排除の論理は最後は全体を死滅させる | |
[日本の政治] | |
2016年2月21日 23時28分の記事 | |
先日、本ブログ「生命の摂理、自然の摂理」(2016年2月17日)で、働きアリの中に2〜3割いる「働かないアリ」の存在が全体において意味があり、その存在を排除すると、実は全体が崩壊するということを解明した北海道大学などの研究チームのレポートについて触れ、生命の摂理やポピュレーションセオリーのことを申し上げました。もちろん、このアリの社会の生命論は、人間の社会でも同じで、弱者や価値がないと思われる人を切り捨てると、全体が崩壊します。
このことと同種のことは他にもあります。米国にあるゲーテッドシティ(コミュニティー)です。ゲーテッドシティとは、裕福な層が治安などが悪い地域から離れて、塀に囲まれたセキュリティが万全のコミュニティーのことです。しかし、そのような安全抜群で安心できるはずの場所なのですが、実は犯罪率はあまり変わらないという報告がなされています。犯罪の種類には違いは多少あるのでしょうが、塀で囲んでも犯罪から逃れられないと言うことなのです。 ただ、この「犯罪から逃れられない」という表現は適切ではないでしょう。むしろ、このことの実相は、一般社会の問題となることを排除して新たに塀で囲んで場所に移り住んでも、その中で新たに犯罪を生み出す構図をつくり出していると言うことなのです。つまり、犯罪から逃れて(排除して)新たに安全な地域に移り住んでも、そのコミュニティーの人間の発想が変わらない限り、社会(人間の集団)の構造は変わらず同じ事態が発生すると言うことです。 ゲーテッドシティに入れるのは富裕層で、社会においてリーダー的存在ですが、その人々が一般の社会から隔絶されてコミュニティーを形づくっても一般の社会と同じ事が起こるというのは、本当の問題の種の大半は、実はこの富裕層・リーダーにあると言うことなのです。したがって、ゲーテッドシティに移り住んでも同じ構造をそのコミュニティーでつくり出すので、生ずる現象も同じになるわけです。 そして、このような人々が、さらに安全を求めて他者を排除しても実はまた同じになるのです。それを延々と続ければ、最後は自らは社会から隔絶した存在になるしかないのです。それは当然、コミュニティーの崩壊、消滅を意味します。このように孤独な存在となっても、別途社会が存在していれば、必需品を購入したりとその社会との一定の関係を保ち、生存をすることができます。しかし、社会全体で排除の論理が働けば、確実に最後は社会が崩壊・消滅していきます。 これが社会における生命の摂理です。 (つづく) | |
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◆この記事へのコメント(投稿順) | ||
1. 孕石 泰久 2017年1月10日 13時37分 [返信する] 排除、レッテル張り、批難中傷‼困ったことになくなりません。しかし全く理解が広がらない話しが他にもあります。右よりの先生も左よりの先生もスッポリ見逃しています。日本の伝統を見逃しています。軟式テニスみたいな剣道、レスリングみたいな柔道、キックボクシングみないな空手、足軽の相撲とはかなり違う相撲‼これらの明確な違いをごまかすドグマのような言葉ともったいづけた演武‼まあつまり、宗教的要素やスポーツ的なものなどで変容してしまったことに気がつかない学者の皆様!グローバル経済もオリンピックもやり過ぎです!経済のルールもスポーツのルールも白人がつくったものですね。日本人がルールをつくり直しましょう。ご理解頂けるならば何処へでもご説明に参ります。御検討願います。難しい名前です、はらみいし やすひさと申します。 2. チョコマカジジイ 2017年7月11日 21時23分 [返信する] 日本社会全体が「排除の論理」に侵されている ような気がします。 かつての日本社会では酔っ払いや愛煙家には 優しく、社会を形成していく上での潤滑油みたい になっていた。 それがいつしか、愛煙家は隅に追いやられ、 「飲み二ケーション」なんて言葉は死語となり ギスギスした感は否めません。 食事に誘えばセクハラだと言われ、隣に立ってた だけで痴漢呼ばわりされる社会が、明るくて公正 な社会だとは思えないです。
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