体質的な問題? | |
[日本の政治] | |
2017年7月24日 4時4分の記事 | |
昨日の本ブログ「体質的な問題?」(2017年7月23日)の続きです。
ただ、上記記事を見たとき、あの時、実名を伏せてでもC氏の件が世に伝わっていれば、今回の事件は防げたのではないかと率直に思いました。一人の若者の命は救えたのではないかと。精神を病んで、さまよい、人知れず命を絶つような、本人にとってもご家族にとっても、非常にむごい、悲しいことはなかったのではないかと。 劣悪な労働環境やいじめによって精神を病んでしまっている本人は問題に立ち向かうことはできないので、周りの人がしっかりとしないといけないのは、このような状況に直面したご家族や関係者はもちろんわかっていると思います。しかし、やはりしっかりと社会的に声を上げることを、周囲の人々が考えて行わないといけないのではないかと考えます。それは、そうすることが本人のためだけではなく、社会一般において非常に重要な意味を持つからです。一般的にブラック企業においては、大抵、同じような事件が繰り返されます。それは、体質的・構造的な問題だからです。そういうことを放置することはやはり、第二、第三の犠牲者を生み出すことになります。 私は上記記事の件は、体質的・構造的問題が背景にあると考えます。行政は、一度、新国立競技場やオリンピック関連について抜本的に調査をすべきと考えます。平和の祭典か何か知りませんが、人の命を軽視した平和の祭典など欺瞞でしかありません。 2020年のオリンピックに関しては、ロゴの問題、競技場の問題などなど不可解なものが目白押しでした。そして、その説明も不十分で、現在の安倍政権の加計学園問題や森友学園問題の状況と全く同じです。まさにブラックボックスです。そして、そのブラックボックスの状態は何の進展も、解明もないまま現在の小池東京都知事に引き継がれ、続いています。そして、東京都などからの負担がいくらあるのか、また聖火リレーの順路はどうかという話だけが動いています。 現状を表現するのなら、ブロックボックスの中味はわからないまま、ベージュの包装紙でラッピングしただけという状況と考えます。別の言葉で言えば、オッサン政治にオバハン政治でラッピングしただけと私は考えます。それが小池都政の実像と考えます。本当にオリンピックの運用について、精査しているとは言えないと考えます。都民ファーストといっても、何を第一に考えているのかとやはり考えます。 2024年、2028年のオリンピック開催地について、名乗りを上げる候補地が少ないことが報道されていました。何のことはない、2020年に決まったことなど特別な価値がなく、安倍政権の手柄でも何でもないことがはっきりしています。むしろ、多額な財政負担と問題を抱え込んだだけと言えます。 特別な価値が喧伝されて、公的な多額の資金が動くことによって、そこに不正や利権構造がないかと言うことが、現状の本当のポイントと考えます。オリンピック開催費は、当初、言われていたものから何倍にもなっています。まるで原発に関わる資金と同じく、多額の資金が当初説明されていたものの何倍にもなって、湯水のごとく使われ、そして、いつもの通りブラックボックスで、何をやっているかよくわからないという状態です。3.11以来、原発のことは常に問題になってきましたが、いまだにその体質の変化を感じさせるものはなく、相変わらず同じままです。それと同じ印象を受けます。オリンピックも原発もやっている人が同じだからではないかと考えます。 オリンピックも同じようにブラックボックスを温存してそのまま進むのか、非常に注目点と考えます。そして、当然、今から厳しいチェックをすべきでしょう。そして、それが今の都議会にできるのかが、非常にポイントでしょう。3年後、終わってからでは遅いわけです。平和の祭典とうたうなら、そこにこれまであったような不可解な疑惑があってはならず、そして人の命が軽く扱われるようなこともあり得ないはずです。しかし、そうではないというのが、これまでの状況です。 なぜ一番、暑い7月にこのオリンピックが行われるのか、ということ自体、誰のためにやるスポーツの祭典なのか、実のところはっきりしていないわけです。アスリート・ファーストではないことだけは、確実と考えます。 | |
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