個の「中の」全体性とバランスの観点から見た「平等」 | |
2013年7月22日 1時47分の記事 | |
この世は不平等だと思われている方も多いかもしれません。 人生を長く生きていると、つらいことや悲しいことがありますからね。 仕事のこと、家庭のこと、社会のこと、・・あげればきりがないくらいです。 でも、そういった不平等というのは、自分自身で作り出しているのが真相です。 自分が不平等だと考えるから不平等なんです。 「いや、imimiさん、これは私一人が考えているからではなくて、誰がどう考えたって不平等ですよ。」 なるほど、そうですか。。。 でも、大切なのは、状況がどうあるかではなく、自分がどうあるか、ですよね。
よく考えてみてください。 我々の認識できる範囲なんて、たかがしれています。 我々は、「自分」という広大な意識領域の中で、ほんのわずかしか認識できていません。 それなのに、なぜ自分が不平等だとわかるんでしょう? たとえ世の中が不平等に見えたとしても、あなたの人生は平等です。 全ての転生を考慮すれば、ちゃんとバランスがとれています。 最近、個人リーディングをするようになって、よくそのことを考えます。 実際、そうなっています。 ある転生で、ドン底の体験をしたとしても、ちゃんと今世では救われています。 逆もまた然りです。 そんなこと言ったって、今世で幸せでなければ、仕方ないじゃないか。 そう思われる方もおられるかもしれません。 自分という範囲を非常に狭い範囲でのみ見たら、確かにそうなるかもしれません。 でも、そろそろ全体性に目覚めるべきです。 人類全体が、です。 ここでいう全体性とは、個々人の「中の」全体性です。 人類皆兄弟という意味ではなくて。 今つらい経験をされている方。 こう考えてみてはどうでしょう。 自分というのは、ちっぽけな自分だけではなく、より大勢の仲間の一員である。 いわば、自分は自分だけのために生きているのではなく、そういった仲間のためにも生きている。 一面では、仲間のために、マイナスの人生を請け負っている側面がある。 自分がマイナスの人生を請け負うからこそ、他の仲間がプラスの人生を歩めるのだ。 このように、自分の中の全体性というものを意識し始めると、不公平感は徐々になくなっていきます。 全体としてバランスがとれていることを理解できるからです。 あるいは、世の中が自分に対して何をしてくれるのかではなく、自分が世の中に対して何ができるのかといった発想の転換です。 そうすれば、自分と他との立ち位置が変化し、たとえ同じ状況であっても、自分から見える世界が一変します。 それは、「状況が問題ではない。自分がどうあるかが問題である。」の真相だと思います。 今日はこんな話をして終わりたいと思います。 明日は初個人セッションです。 楽しみたいと思います。 Some rights reserved by Dakiny 最終編集日時:2014年7月31日 18時36分 | |
このブログへのチップ 0pts. [チップとは] [このブログのチップを見る] [チップをあげる] |
このブログの評価 ★★★★★ [このブログの評価を見る] [この記事を評価する] |
◆この記事へのコメント(投稿順) | |
1. はるぱぱ 2013年7月22日 23時38分 [返信する] こんばんは。 昨日の参議院選挙は自民党の圧勝という形で幕を閉じました。 ここで、そのことの是非を問うつもりはありませんが、今日のいみみさんのブログを読んで自分自身痛切に感じたことがあります。 ともすれば、私たちは(少なくとも私は)”誰が何をしてくれるか”で人を選ぶという判断をしてしまうことが多々あるように思います。 もちろん、これは選挙に限った話ではありません。 いみみさんが仰るように”自分が何をしてあげられるか”という視点が欠けているということを私の実生活の中で最近よく考えるようになりました。 そこで、この頃は出きるだけこの視点でものを考え日々の仕事なり家族や地域の中においても行動するようになりました。 とはいえ、なかなか常にできているとは言い難いのが現状です(笑) 実は、恥ずかしながら今回の選挙もそうでした。 「”自分が何をしてあげられるか”」 この考えがないまま、投票するのは国民としての義務であり責任だからと投票してきたのですが、何か自分の中に釈然としないものだけが残りました。 一番大切なことが抜けていたんですね。 さて、「個」としての全体性ということで言えば、今までガイドに教えられたことの中で一番印象に残っている言葉があります。 それは、あまりの自分のふがいなさに思わず「”いつも面倒ばかりかけてしまってすまないなぁ”」とガイドにこぼしてしまった時のことです。 「私たち(これには私自身も含まれます)は、いわば一つのチームのようなものです。各々に役割があり、息を一つにしてその役割をまっとうすることで一つの調和(この時は音楽的なイメージでした)を生み出すのです。 だから、仲間(同士)なんですよ。」 おおよそ、こんな感じの事柄だったのですが、その時からガイドという存在のイメージと”私”という存在の把握の仕方が変わってきたように思います。 2. いみみ 2013年7月24日 23時52分 [返信する] はるぱぱさん、 コメントありがとうございます。 自分が何ができるかという視点は大切ですが、普段は目先のことばかりに気がとられて、そこまでには至れませんよね。 でも、ある意味、受動ではなく能動的な視点から自分の置かれた環境を観てみますと まんざら捨てたものではないなと思える時が、かつてどん底にいたときなんかは、私の場合特にありました。 一言でいうと、(おかれた状況への)感謝ということに尽きてくるんですけど、そういう心境に至るまでには、いったん全部心の中で手放す作業が必要な気がします。 すべて手放してみると、最後に残るのは命だけということになりますが、その命をポジティブな視点から見ますと、いつでも何もない状況から再スタートできる自分がいることに気づきます。 あらゆる側面において、そういった視点の転換ができた人は、世の中で成功していくのではないかなと思っています。自分には何かできるか?という視点の転換も、その一つなんだと思いますね。 はるぱぱさんのガイドメッセージ、真実味がありますよね。確かに高次が言いそうな雰囲気を感じます。 いつも素晴らしいメッセージありがとうございます。
|
|
◆この記事へのトラックバック | |
トラックバックはありません。 トラックバックURL https://kuruten.jp/blog/tb/imimi/262001 |