五輪と停戦 | |
2024年7月28日 10時24分の記事 | |
ギリシャのオリンピアで都市(ポリス)同士の戦闘を停止して四年に一度スポーツ競技に参加するそれは神々に捧げる意味を持つ祭典であった。 今回のパリオリンピックでは、ロシア、ベラルーシの参加は認められなかった。もちろん一団体であるIOCが主催する大会であり、オリンピック憲章だってある。オリンピック停戦決議もなされているのだが。(古代オリンピック休戦協定の趣旨からすればその二国とも競技に参加し休戦する。ガザの戦闘も停止される。聖なる休戦である。) もちろん神に捧げるものがあるわけでなく、アスリートによるアスリートのための大会のようなのであるが。神聖なる競技大会というわけではない。 ポリス=都市国家=市民と同価値同一であった時代、戦争で苦しむ人々にとって休戦はどれほどの休息と平和であったろうか。今、ウクライナ、ガザ市民、そして内戦に苦しむ人々にとって停戦は代えがたい渇望であるのは何ら違いはない。 戦争が絶え間なく続く時代にあっても束の間の休息はあっていい、大切なものだと思う。 世界はウクライナ戦線、ガザにおいても停戦のいまだ見えない緊張が続いている。停戦を決める世界史的契機は何なのか、ギリシャ、マケドニア,ローマと世界史は支配が移っていったのだが、西側支配権対する多元国家秩序という構図が見える中、停戦への道程はなお遠いかの如く映ってしまうのだが。
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