生命の平等 | |
[日本の政治] | |
2019年7月20日 21時21分の記事 | |
参議院選挙も最終盤となりました。参院選と知事選は選挙期間が長く、選挙区の範囲も大きいので候補者やスタッフにとっては大変なのですが、この長い期間を振り返ると7月4日の公示日が遙か昔に思えます。そのように思えるのは、この17日間に日本の何かが変わったということを示唆していますが、実際、大きな変化があったと考えます。 公示日の翌日の5日、知人からある政党の演説会の模様が見られるとお知らせをいただきました。
その政党はれいわ新撰組で、7月4日に秋葉原で行われた同党の第一声の模様をYouTubeで5日に観ました。それまでその知人とは、同党について話題になっていたのですが、生の声をあまり聞いたことがなかったので、興味津々、そのビデオを観ました。 演説会では選挙区と比例代表の候補者がそれぞれ演説をしたのですが、内容は、山本太郎氏が演説会中に何度も述べていた「ガチンコ」という表現がぴったりのまさにガチンコですべてをぶちまける迫力がありました。平穏と平静を装っている現在の政治・経済・社会、しかしその内実はそこかしこにゆがみが生じている現実を、声を張り上げて訴えているというのが、各候補者の話しの本質でした。それらは、つくられた幻想によって迫っている危機を人々に気付かせず、またその危機に人々を追いやっている現実を打ち砕くものと私には思えました。そして、人々がその危機から脱するには「ガチンコ」しかないというのが、れいわ新撰組と山本氏の姿勢でありメッセージと思いました。そのメッセージはとても正しい。 同党がいかなる選挙結果を得るか、その結果について様々な注目点はあります。ただ、このことに以上に同党と山本氏には、もう一つ極めて重要なポイントとメッセージがあると考えます。 生命の平等 各候補者のお話しを聴いていて、そのお話しと声から共通して見えてくるメッセージは「私は生きている、そして生きたい。私はここに立ち、私は生きる意味を見付けた」というものでした。それは、自らの生命への自覚と生命の発露であり、それがありありと見えました。この生命にとことん焦点を当てている姿勢は、その後の演説でも一貫しています。このような自らの生命を自覚し、その生命を発露させている人たちは、他の生命を蔑ろにすることはありません。なぜなら、生命の意味を自覚しているからであり、人間とはまさに生命に焦点を当てることによってここまで発達してきたわけです。 私は、この演説会で候補者の木村英子さんがどのような話しをされるのかと興味を持っていました。そして、演説ではしっかりとした口調で様々なことをお話しされていましたが、そのお話しにはっきりと生命の自覚と発露、そして生きる意志を観ました。そして、その後、山本氏がお話しをされているのを観て、れいわ新撰組の本当のメッセージとテーマは「生命の平等」なのだと確信しました。 生命の平等とは、大富豪だろうがなかろうが、権力者だろうがなかろうが、健常者であろうがなかろうが、人種・男女の差なく、すべての人の命の価値は同じであると言うことです。そして、この生命の平等は、これからの時代に必ず中心的・根本的な哲学になります。この生命の平等は、民主主義のさらにその奥底の根本的な哲学であり、リベラリズムを内包したリベラリズムの上位になる哲学です。そして、それは、これまでの保守とリベラル、社会主義・共産主義と資本主義という対立軸から次元が上のものです。したがって、基本的に冷戦時代の延長であるこれまでの思想的対立軸は、時間と共に消えていきます。このことは、世界的に朝鮮戦争など冷戦の構造が終結していく趨勢と動きを同じくし、その思想的構造の終焉の先にこの生命の平等があるのです。日本においてこの生命の平等を中心的なテーマとした政党はれいわ新撰組がまさしく初めてですが、このことは日本の政治・経済・社会にとって大激震であるのです。れいわ新撰組はそのさきがけであり、これからこの生命の平等を体現したところが日本の中心となっていきます。 この参議院選挙でこの生命の平等への動きがついに始まったのです。 | |
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