔から富士を望む。中央左よりの湖上の島が鵜の島。その左側の建物は妙法寺と考えられる。中央の集落は勝山村であり、その右手前には河口湖南岸にある大原七郷の鎮守で中世には富士信仰の拠点の一つとなった冨士御室浅間神社の杜が見える。右端の足和田山の麓の集落は長浜村。 ・・あと数冊借りていたりもし・・ その一 『美の幾何学』伏見康治/安野光雅/中村義作 1993-10版(1979初版)中公新書554(のほうの頁) 9 |
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2018年3月20日 8時33分 |
かましき |
角度の異なる 8つ の何か か 「6つ割り」の“たたみかましき” そのひらがななどで 画像検索しますと いろいろ・・ 家紋 畳釜敷き ( たたみかましき ) 17 から 紋様の科学 (伏見康治コレクション 1) – 2013/6/10 伏見康治 (著), 江沢 洋 (その他) これも 開いてみたり その書 家紋などについても ・・ほか さまざま ・ 元「源」元「川」 点がずれたか 角度も大きく変わったか という印象もなくはない きょうこのごろ? これまでにあれだった さまざま いろいろが そちらに そこにながれている もの こと(が うけとれます) 22朝 ポケットのファスナーが開かないということがあり その中に入っている物について めぐらせたり あるいは 取り出すための 具体的な処理ですとか? 急がずに考察などするならば 記入もその感じになるかも・・ (というようなものも入っていて あれなのです) あと数冊借りていたりもし → 澪-水のよう・・/3.24 ひょっとしたらそちらと むかいあうのかもしれませんし・・ (お出かけ中で そのフロアだけが稼動) 何色か?の おふたり(+会)との 作業は かつてないほどに苦痛でした ・・・・ 興醒め というのは それまで感じていた「面白みや楽しみ」が失せてしまう様子 で 「感興が醒めるさま」 ということだそうで 失せた状態からの 先があるとも思えないのですが (20も) 会話をかさねて そのような言葉が うかんでしまいまして なんとも すくいようのない あれ ・・・・ 踊りの教師は氷上から移行した方・・発表会は間近 と19に 最近は あちらというよりも 「そこからはじめる」的動画関連の演歌歌手(女性)の方に似てきている^^ 苗字変更前の同族(の抱える格差)をみることができていなかった そこにリンクがあるの? という話になった20 ・施設は横浜市が所有 ・横浜市体育協会が運営管理(かつては神奈川体育館が運営) ・横浜銀行が施設命名権(ネーミングライツ)を取得 Wikipedia (「アマチュア」)スポーツの転がし方は それでいいのか? と問うかたちにもなり 表情はやや曇っていましたが 21はどのように過ごされておいでか ほか 「すくいようのない」物事には関わらないので ・・・・・・・・ きゅうに いたいので ひだりがわが ・・・・・・・・ 週末 彼方此方でイベント目白押しのようで 近づきたくない感じ 18〜 急に痛みなどを送ってくる それらの 行く末や 先先の何かをみつめることは あるかもでしょうね 枠はあっても 土台の無い 宙にういた それら ・ 姦しい かまびすしい かしがましい かしましい ・ スケールのめもりの間に はいりこむような 設定 ご実家は最近北に移られたようで 年末にそちらのお菓子をいただいて 肉食でしょう かけかえのときにも 昼時 何かの差をうめるための調整をなさる方は 意識的であるかどうかにかかわらず なにかを・・ たとえば 1週間前 その日の仕上げ分に必要な電動の道具を さりげなく持ち出す(返しにこられたときに気づく)かたち 本当に困るような 間に合わないケースもあるでしょう また そうでなければ 一生気づけないというような物事もあるのでは その日 そこでは 険悪な空気にはなりつつも (私にとっては)ちょうどよい具合に事が進み はやく終了 通常の業務も行えた(そこの流れとも幾分か同調していて) もう2〜3日かかるのでは と(遅れることを)想定していた おひとりは 20は外系だったのか 何なのか? 姿がみえず 音(符)の間でも どうこう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22 叩いてつくる 仕上げ法 「丸に大鎚目」 |
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[カテゴリ:2018.3] |
2018年3月18日 9時48分 |
藤原肇 特別寄稿 |
こちらも公開設定に 2020.5.15 私は取り込んでいない 何かが有りますね ・若き日の加計孝太郎(左)と安倍晋三 ・加計孝太郎(左)と岸信介 『財界にっぽん』 2018年 4月号 http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai201804.html 特別寄稿 ' 日本を破壊したゾンビ政治と愚民化のための言論統制 フリーランス・ジャーナリスト、慧智研究センター所長 藤原肇 安倍政権と東条幕府の相似象 5年間も続いた安倍政治のために、日本の社会の救いがたい混迷は、太平洋戦争の半ばの時期に似ており、政治は支離滅裂の出たとこ勝負で、無責任体制の横行が殷賑を極めている。権力を一手に握った東条英機は、首相、陸相、内相を兼任した上に、状況の悪化が進むに従って、軍需相や参謀総長まで兼ね、東条幕府と揶揄されたほどだ。軍事官僚の東条にとっては、権力を一手に集中することによって、ピラミット型の集権体制を作り、権力支配の確立を狙うという、一種の疑似独裁支配への野望が、その組閣システムの背景にあった。 それに対して世襲代議士の安倍は、閣僚経験がないまま首相になり、行政的な実務経験に乏しかったので、自分より能力の劣る人物を選び、大臣にするという閣僚人事に終始して、「お友達内閣」を作り続けた。だから、無能大臣による失態の続出によって、大臣が自殺する事件まで起き、内閣の機能マヒを露呈するほどになり、国民に愛想を尽かされて迷走した。 自殺の松岡利勝・農水相、絆創膏の赤城徳彦・農水相、尻軽の小池百合子・防衛相、暴言の高市早苗・総務相、軽量級の石原伸晃・国交相、嘘八百の稲田朋美・防衛相、経済オンチの世耕弘成・経産相、誤読の安倍晋三・首相、失言の麻生太郎・財務相、裏資金の小渕優子・経産相、賄賂の甘利明・経済再生相、という具合だ。だが、情報化時代の特性をフルに活用し、安倍はメディア懐柔の情報工作を使い、マスコミを完全に篭絡するのに成功して、批判の声を制圧し政権を維持し続けた。 しかも、国会答弁における?とデタラメは、ミッドウェー海戦の惨敗に似て、大本営発表による?と隠蔽で、虚報が蔓延した時代にそっくりだ。その理由はメディアが完全に堕落し、事実を伝える任務を完全に放棄して、政府の宣伝機関になり果てたために、国民が無知に気づかなかったからだ。 『NYタイムス』のファクラー支局長は、『本当のことを伝えない日本の新聞』の中で、「当局が言っていることをそのまま書くのではなく、当局が言っていないことを取材して記事にすると強調した。だが、何が起きているか全く知らされず、洗脳された国民は愚民になり果て、嘘に中毒してしまったのである。戦時中に日本列島を覆い尽くした、「鬼畜米英」や「神国不滅」の絶叫はないが、国会議員の「日本会議参加」や、「靖国神社参拝」が当たり前になり、メディアも年中行事のように、それを報道するようになっている。 関東軍の参謀長時代の東条英機は、満州でアヘンの収益を溜め込み、それを機密費として使う錬金術を使い、シナ大陸での軍事費を確保して、それで侵略戦争を遂行していた。その時の相棒が岸信介であり、二人が本土に戻って東条内閣が成立した時に、東条首相は軍需大臣を兼任し、その右腕として岸を軍需次官に登用して、勝ち目のない対米戦争に踏み切った。その結果は焼け野原の国土に加え、広島と長崎の原爆による敗戦で、無条件降伏した日本は占領され、米国が操る従属国に成り果て、拝金主義で自立精神は消滅した。それに対し岸信介の孫の安倍晋三は、閣僚経験もない若手議員なのに、森内閣では官房副長官に就任して、官僚を最上位から指揮する立場で、NHKの番組に干渉する体験をした。また、小泉内閣では内閣官房副長官から、一足飛びに幹事長に抜擢され、自民党総裁から首相に大化けした。また、元首相の岸信介や佐藤栄作を始め、外相の安倍晋太郎や松岡洋介など、政治家の家系に属す安倍晋三には、血脈と地盤が天与の資産だし、温室育ちの幹部候補生として、実力を鍛える体験を抜きに首相になり、幸運の風に乗って暴政を推進した。 戦後体制における情報操作と「文芸春秋」の役割 私はカナダと米国で四十年過ごしたが、世界を舞台に言論活動をした最初は、1971年に『文芸春秋』に書いた記事で、石油危機が襲来する警鐘を鳴らした。それを含む『石油危機と日本の運命』が、1973年秋の石油ショックの時に、ベストセラーになったお陰で、帰国のたびにメディアから声が掛かった。だから、文芸春秋社とは関係が続き、その動向について観察したが、文芸春秋社は内調のカネで『諸君』を創刊し、その担当者が田中健五だった。また、私の読者の一人で警視監を歴任してから、米国でCIAの訓練を受けて、内閣調査室にも勤務体験を持つ、松橋忠光さんから聞いたので、それを『インテリジェンス戦争の時代』に、次のような証言として記録した。 「・・・一九七〇年代初期の『文芸春秋』に寄稿していた頃に、『諸君』の田中編集長に紹介されて執筆を頼まれたが、書く気はないと断わると取材協力を頼まれ、レコーダーの前で喋ったものが活字になり、商社マンの裏話という形の変名記事に仕立てられた。その頃の私はウブで日本の事情に未だ疎く、日本文化会議など知らなかったので、在外公館の実態を話し合うように頼まれ、ジャーナリストと1時間ほど喋ると、屋山という御用記者の名前で記事になったが、その時に『諸君』がでっち上げや、謀略好みの雑誌だという印象を持った。暫くして『諸君』から『文芸春秋』に移った田中編集長は、私の記事をかなりの変更や、大修正して掲載したが、ある記者の記事などは6割が、私のボツになった原稿でできていた。このような目茶苦茶が続いたので、江戸っ子の私が絶交を言い渡したら、残念という短文の手紙が届いた。歴史の証言を集めるのが私の長年の道楽だから、老人や読者を訪ねては昔話を聞き歩いているが、あるとき引退した警察庁のトップとの会話で、『文芸春秋』の田中編集長と喧嘩して絶交したと言ったら、こんなこともあると教えてくれた話がある。プロ野球の川島広守コミッショナーは、内調室長や内閣官房副長官を歴任したが、60年アンポの後にユーゴの一等書記官から戻り、『俺がアンポ騒動の時に日本にいたら、岸首相が辞めるようなぶざまな警備はしなかった』と悔しがっていた。そして、大使館への出向以外は東京を離れずに、警視庁と警察庁の往復専門で公安を担当したが、警察庁時代の川島警備局長は、何か問題が起きると『田中を呼べ、田中に来いと言え』と怒鳴り、そこに駆けつけるのが、取材記者時代の田中健五だった。こうして内調ルートで編集者として出世し、『諸君』の編集長にも就任したのだから、田中編集長が頻繁に交際した影響力で、清水幾太郎が転向した理由も分かった。また、『われわれ警察OBは三田中と呼んで、田中清玄、田中角栄、田中健五の戦後派トリオは、闇のキングでお国のために役に立った点で、それなりに功績を残したと評価しています。かつては保守派のサロン誌だった『文芸春秋』は、政府の広報記事や内調ルートのネタが多いし、国民の宣撫工作用に役に立っていますよ』とその内務官僚OBが苦笑していたのが印象深い。・・・」 そういった工作の総元締めは川島広守で、彼は警察庁の警備局長から長官になり、内調室長を経て官房副長官で退官後は、セントラル・リーグ会長に就任した。また、日本のプロ野球システムは、読売社長の正力松太郎と同じで、公安警察向けのCIAの指定席だが、お人好し日本人は仕組みに気づかない。だから、『文芸春秋』は官房機密費の政府広報がダントツで、田中の出世の足場は内閣調査室だったが、その使い走りが彼の人生の始まりだ。また、『諸君』や『正論』で名を売った学者が集まって、「政策構想フォーラム」などの組織が発足し、それが大平のブレーンを経て中曽根のブレーン政治になった。1980年代に電通がメディア工作用に「青の会」を作り、田原総一郎がその幹事役に抜擢された。電通は満州帰りの特務を雇い、広告主や政治家の子弟を採用し、学者や評論家を権力の御用に仕立て、メディアの上で活動させていた。私が育てた何人かの若い人材に手が伸び、雑誌の座談会やテレビの討論会に、出席する誘いが掛かってきたので調べた。そうしたら、政府の機密費と財界のカネが動いていて、若くて有能でもカネに飢えた人びとが、どんどん引付けられていたのである。 そして、1980年代にPHPが「松下政経塾」を生み、「世界平和研」や「笹川財団」などと並んで、平野さんが論じる「三宝会」が発足したが、発起人の福本邦雄は政界フィクサーだ。彼は水野成夫社長に拾われて、産経新聞の記者を経て岸内閣の時代に政界に入り、椎名官房長官の秘書になった。その後は京都放送の社長や政界顔役になり、画商として竹下の金屏風事件を仕掛け、後で中尾栄一建設相の収賄で逮捕されたが、竹下の利権人脈のキイマンだった。 「三宝会」の系譜と韓満人脈のコネクション インターネットで記事を検索していたら、平野貞夫の『平成政治 20年史』が素晴らしいとあり、本屋で買って読んで驚いたが、たった数行だが「三宝会」の記述があった。そこには「選挙が終わると、国会の内外で小沢潰しが活発化した。もっとも陰湿なのは竹下元首相の指示で、「三宝会」という秘密組織がつくられたことだ。新聞、テレビ、週刊誌などや、小沢嫌いの政治家、官僚、経営者が参加して、小沢一郎の悪口や欠点を書き立て、国民に誤解を与えるのがねらいだった」とあり、私に「三宝会」の名前は初耳だった。そこで「財界にっぽん」の2010年6月号で、平野さんと対談した機会を利用し、「三宝会」について質問したら、丁寧な説明をして貰ったのであり、掲載された対談の抜粋は次の通りである。 平野 岸信介や椎名悦三郎という満州人脈や、竹下登から政治の裏を指南されたことで、情報操作と錬金術に優れていたらしい。だから、「三宝会」は竹下元首相を最高顧問にして、財界とメディアによって1996年に作られており、野党潰しを目的にして動き出すが、その契機になったのが細川政権の誕生で、狙いは小沢一郎を抹殺することでした。 藤原 どうして小沢一郎に狙いを定めたのですか。 平野 1993年に細川政権が生まれる前段階として、1992年 12月に「改革フォーラム21 」が発足したが、中心にいたのが小沢一郎だからです。また、1994年に社会党とさきがけを自民党が取り込み、政権奪還した根回しを竹下がやっており、この時に竹下は小沢を最重要警戒人物と認定し、小沢を封じるための秘密組織を使うことにして、福本邦雄に「三宝会」を作らせたのです。 藤原 「夜明け前の朝日」に詳しく書いたが、竹下は平和相互の小宮山一家や許永中とも繋がり、京阪神の暴力団と密着していたために、イトマン事件や皇民党事件に巻き込まれています。しかも、最後には奇妙な死に方をしているが、あの頃のアングラ事件の謎解きに関しては、「朝日と読売の火ダルマ時代」と「夜明け前の朝日」に書いて置きました。 平野 「三宝会」には大手企業が参加しているが、法人の年会費が36 万円もしているだけでなく、個人会員の参加費が1 万円もかかるのに、新聞では朝日(5人)、日経(3人)、毎日(3人)、読売(3人)、共同(3人)、テレビでは日本(2人)、テレ朝(2人)、フジ(1人)、TBS(1人)、出版では文芸春秋(3人)、講談社(2人)、プレジデント(1人)、選択(1人)、朝日出版(1人)という具合です。また、メディアを代表する世話人としては、高橋利行(読売・世論調査部長)、芹沢洋一(日経・政治部次長)、佐田正樹(朝日・電子電波メディア局長付)、後藤謙次(共同・編集委員)という顔ぶれが並び、こういった人がマスコミ対策を指令しました。 藤原 法人会員の顔ぶれを一瞥したら、韓満人脈の影が私には読み取れますよ。しかも、それが太平洋を越えて戦後の米国人脈になり、岸信介や正力松太郎がCIAに使われて、アメリカの日本支配の手先だったが、この事実は公開された米国の外交資料が証明している。「歴史は繰り返す」と言う教訓からして、同じパターンは最近の日本の政治に反映し、それが検察ファッショとして現れていることは、私にはパターン認識と直観で分かるのです。 平野 検察ファッショは政治的意図による強権的捜査を指し、戦前の「番町会事件」が代表的であるが、ロッキード事件の時の捜査の仕方は、国民の多くに検察ファッショを感じさせた。田中首相を外資法違反で逮捕して、一応は首相の犯罪として話題を賑わせたが、アメリカ側には免責条項を適応したのに、日本側の捜査には無理が目立って、どう見ても納得できるものではありません。 藤原 それは軍備が絡む汚職だったからであり、本当は対潜哨戒機(P3C)の購入に際して、防衛庁長官(当時)の中曽根康弘が関与した、極めて重大な結果を生む防衛疑獄だった。だから、検察が架空の物語をでっち上げて、疑惑を隠すために問題をすり替えたが、全日空のトライスター旅客機の輸入の形で、手癖の悪い田中角栄を冤罪にしたのは、CIAが中曽根の罪を救うためでした。 平野 リクルート事件で自民党を離党したが、ロッキード事件では深手を負うこともなく、中曽根は首相として米国に貢いでいます。 藤原 その後の日本の政治は米国のしたい放題で、中曽根と竹下がカジノ経済とヤクザ政治を行い、バブルが炸裂して日本はガタガタになった。しかも、S I I (構造障壁攻略)に続き追い討ちの形で、金融を使った企業の乗っ取り工作が進み、ネオコン路線に追従する小泉や安倍が、対米追従のゾンビ政治を続けたのです。・・・ 日米関係におけるCIAの役割と核武装問題 個人レベルでの体験の登場になるが、日米関係の歴史を決定付けたのは、CIAと結ぶ自民党に陣取った政治家と、日本人を操ったジャパン・ハンドの関係だ。岸信介と正力松太郎に関しては衆知だが、児玉誉士夫と中曽根康弘に関しての情報は、それほど知られていない状態が続く。だが、中曽根がハーバード大でのゼミ参加を手配したのが、ジョンズ・ホプキンス大のセイヤー教授であり、彼はSAIS(国際問題研究所)の日本担当教授で、元CIAのアジア太平洋担当の部長だったし、中曽根の英語論文の代筆までした。 また、キッシンジャー自身が情報関係者で、ドイツ難民の彼は1943年に陸軍へ入隊し、二等兵の彼は新兵訓練期間中に、上等兵のフリッツ・クレマーに出会った。歩兵師団長の通訳と運転手を経て、陸軍の対敵諜報部に配属され、そこでOSSを指揮したアレン・ダラスが、キッシンジャーに目をつけ、対ゲリラ戦闘部隊のOPCに参加させて、戦闘と戦略を学ぶことになる。一方でクレマーはその後に昇進を重ね、パットン将軍の副師団長になり、退役後には陸軍参謀本部の顧問として、ヨーロッパの政治を担当した。そして、キッシンジャーをハーバード大に入れて、出世街道を歩ませたことは、ドラッカーの『傍観者の時代』に書いてある。 冷戦初期のキッシンジャーは、アレン・ダレスの作戦調査室で、コンサルタントとして働き始めるが、同時に1951年から71 年にかけて、「ハーバード国際セミナー」の責任者を務め、それに中曽根康弘が参加した。これが核武装論者のキッシンジャーの手で、中曽根が核の問題に開眼してCIAを軸に正力松太郎と手を組み、日本列島に原子力発電を建造し、核武装を進める出発点になった。彼らを背後から操っていたのは、ローザンヌが本部の道徳再武装運動(MRA)で、岸信介や松下幸之助を始め、反共主義者が参加しており、それはハイエクや文鮮明を経由して、勝共連合や統一教会を通じ、安倍政権に結びつくのである。 こうした文脈で展望するならば、ロッキード事件の謎も解け、ロッキード事件の時の捜査の仕方が、余りにも不自然な形で展開し、国民に検察ファッショを感じさせた。『新潮45 』に掲載されていたが、東京女子大病院の主治医による、児玉誉士夫の不審死の告白を含め、田中首相を外資法違反で逮捕し、首相の犯罪として話題になった、あの疑惑事件の正体が分かる。アメリカ側には免責条項を適応したのに、日本側の捜査には無理が目立ち、どう見ても納得できなかった事件の真相が、田中角栄に冤罪を押し付け、CIAが中曽根の罪を救うためだと理解できる。だから、検察が架空の物語をでっち上げて、疑惑を隠すために問題をすり替え、全日空のトライスター旅客機の輸入の形で、不自然な結末で迷宮入りにしたのだ。しかも、それが軍備が絡む汚職であり、本当は対潜哨戒機(P3C)の購入に際して、中曽根防衛庁長官が関与した、極めて重大な防衛疑獄であった。その背後には核武装問題と、原子力発電が国策で絡み付いており、プルトニウムを巡る思惑が、憲法改定と再軍備の形をとって、日本の運命を狂わせたのである。 遺伝子が語る血脈と時の転位を教える観相術の妙 パームスプリングスに25年住み、ペパーダイン大学の総長顧問だし、ロスの国際空港を利用したので、月に2度3度は用事があって、私はロスに出かけて取材をした。また、『加州毎日』に記事を書いたし、日本人街や韓国人街には、読者が沢山いた関係もあり、ロスについての情報について、かなりのものが集まったから、それを『小泉純一郎と日本の病理』に使った。 若き日の加計孝太郎(左)と安倍晋三 だから、かつてロスに遊学していた安倍晋三が、KCIAの朴東宣に可愛がられ、親しい関係を結んだお陰で、統一教会と親密だった話や、ロスに進出した暴力団が、いかに盛況だったかも書き込めた。 また、当時の南カ大(UCS)の言語センターは、イランやサウジからの学生で賑わい、金持ち子弟が集まって騒ぎ、言葉を習うと帰国して行く、パーティ学校として知られ、そこで安倍は英語を習ったが、単位を取得した記録はない。おそらく幼な馴染みの加計孝太郎と、愛好するゴルフに明け暮れていて、勉強する暇がなかったので、単位を取れなかったのだろう。三十数年後に「モリ・カケ事件」が起き、安倍と加計の関係について、色んな形で憶測を生んでいるが、奇妙な歴史の相似象が現れた。それはロンドンに逃避した小泉が、三十数年後に首相になった時に、過去の秘めた出来事と符合する形で、私の想像力を刺激したのと、同じような興奮を掻き立てる。この件に関しての記録は、『財界にっぽん』2002年6月号に、「大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁」と、『真相の深層』2004年春号に出た、「小泉純一郎の破廉恥事件にまつわる日本のメディアの腰抜け」があり、共に『賢者のネジ』に収録して置いたが、言論弾圧で抹殺されてしまった。 ここで再び歴史の相似象として、岸信介と安倍晋三の間で、遺伝子に関わる問題が蘇ってくるのは、法医学と観相学の面から、とても興味深いことである。 それにしても文献学的に見て、笹川良一に関した記録では、多くの庶子の存在が知られており、その幾つかは活字になっている。だが、岸信介に関しては発掘が遅れて、その秘密は未だ埋もれたままだ。そこに日本での調査報道が、世界から立ち遅れている現状があり、それが詐欺や犯罪の摘発を始め、それ法の公正な適用の面から見た後進性が露呈した理由なのではないのか。 それでも有力情報筋によると、晩年の岸信介には子供があって、その一人は元自民党代議士の夫人であるし、日本航空のスチュワデスをやり、東京大学では歴史学を学んだ後で、大蔵省に入り職場結婚をして、彼女自身も自民党議員になった。岸信介と笹川良一は刎頸の友で、アヘンと結ぶ満州人脈だし、共にA級戦犯として巣鴨体験と、CIAにスカウトされており、半島から勝共連合を日本に持ち込んだ、極右思想の仲間でもある。しかも、伝記作家の工藤美代子は、二人について伝記を執筆しており、笹川については『悪名の棺』で、京に住む大津法子という女を描き、岸は『絢爛たる醜聞』において、浜田マキコが隠し子であると、思わせぶりな筆致でほのめかした。二人の巨魁の晩年の足跡は、笹川はニクソンとの交友でカリフォルニアに、岸はインドネシアの石油利権や、デュッセルドルフの日本館経営を含む、利権網を世界に確立している。そして、老いて益々お盛んだったのだが、熟年の性愛に迫っている工藤でも、肝心な今一歩に踏み込まないで、歴史の謎を放置しているのは、戦後史を綴る上での瑕瑾である。私がフランスで習得した生理学では、「個体発生は系統発生を繰り返す」や、「優性と劣性は隔世遺伝する」が法則だった。また、2年住んで学んだ台湾の観相術では、「幼相は孫に現れ、老相は祖父に重なる」と教え、それが私に2枚の引用写真を注目させたのである。 加計孝太郎(左)と岸信介 こうした直観力は現場で鍛えた、刑事が持つ円熟したカンと同じで、情報学科で習った付け焼刃の知識とは、一味違うプロの洞察力に属す。だから、私は高島易断に入門していないので、その真偽は図りかねるけれど、司法と検察当局は何かを見落として、洞察に代えて忖度(そんたく)に頼りすぎ、国民を裏切ったのではないだろうか。 言論弾圧と狂気が横行する時代性 21 世紀の日本を襲った狂乱劇は、小泉首相と竹中平蔵のコンビが、ネオコンに操られて演じたもので、その震源地はワシントンであり、日本担当の手先はその世界に詳しい、海兵隊上がりのアーミテージと、政治屋のマイケル・グリーンだった。英語教師として来日したグリーンは、東大の佐藤誠三郎教授に師事し、中曽根や笹川財団に接近して、ファシスト的な軍事オタクに育った。また、帰米してからFSX問題で論文を書き、日本の防衛政策の専門家として、謀略家で悪名高いアーミテージの指示に従い、日米同盟を担当して売国奴を操り、絶大な打撃を日本に与える実績をあげた。それにしても、こんな卑劣漢たちに日本が愚弄され、振り回された姿は無惨であり、無条件降伏した敗戦に似て醜悪だった。この時期に君臨した小泉首相については、「Japan's Zombie Politics」の中で、そのゾンビ政治振りを徹底的に批判して、私は次の世代に歴史の証言を残した。しかも、この二人に土下座して奉仕し続けて、日本を屈辱の色で染め上げたのが、小泉の後を継いだ安倍晋三だった。しかも、横須賀の海軍基地の手配師一家に生まれ、ヤクザ政治とロカビリーを演じ、全世界に醜態を晒した小泉は、日本の名誉を徹底的に傷つけたし、国富は大量に流出してしまい、企業の所有権は海外ファンドに移った。ほとぼりが冷めるまでロンドンに逃げていた小泉は、サイコパスに属す「変人」であり、それを望診した私はそれを草稿に書いた。だが、名誉棄損の訴訟を恐れた編集部は、それを削り取って題名も著者に無断で変え、『小泉純一郎と日本の病理』を出版した。案の上というか、新聞や雑誌での書評はゼロであり、ギネスの世界記録に相当したが、ネットで出版が騒がれて読者の手に渡ったとはいえ、光文社の出版部門は閉鎖になり、古本も回収されてその存在は抹殺された。 ところが「フグ刺し」の料理人の手並みで、草稿からテトロドトキシンを抜き、安全にしたこの本に何かを感知したらしく、松沢病院まで行って調べたジャーナリストがいた。取材した記者は公安に狙われ、冤罪の別件で拘留されて、臭いメシを食べたと教えてくれたのは、後に『月刊・日本』を立ち上げた南丘喜八郎編集主幹だった。当時の日本では権力批判はタブー視され、公安や検察を使った冤罪事件は、佐藤優、小沢一郎、植草一秀という具合に、当局のしたい放題の状態だった。それはソ連やルーマニアでは日常茶飯事だし、30年住んだ米国でも見慣れていたから、オーウェルの『1984年』が日本に取りついたと思った。私は米国からそれを観察して、無念な思いでその愚劣さの総括を通じ、削られたサイコパス診断を復活し、英語版で恥ずべき時代の墓碑銘を刻んだ。ところがそれで終わらずに、小泉を受け継いだ安倍政権は、小泉を凌駕する悪政の権化になり、『さらば暴政』で一度消滅したが、ゾンビのように蘇って来た。そして、以前にも増して醜悪な本性を現し、日本の社会を徹底的に損ない、無惨極まるまでに食い荒らした。それが現在に至るゾンビ政治の実態として、日本人に強い閉塞感を与え、息苦しさの原因を生んでいる。だが、屠殺場に率いられた畜群に似た、そんな境遇にいる事実にも気づかずに、日本人は貧富の差の拡大を黙認しているし、自民党は安倍の任期の延長まで認めて、日本の運命を地獄に導こうとしている。 ギリシアやローマの歴史を読めば、最高行政長官は2名選ばれるし、アルコンやコンスルという執政官は、任期1年で再任は禁止であり、それが平時における統治原理だった。また、緊急時には独裁官のディクタトゥールが,任期半年で再任禁止で登場して、危機を乗り切る知恵に基づき、国家の運営が行われていた。しかも、独裁官でさえ再任させない、この政治における叡智を忘れ、三選禁止の党則を打ち捨てた、自民党の愚劣さは自涜行為の典型だ。しかも、アベノミックス詐欺に騙され、如何に歴史感覚をマヒさせて、無責任な安倍におもねている日本の運命が、自滅への道を辿っているかは、歴史の相似象が証明しているのである。 ※文中敬称略 筆者の横顔 藤原肇(ふじわらはじめ)1938年、東京生まれ。仏グルノーブル大学理学部にて博士課程修了。専攻は構造地質学、理学博士。 多国籍石油企業の開発を担当したが、石油ジオロジストを経て、米国カンサス州とテキサス州で、石油開発会社を経営した。コンサルタント、フリーランス・ジャーナリストとしても活躍。ペパーダイン大学(米国加州)の総長顧問として、21世紀の人材育成問題を担当する。 処女作の『石油危機と日本の運命』(サイマル出版会)で、石油危機の襲来を予言したのを手初めに、『平成幕末のダイアグノシス』『朝日と読売の火ダルマ時代』『夜明け前の朝日』などで、ジャーナリズム論を展開した。『情報戦争』『インテリジェンス戦争の時代』などの情報理論もある。また、『賢く生きる』『さらば暴政』(清流出版社)、『生命知の殿堂』(ヒカルランド)、『小泉純一郎と日本の病理』(光文社)、『Japan's Zombie Politics』『Mountains of Dreams』(Creation Culture)など著書多数。 |
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2018年3月18日 9時15分 |
77 七七 |
風景画像を続き部分に入れます(14時過ぎ) すでに出回っている 彼らの画像を・・ exciteで 保存だけで貼ろうとは思っていなかったのですが 画像を置き スプレーのり77 の タイミングで A to 2〜3行追加か to うかんだところ DE F J ............ 急に入れなくなりましたので のびのびと拡大をかさねて こちらに(も)置きましょう http://www.recordchina.co.jp/b580171-s10-c30.html ↓ 橋 Wikipedia 1937年(昭和12年)7月7日 そちらでは一般的に七七事変と呼ばれる あちらでは Marco Polo Bridge Incident/Battle of Marco Polo Bridge と こちらに移動しますと あちらより空白が多く感じられますか 由来や意味などを載せている方 http://kerokero-info.com/2017/11/22/post-13950/ 同じ数字 2枚 神経衰弱 トランプ(concentration)は トランプで行うゲーム語呂の都合から「真剣衰弱(しんけんすいじゃく)」と表記・呼称されることがあるが 誤字・誤称 トランプ以外では麻雀牌で行う事もある 別の 神経衰弱 疾患(Neurasthenia, shinkei-suijaku) …の症状を特徴とする状態(の診断名)もある と Wikipedia は仰る 昨夜もそんな感じ で 去った後も 深呼吸などでどうにかなるような それらではございません 眠れるわけもなく さけんでました が どこにもつうじない あ 11も 20夜も 煩かったですよ (それ以降も そこそこ) 25 ここ数日座部がぼろぼろの配達用バイクか自転車が朝まで置いてあり そして すいみんの質があれで 何かをおもってしまう 私(は ここのところ あれですが 日中普通に生活できてしまう(のも なんだか あれ)) 破壊者たちに 何をおくることができるでしょう? 何も無い ・・・・・・・・ 3.20 7:07 丸の内線 池袋駅 ダイヤ乱れ 線路内物品落下 一部遅延 ・・・・・・・・ 18夜の何かにつながる・・前段階は そこで それをみて いつも 絶妙に波長をあわせてくれる日本語頁 このたびの本にも ちらっと数行 国名 エピソードが・・ ・・そんなことが数回あった最近 昨年から さまざまな想いをかさねてきて ・・ただ それらを きっかけに利用されたくもなく タイミングというのも しかるべき当事者で などという・・・・ デリケートなことですか? 押し付け合いにみちた あれで かかわりたくない かかわりがない ということで そんなことを記入しようと向かう道 20 元「川」元「源」あたり ひろくはないそこで 遮った車のナンバー 「所沢666」 つながりの無い そういった邪魔も 飽き飽きなのですが なにしろ 粘着質 記憶も そのような残し方 危ないということはあり 対処はそれなりで でも 日常・・ まあ 数字は便利で ・・頭があれでも そうよ ただ そういうことが多いと 避ける 除ける などといったほうを みがくようになり 記憶もメモも面倒 という方向に しないと 何かを誰かがどのようにか利用する ということをみることに 飽きが・・ とっくに ですが 20 21 +23 ・・・・・・・・ 涙などを誘わない(気味の)方方だ ということが まず 僅かな方方とは そのあたりで同調しているわけでは 必ずしも ないので 他ではみられないような 独自の目線 動 静 そういう意味合いで そこでは つながりようがないときも あって当然 (といいますか そうでないのだとしたら あれで あれでしょう) つなげる めくる? のは そちらの大学構内には 当時の「身近」なふたり関連で 時期をややずらして2度は http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai201804.html フリーランス・ジャーナリスト 慧智研究センター所長 藤原肇 濃紺? 白抜き風 (個人的に 別室画像部屋 to ここの裏にも 文章も) ・ ・ ・ ・ あれですね やはりこのような場(園的アトラクション)も 分散していただければ そこだけに ということもないのです なにしろ 至近があれなので そして あの爺の木のあたり と でかけ そこに行くと その数字が |
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2018年3月17日 9時23分 |
籾 扨 扠 |
きのう ピスタチオをもとめて 殻をながめ・・・・ 穴があくほど じっとみつめていた なにが きになっているのか? それは扨置き ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 籾殻は日本全国で最も入手が容易といっても過言ではない有機肥料の元です。 https://www.kajyu.org/kajyunohiryou-momigara.html 籾殻(もみがら)の使い方 〜もみがらの性質を使った効果的な利用方法(保湿、保温、通気性、肥料まで) https://basilist.jp/basilog/momigara.html ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.11 15:02:04(“水のよう・・”のほうに下書き保存) 有用植物の栽培起源地を明らかにする研究が始まったのは 「ごく近年」のこと バビロフにより1928年に発表された 「栽培植物の発祥地に関する研究」 その説はやがて他の研究者らにより補強されていった 日本を訪れたバビロフは、桜島大根に目をみはったとも言われています。彼は栽培植物の変わり者(変種)を熱心に探し歩き、変種が多くみられるところを地図上に記入していきました。 変種とはイネでいえば種子の形や籾の大きさが異なるものをいう たくさんの変種のある地域は、その栽培植物の多様性の中心地であり、そこが起源地と関連深い地域であるとバビロフは考えました。 バビロフの考えによると、ジャガイモはアンデス、ニンジンは中央アジア起源と考えられます。肉ジャガも一夜ではできずというところでしょうか。 夏に食べるスイカの起源について、学生たちにクイズを出したことがあります。そのうちの一人は「スイカの起源地は青森の五所川原です」と答えました。砂丘地帯で、スイカやメロンの栽培がさかんな屏風山のある現在の産地を答えたのです。しかし、スイカはアフリカ原産であり、屏風山には栽培のためもち込まれたというわけです。夏の風物詩である日本のスイカを楽しみにしている私にとっても、スイカがアフリカのサバンナ原産などということが今でも不思議でなりません。 『〈三内丸山遺跡〉植物の世界 ―DNA考古学の視点から―』2004 佐藤洋一郎・石川隆二 P95-96 …ヴァヴィロフは1929年に日本を訪れている。北は北海道から、南は当時日本の植民地であった台湾、朝鮮まで行って、日本の学者との交流を行なっている。Wikipedia ・・・・ 扨又 3.16追加 さらに携帯に同16/20:47送付 http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/082500029/ 2015.08.27 スイカ、知られざる5000年の歴史 水分貯蔵に、健康維持に、古代から重宝されていた 扨 扠 予め調べておく とか か スイカに砂糖 http://www.kusudama.jp/recipe/history/9cdr9r0000003sy1.html 孔雀明王像/東京国立博物館 右第二手に西瓜に似た果物 四隅に置かれた宝瓶 http://www.emuseum.jp/detail/100158/001/003?x=105&y=15&s=2 あらあ・・こんなところにも ああ「追体験するルート」もご趣味 不思議な西瓜売り http://tyoiniji.hateblo.jp/entry/ku-kai_utsukushikiohi_eiga_sometani_abehiroshi_review 「西瓜売りの瓜翁」と 表現されている処も 新宮城 高瀬神社 とかも置いてみよう ・・・・ 減数分裂/伊藤 道夫 電車であれしての散歩の合間 どれくらいかぶりに開きまして はじめて開けたときに ・・・・あったのですが やはり すごくあれな感じがしまして 読書 僅か 些細 そこがあれですので とうぶん ながめること(のみ)にします 外出時も (まわりが)そんな感じで 散歩の場所も 限定的ではなく 休養のための休養というなら あれ とか 休養になるかどうかはあれですが あれらよりは ましということも あったり なかったり いろいろと あれですか 音楽も なのですが “休養”に適したそれらが 無さすぎ・・ ・・21には なにかしら ききはじめ |
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2018年3月4日 16時12分 |
柄 K |
いつごろか b1でのRをあげたかと思いますが これは そこらへんの2fで 3.2 7:44に ネタ的には (年末鑑賞)館の上のほうでもみられ 膨大な憤り 戸惑い (勿論 不満)など 正直なところを いつもいつも置いていました・・隠さずに ドコカとはカガミで つながっているの? それとも「月の裏」? 10 ・ 鏡の世界 (真正面などから見ようとすると 自分の何かも視え) 撮ろうとすると そのような「自分」が入ってしまいます 撮影機も入ることになり どこらへんがいいか?と 一瞬 思案まではいかない感じで ?最低限?・・・・右手と機を・・・・そんな写りに トリミングも やめまして (そのように?妥協?をすると)角度などがこのように ・・・・・・・・・・ あらためて みずからに みるときには それが 内側であれ 外側であれ あれですね 3.10 ・ (メモ) 4日3時過ぎ 半頃からかな 音も流れていて・・ (Moses Sumney - Lonely World) モーゼスという方の唇 映像の(人魚風のなにかの)鱗・・? 部屋 墓地 区役所通り過ぎ さて? 様子をみて 後日記入しましょうか 之一 ・ 之二 眠りがあれで でも そこそこの体調はあれですが もしや 何か あれなのでは と さて? 様子はみるものの 記入のための用語などを 習得したほうがいいかどうか というようなどことがうかびますと まず かんちがい (など)がどうなのか と 程度があれな人間は 思うわけですが また 「あれ」「それ」多発でしょうか ・・とりあえず 諸諸 観察 などなど でしょう 〜5 ・・・・・・・・・・・・・・・ 7 様子見といえば そうなのかもしれないですが (過去のとらえ方などを)気にしていない割合が増えていっているような 気も 4−映像をみているときに唇に僅かな違和感 焦点は表と裏でいえば 裏側の境目近くのため視えない 少しずつあらわれきたようで ただ以前とは違うような? 小水疱の拡大もみられず 上側の中心の左が少し腫れる 5 6になると腫れがひきぎみ 7も 痛みなどはある (外見的にも)仕事には支障をきたさず ふつう かな 10 6toca10夜 階下煩い ・之一 ヘルペスと帯状疱疹/日本皮膚科学会 Herpes(疱疹)…ギリシャ語で「這う」という意味 いままでにとらえてきた色色 内外の・・ とか 細胞の終わり方のパターンあれこれとかが あてはまらず それ以外の何かを めぐらささず うかばず という感じもなくはない ここ数日の眠りは 浅かったり 途切れ途切れ でも 質などがわるいわけではなさそう (・之二 調べるかどうか) 睡眠時の・・「時計遺伝子」方面の なにか 「核」(内に入り) 自分を「転写」・・どうこう 何を おこなっているのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 とりわけここ数日間 日常の些細なものごとなどの(無)意識(上)(下)的選択も感じながらの選択 また それらに介入するような何かも 意識的にも 感覚的にも また 言語を外しても みてゆくのではとおもわれ 10 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5に 彼女は 休日に映画を観られたということで (シェイプ…) 同日?音楽系の短い 海岸で撮られたふうのを見聞きしたと(私) なんか 「進化論」戻り的? とわたし (どこへ?) ほかダンス方面とか ガウディ建築物とか いろいろ話し 午後 打ち合わせ数時間 その間は静かに 耳を M氏 こちらにきて 2体との間で短い会話 音はどの程度になるのかしら? 技術的に? (相当なあれで S社の色は変えたいようで) (6) (メモ)6 仕切りのむこう 2時〜これはやや参加 耳だけ3時〜 4時〜 + 5時〜 ・・・・ 数日前に はてな からお知らせいただいたのは こちら http://ka-on.hateblo.jp/entry/2017/03/02/095034 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下10 (数年前ですから無いかもしれないですが 以前どこかに記入) あれは もう あれではない それらを何かに投入 投影などすることが あっても なくても 画像や動画は その時点の姿であり そこにとどまってはいない あれではないような感覚を 具体的に感じたりもする 日常 ・・ですから (とりわけ犬猫おおすぎ) それらによる あれな世界が繰り広げられるのを視るたびに たいへんねえ と 普段 接することはありますし 思う何かなどはありますが そういうことは 記入するものでもなく 自分でみてまいります 養生 観察 閲覧 勉強などに 没頭するかもしれない その前に 少少・・ いや? 長長 粘着物質に汚れ付着ですか 少しでは 済ませたくない そちらの方方 輩輩 できる限り はがしたり はなれて ・ その小プロジェクト自体に あまり あれ ですが 「 」を 僅か^^に持ち合わせてはおり 土台は違う素材 で 力の入れ具合 衝撃も有り 以前にも少し制作したことがある工程もの 数を揃えている最中で 裏の金具も異なり 9夕 淡淡とうんざり そして 対立攻防の狭間 あきらかな遅れ ひとりに対する不満が後押しする勢いで わたしに新たな工法の説明が始まり 退室前から眩暈・・久しぶりでした 数時間持続しましてふつうに嫌悪 週末特有の片づけも その状態で急いで行わねばならず 「時 」ですから そのようなことが持続するようなら可能な部分などで調整します その感の中 ゴミ出しに向かう前に花花を見せられた かたち ふれることも ついでに出すことも 諸諸 かかわらない拒否 否定ということ そちらのか? 9夜 善行駅 六会日大前駅間 運行に支障 的な情報を見ましたが そのような駅名あるのね それで 今 字を変換をしていて星名が 標準統合辞書 運行:(列車・バス・天体が)「ダイヤ通りに運行する,木星の運行.」というのが ねちねち 10 (記事などに)出ますね …これまで動物でしか確認されていない「盗み寄生(労働寄生)」の例だと考えられる。「盗み寄生」の状態にある生物は、他の種から食物を手に入れる一方で、相手には何も返さない。… http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/030800107/ ・・しかも 善かれと思ってか の 「清算」複雑化 「攪乱」上手 おねだり アピール などなど きりが無いので あれかと それはもう わからないように わからなくなるほどに 変態なされて ・・それでも 数日前に出ましたのは 本人の口から C氏の「同情」を誘うことで 負うのを阻止しようとしたが失敗 これは 誤差 錯誤の解消などのあらわれと 個人的にはみていて うまく運ぶのはC氏で 大きなあらわれが他にもありましたような 作業場のふたりにもどれくいらいかお伝えしたのですが。。 が。。。。 誰かが 気の毒 可哀そう の 割合が強すぎるみたい で。。 そうではあっても 新人さんたちが入る前にと諸業務の徹底や その団体の事情や抱えている物事なども投入 先週 今回すごいあれな人ばかりだと愚痴られてたのですが 9午後 作業がごくふつうに行えそう・・ひかえめに記入しとく な方がお話におみえ で どうなるか? 遠くからの通 でも保てるのは 欠かせない“相棒” 等か 業務としてはあたりまえのことに何かをまとわせて 相手にお礼をさせようとする流れを ・・無理ですが そういう方は (時間などを) 浪費させることに あいかわらず「時間」などを使いますね だから 間に合わない 間に合わないことを 他の誰かの何かのせいにすることにも 「時間」などを使用し続ける・・・・ そして・・・・ 持ってくだけ 返りは?と常常 9夕 お断りしたのは 展示後誰か所有者が持ち帰らなかった 枯れはじめの大きめの花 白い百合と赤い薔薇 でした まあ あれですが その他の観点としましては そのへんに咲いている(ちいさめの)花たちに 馴染んでおりまして 目の前に差し出されたそれらの姿 に 目が点に・・ しばらく見かけなかった実物 Ü 。。と メがテン 違和感膨大 ・・ 「いろいろ」ですか? そういうのは要らないですね ・・ 手に入れる一方 相手には何も返さない も っ て く だ け Wikipediaより …2001年9月の臨時国会における所信表明演説ではチャールズ・ダーウィンの進化論を経済社会にも取り込むよう発言した。ただ、ヒトラーが進化論を演説に取り込んだこともあり、欧米では演説に細心の注意が払われる傾向にある… 「…『それでも地球は動いている』と言ったそう…」 「血はつながっているけど、親子関係はない」 ・ 手に入れる一方で 相手には何も返さない 「 級編」 おたくらの つくる かおすもよう あれこれ どっかの「星で今起きている」 どこよ? まあ そこ特有の なんとか「 」ってことで 諸所 発信元がわかりやすいことでしょう あまりにも「超現実的なカオス模様」 とか 「不思議」等の言葉で の 塊 つくった とか つかいつづけ つくりつづけ という けんげん に よる か た づ け 「シュタイナーが「木星は宇宙の現在を描き出している」と…」 体現者たちは このあたりhttps://indeep.jp/thats-chaotic-jupiter-and-here-we-human-being-too/ の 其処 ネット「 」ですよ 片づけられない という場合 使わ(せ)ないという「道」がまず それでも しかるべき専門家 誰かにお願いせねばならない という 人の「道」 そうでないケースは ? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ※ 3.11 場を変えて https://katation.exblog.jp/29361671/ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 拡めの どれくらいか もしやと 場のおふたりをみていて 感じることも そこに「希望」などをみていいのかどうか ということについては また別の話に なってしまうような みえにくさ (なぜ 仕事が発生しているのか? 敬意などの無さ 他)他 他 他 そのような現状 あすは しずかにすごしたい 3.10 ・・・・ 3.11 …どういうプロセスでどういう形態で流れるということを知らないと、本当の正しい予測にはつながらない… http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3309836.html より |
[カテゴリ:2018.3] |
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