悪がはびこるには | |
[日本の政治] | |
2019年1月14日 23時52分の記事 | |
今の日本を観ていると以下のエドマンド・バークの言葉を思わずにはいられません。 悪が勝利するために必要なたった一つのことは、 善良な人たちが何もしないことである。
原文は以下のものです。 The only thing necessary for the triumph of evil is for good men to do nothing. この言葉を残したバークの考えと私の考えは違うかもしれませんが、今の日本を考えるとどうしてもこの言葉がぴったりとあてはまると思ってしまいます。 善良な人々が沈黙すれば、悪がはびこり、社会は麻痺、衰退していくということですが、バークの思想的背景とは別に、この社会の崩壊過程は古今東西、歴史の常でしょう。このバークの言葉の「悪」を「権力」と置き換えても意味は通ると思います。 権力が暴走するために必要なたった一つのことは 善良の人たちの沈黙である 善良な人々の沈黙で悪がはびこり、権力が暴走し、それは社会・国が滅びるまで続くわけです。その沈黙がもたらす悲惨さが目に見え、善良な人々がその悲惨さを自覚してもなおその悪の時代は続き、社会が悪とともに滅びるまで一度狂った歯車は回り続け、善良の人々の多くがその滅びに巻き込まれるわけです。そうなって初めて沈黙がいけないことと悟り、立ち上がるわけです。日本の戦後でいえば、戦後40年くらいまではそのような精神が日本に少なからずあったと思います。 かつてナチスが広がっていった当時のドイツもまた同じであったでしょう。反ナチ運動家のマルティン・ニーメラーは次のように言っています。 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった(Wikipediaより) 戦前の日本もまた同じであったでしょう。戦前にも平和を求め、権力や軍部の暴走に抵抗する動きはありましたが、226などの軍事クーデターや悪法によって弾圧され、善良な人々の声は消され、国は亡びたわけです。その善良な人々の言葉は武力や、非国民などの現在の反日という言葉と同義の同調圧力によって消されていったわけです。そうやって善良な人々が何もしないようにしむけたわけです。そしてその結果、国が亡びたわけです。 戦前、朝日新聞が軍国主義を擁護・推進したのは有名ですが、また今もその姿を朝日新聞やテレビ朝日に観ます。もちろん、戦前に新日本建設運動(国粋主義)といって暴走し滅んだ動きと、右翼革命政権と私が考える今の安倍政権は基本的に同じです。やっていることもまた同じで、最終的に目指すものは同じです。それは戦前への復古主義を標榜し、戦前を賛美しているのだから当然といえば、当然です。ただそれは思考だけのことではなく、実は系譜もまた重なるわけです。 そして、朝日は戦前同様、またもや善良な人々の声を抑えようとしているわけです。私はそう考えています。 社会を滅ぼす悪は何によってもたらされるのか? 簡単に以下のことがあると思います。もっとあるかもしれません。これは善良な人々が沈黙するときに生じることと考えます。 嘘をつくこと 保身にはしること 社会に対してごまかしをすること 社会に対して誠実さを欠くこと 不正に目をつぶること 嘘に加担すること 悪と利益を共有すること 平和を求めないこと(脅威をあおること) 人々の安寧に反すること かつて亡びた道をまた歩むのは単に愚かしさ、バカがすることです。戦争で一度亡びた国が、その後、平和を求め憲法にそのことを刻むのは当然のことです。しかし、その愚かで馬鹿げたことを歴史を忘れた民族は必ず繰り返します。そもそも、日本には歴史学がない、日本は歴史的考察ができない、そう考えます。だからこそバークの「悪が勝利するために必要なたった一つのことは、善良な人たちが何もしないことである」という言葉が、今の日本にぴったり重なると考えてしまうのです。 | |
このブログへのチップ 0pts. [チップとは] [このブログのチップを見る] [チップをあげる] |
このブログの評価 ★★★★★ [このブログの評価を見る] [この記事を評価する] |
◆この記事へのコメント | |
コメントはありません。 | |
◆この記事へのトラックバック | |
トラックバックはありません。 トラックバックURL https://kuruten.jp/blog/tb/katagiri/421071 |