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薩摩いろは歌  幕末編20 薩摩藩の周旋運動 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年7月7日 15時6分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌  幕末編20 薩摩藩の周旋運動
古賀宣子



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)



梗概・薩摩藩の周旋運動
 高崎猪太郎は九月晦日、岩国の湊で吉川家重役と面会。薩摩藩首脳部によって練られた吉川監物周旋策がひそかに始まる。


作者プロフィール:
ひっそり年金暮らしの老夫婦。


これまでの作品:
薩摩いろは歌 幕末編1 口上
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
薩摩いろは歌 幕末編4 久光入京
薩摩いろは歌 幕末編5 寺田屋事件 
薩摩いろは歌 幕末編6 舞台裏  
薩摩いろは歌 幕末編7 勅使東下
薩摩いろは歌 幕末編8 無明の酒
薩摩いろは歌 幕末編9 極密献策
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣
薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王
薩摩いろは歌 幕末編12 戦端
薩摩いろは歌 幕末編13 戦禍
薩摩いろは歌 幕末編14 八月十八日政変
薩摩いろは歌 幕末編15 生麦事件の総括
薩摩いろは歌 幕末編16 西郷召還
薩摩いろは歌 幕末編17 元治国是会議
薩摩いろは歌 幕末編18 長州藩処分問題
薩摩いろは歌 幕末編19 藩政改革



                  
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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌  幕末編20 薩摩藩の周旋運動
古賀宣子



一 勝海舟

 朝廷に発砲するなどということは「開闢以来古今未曾有之朝敵」である。
 そう発言したのは近衛忠房だが、長州藩の行動が朝敵とされる行為であったことは、衆目の一致するところだ。
 しかし、逆襲はそれほど心配されなかった。というのは、前年五月に長州藩が下関で行った攘夷攻撃に対して、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの四国連合艦隊による報復攻撃決行が知れ渡っていたからである。
 問題はこうした状況のなかで、長州藩を、どのようにして、いかなる内容の処分を行うか、であった。
 これについて一蔵は、久光了解のもと、藩主名義で朝廷に建白することを予定して起草したものを、京都の西郷吉之助に送っている。
 長州藩は外国艦隊の襲撃により敗戦一方であるとの報告がある。このような時に征討の兵を動かすことには、外国の攻撃に手を貸すようなものだから反対である。長州藩の罪は糺す必要はあるが、長州藩と外国との戦争に決着がついてから、熟評の上で、後世にわたって評価されるような「名義判然」とした処置を講ずることが最も大事なことである。
 これが薩摩藩の主張だ。
 しかし、この建白案が京都に届いた時には、すでに長州藩と四国との講和が成立した後だったため、吉之助からは、自分の判断で朝廷への建白を止めたとの返事がきた。同じ書面で吉之助は自分の考えを綴っている。
 長州藩は「狡猾」であるから、どのような企みがあるかわからない。だから是非「兵力を以て相迫り」、その際、長州藩が降伏を願い出たなら、わずかな領地を与えて、東国に転封を命じてはどうか。
「かなり強硬論だ」
 読みながら一蔵は苦笑する。
 吉之助の考えは、会津藩の主張とともに強硬論の最右翼ではないか。他からの情報を考慮しても、一般的な意見は、むしろ慎重論・寛典論にあるようだから。その背景には、厳しい処分に長州藩が抵抗して戦争となり、ついには内乱状態となることへの危惧があった。従って、内乱を避けるためにも、衆議を尽くして処分を決めるべきだという主張だ。一蔵が草案した建白書も、基本的にはこの主張と同じ趣旨である。
 この返書は九月七日付だが、この後、吉之助は九月十五日に、勝海舟と面談の機会をもったという。その模様を、吉之助は一蔵に宛てた九月十六日付の書状で報告してきている。宛てたというのは、無論これも私信ではなく、久光、茂久が読むことを前提とした公の手紙だからだ。
 面談をもつきっかけは、長州藩と講和を結んだ四国艦隊が、次は大坂湾に来航し、条約勅許と兵庫開港を迫るであろうと、もっぱら噂されており、その場合の対策を訊ねるためであった。
 勝海舟の答えは明快だったという。
 外国側はこれまでの外交交渉の経験から、担当の幕吏を軽蔑しており、幕吏では列国とまともな対応はできない。従ってこの際は「明賢の諸侯」が四、五人集まり、十分な兵力を結集させて日本側の覚悟を示さねばならない。それを背景にして、横浜と長崎の両港は開港とするが、兵庫と大坂については「筋道を立てて」談判を行い、きちんとした条約を結ぶべきである。そうすれば「皇国の恥」とはならず、かえって外国側は、条理に基づいた日本の主張を認めるであろう。これを機会に、天下の大政を確固としたものにするため新しい国是を定めるべきである、と。
 日本にとっての最重要課題である条約勅許と兵庫開港問題を、朝廷と幕府の支持のもとで、有力諸侯が主体となって処理にあたり、その過程や結果を基に、新しい国是を定めるという構想だ。
 これは有力諸侯が国政運営の中心に位置するというもので、今年の一月と二月に持たれた国是会議(いわゆる参豫会議)よりも、有力諸侯の立場は一層重い比重をもって位置づけられている。一蔵は文面を辿りながらそう感じた。
 吉之助はこの勝海舟の構想に、全面的に賛意を呈しており、「共和政治」と表現。一時的なものではなく、政治体制として持続させなければならないとも、述べている。とはいえ、この体制がすぐに実現するとまでは考えられなかったようだ。
 だから次に、こう述べている。もし実現が難しい場合は「断然と割拠の色を顕わし、国を富ますの策に出ず候わでは相済み申す間敷」と薩摩藩(有力藩も同様に)は、幕府と距離を保ち、藩国家の自立と富国強兵の道を進むべきであると明言。
 ようやく久光の考え、即ち薩摩藩の方針が胃の腑に落ちたようだ。吉之助が抱く幕府への過信を、小松帯刀とともに懸念していたが、それも払拭されたに違いない。
 そして、長州征討についても、それが当面の課題だとはしているものの強硬な処分意見は述べていない。
 勝海舟との会談で、長州藩処分問題がどのように語られたかは不明だが、勝海舟が強硬論を主張したとは考えられない。恐らく衆議で方針を定めるべきだというものではなかったろうか。
 それにしてもと、一蔵はしばし瞑目した。
姉小路金知や西郷吉之助を一度の会見で変説させるとは・・。
勝海舟が、岩倉具視とはまた違った意味で、一蔵の心に深く食い込んできた。


二 吉川監物周旋策

 もっとも西郷吉之助の方向転換は、勝海舟との会談によって啓発されただけではなく、小松帯刀の意見、即ち薩摩藩首脳部の影響や、長州藩が恭順論に傾きつつあるという情報がもたらされていることなどにもよるに違いない。
 十月八日付の書状で吉之助は、毛利家支族である吉川監物の周旋によって長州藩を恭順に動かすために、高崎猪太郎を岩国に派遣し、自身も芸州に出張する意志があると告げている。この吉川監物周旋策は、すでに今年二月に話しあわれていたもので、当然のことながら、小松帯刀の指示であろう。
 九月晦日に岩国の湊で吉川家重役と面会した高崎猪太郎は、自分が派遣されたことについて以下のように述べたという。
 弊藩(薩摩藩)と御宗藩(長州藩)は互いに「私怨」があって対立しているように世評では唱えているが、そのようなことはない。「攘夷」に関しては、長州藩の国論は「速ニ掃攘」であるのに対して、薩摩藩は、急速に攘夷はできないとするもので、「攘夷」を原則としている点においては「御同意」であり「緩急之違」だけである。
 禁門の変では、禁裏を守衛する立場上「無余儀」戦闘となったもので、その際に生け捕りにした長州藩士は「念入」に保護している。これに対して会津藩は、召捕らえた者の頭に「大釘を打込残忍刻薄」な仕打ちをしたことなど、人望を失う処置が多く、これから協力し合っていく相手ではないと考えている。
 このたびの長州藩の行動は「出先之面々」の「暴動」であると理解しているから、長州藩全藩を征討するつもりはない。内乱のようなことになっては、外国の術中におちいるようなものである。
 また幕府は「衰政」であり「覇者」の力がない。このようなときこそ「皇国之衰運」にいたることを防止するため、せめて「大藩たけなりとも手をつなき合」わなくてはならない。そのために薩摩藩は全力で、長州藩処分が寛典に済まされるよう、周旋にあたる覚悟であるから、吉川家も協力していただきたい。
 高崎猪太郎の発言は無論、薩摩藩の基本姿勢で、久光のもと小松帯刀以下一蔵らが、京都を去る前に熟談したものである。
高崎猪太郎と会談した後、吉川家では直ちに萩に滞在していた吉川監物に使いを派遣して、会談の模様を報告。折り返し領主吉川監物が高崎宛てに薩摩藩の周旋を願う旨の直書(十月二日付)を記し、それを持ち帰って高崎に渡した。
 大坂に帰った高崎猪太郎は、西郷吉之助に報告。その後、吉川家重役に、小松帯刀連名で次のような書状(十月二十一日付)を送った。
 監物公の周旋により、長州藩が恭順の方向となったことを、薩摩藩はもとより越前、熊本、尾張などの各藩にも伝えたところ、みな「望外之事」と喜び、監物公の忠誠に感服している。罪は罪として服さなければならないが、「暴論巨魁」を処分することで済むように薩摩藩は尽力したい。幕府がいかほど「苛酷之処置を申立」たとしても、諸藩は決して承知しないだろう。
 このように高崎猪太郎は、諸藩も寛典論に固まってきていることを告げたのだった。
 一方十月二十二日、征長総督徳川慶勝前々尾張藩主は、大坂城に諸藩重臣を集めて軍議を開催。無論、西郷吉之助も参加している。長州藩が謝罪しなかった場合は、十一月十八日をもって、長州藩総攻撃を開始することを決めた。
 さらに二十四日に西郷吉之助は総督に呼ばれて、長州藩対策について質問を受ける。そこで西郷は、高崎猪太郎から得た情報をもとに、次のように答えたという。
 長州藩は「暴党」と「正党」に分れている。そうした藩状もわきまえずに「正党」をも「死地」に追い込めるのは無策・拙策というものである。謝罪し帰順しようとしているものまで罪人扱いするのは「征討の本意」ではないであろう。むしろ帰順するように導くことこそが、征討の本旨ではないかと思う。
 そのように述べ、西郷吉之助は自分が岩国に行き、吉川家を通じて、長州藩が帰順するよう周旋・運動したい旨を申し出た。西郷吉之助の発言は、総督の意に適ったものであり、総督は西郷吉之助に脇差を与えて、長州問題を委ねる意志を示したという。
「吉之助本来の姿に戻りつつあるのう」
 書状を読みながら一蔵は、分厚い背中が躍動するさまを思い浮かべた。
 西郷吉之助は二十六日に大坂を出帆、十一月二日に広島着。ただちに岩国へ向かい、四日に吉川監物と会見して、片時も早く長州藩三家老(益田右衛門、国司信濃、福原越後)の「首級」を差し出して謝罪するよう申し入れたのだ。
 吉川監物は翌日家臣を萩に派遣し、西郷吉之助の言を長州藩に伝えた。長州藩庁が三家老に自刃を命じたのが十一月十一日。長州藩の四境に屯集した総勢一五万の諸藩兵(久留米、徳島、広島、鳥取、熊本、薩摩ほか)には、十二月二十七日に撤兵の命が下った。
 こうして第一次の長州征討出兵は、戦いを交えることなく終結したのである。


三 政局混迷

 征長総督徳川慶勝は十二月二十七日に追討軍諸藩兵に撤兵を命ずるとともに、使いを派遣して長州藩伏罪の模様と自身の長州藩処分意見を幕府に上申させた(使いの江戸到着は翌年一月十一日)。
 徳川慶勝の長州藩処分意見は、毛利父子の隠居と親族による家名相続、領地一〇万石削除とするものであった。この意見は、西郷吉之助らの寛典論を容れたものだが、徳川慶勝自身も同じ立場であったからである。しかし、このような総督の征討方針に対して、幕府と一橋慶喜は、はっきりと不満を示したという。
 総督の英気至って薄く、芋におい候は酒よりも甚だしきとの説、芋の銘は大島(西郷吉之助)とか申す由・・と。
 この徳川慶勝の処分意見が届けられる前に、幕府は大目付大久保忠宣、目付山口直毅を広島に派遣して、翌元治二年(四月慶応改元)一月四日に幕命を伝えている。それは長州藩主毛利父子と三条実美以下七人(実質は五卿)を江戸に差下す(江戸招致)こと、というものである。
 この毛利父子を人質にとり、直接糾弾するという、幕府の厳しい処分方針に対して、徳川慶勝は従わなかった。自分は将軍の黒印を受けて全権を委任された総督であるからと主張して・・。
 これ以後、とくに毛利父子の江戸招致とその当否を巡って政局の混迷が続いていく。
この間の事情を聞知した一蔵は、小松帯刀、西郷吉之助らの意見を踏まえた上で、久光・茂久に建言した。
 毛利父子や五卿の処分に関する幕府の暴命を防ぐには、筑前その他の諸藩に遊説し、諸国の連合を緊密にすべきであるとし、改めて元治国是会議を主張した久光の考えの重要性を訴えたのである。
 藩命を受けて一蔵は元治二年一月二十五日鹿児島を出立。吉井幸輔、税所喜三衛門も同行し、二月七日に着京。代わって西郷吉之助は在藩へ。帰藩した吉之助は茂久・久光連署の感状と拵刀を拝領し、二之丸勤務を命じられた。加えて岩山直温の二女イトと祝言を挙げ、慶事が続く。
 尚ここで先に、五卿移転問題に触れておこう。
 病死した錦小路頼徳と脱走して別行動をとる沢宣嘉を除く五卿の移転は、征長軍撤兵の一要件であり、西郷吉之助が下関で長州藩諸隊の隊長と直接会談したことなどの周旋運動により、九州福岡に移すことが吉川監物との間で合意されていた。しかし長州藩諸隊は五卿を擁立し、元治元年十一月十七日に長府に結集。十二月十六日に高杉晋作率いる遊撃隊が下関伊崎新地の会所を襲撃して、藩内戦に突入する。ここでついに五卿も移転を決意。翌年一月十四日長府功山寺を発し、十八日に筑前宗像郡赤間駅に渡り、しばらくの滞在の後、二月十三日に大宰府へ移ることになる。
 長州藩処分については、たとえば熊本藩の長岡良之助は、将軍が進発上洛し、各国有志諸侯が参集、とくに島津久光、松平春嶽、伊達宗城が一橋慶喜を補翼し「万事一和」の体制で基本を決めるべきであると述べており、徳川慶勝も朝命によって諸侯を上洛させ、諸侯の衆議で決するべきであると奏上していたという。
 また朝廷は、一月十八日に幕府に対して、長州藩の処分は「即今之急務、最皇国之大事」であるからと、将軍が速やかに上洛することを求めており、京都においての衆議が主潮流だ。
 ところが、こうした動きに対して、幕府は元治二年一月十五日、長州藩の今後の処置については江戸で行うので、将軍の進発はないと布達。ついで二十五日には諸藩主に対して、旧制に復した参勤交代(文久二年閏八月に緩和令、元治元年九月に復旧令)の厳守を命じた。長州藩処分を幕府の意志通りに行おうとしたのである。
 一蔵はこうした状況を着京後に把握。幕府の権威誇示のためだけではないか、と江戸藩邸からの情報に呆れた。
 続いて本荘宗秀と阿部正外の二老中が大兵を率いて二月に上京。彼らの目的は、一橋慶喜を江戸に連れ戻し、京都守護職松平容保と京都所司代松平定敬の更迭を実現することにあると。そのための朝廷工作の資金(賄賂)として三〇万両を用意しているという。
「江戸幕府の意図は、幕閣が政治の主導権を握る体制の構築であろうか」吉井幸輔が首を傾げる。
「幕府の権威を過信しとっとは明らかだ」
「時の潮流に逆らっておう」
 併せて吉井幸輔は、晃親王の言「天保以前の風俗に打ち返したく本心」を引く。
「一会桑による庶政委任体制を、幕議は自覚しておうのだろうか」
 国是に掲げられた目標を達成し、かつ国是を保証する体制として樹立されたのが庶政委任体制である。それを事実上解体させる行為に等しい。
「朝廷側の反発は当然すぎるほどだ」
 本荘、阿部の両老中が参内を命じられ、関白二条斉敬から「したたか圧倒せられ」て詰問されたときの様子を、一蔵が鹿児島藩庁に報告したのは言うまでもない。
「なんのために上洛したのか」と二条斉敬。
「筑波山挙兵後の水戸藩内の鎮静対策のため、しばらく一橋慶喜(水戸藩主徳川徳川慶篤は実兄)に御暇を下されたく、そのお願いのため上京致しました」
「将軍は昨年五月、慶喜を将軍の名代として滞京させるとの直書を差し出して江戸に東帰したが」
 禁門の変の際に慶喜は、禁裏守衛総督として将軍に代わって、長州藩から禁裏を守り、それによって天皇は宸襟を安んぜられたのである。
「当今の時節がら、どのような変事が起こるか測り難い時に、慶喜の御暇東帰など相ならぬ」
 二条斉敬は断言し、これをみよと将軍の直書を差し出した。
 すると返答に窮した両老中は、
「自分は新任の者であるから、よく事情がわからなかった」
そう言い繕う始末だ。
「現在も在任している老中水野忠精から、何も聞いておらぬ、のか」
 かえって関白に問い詰められ、両人ともただ「閉口」するのみだったという。
「そいどん、ちっと待ってくれ」と吉井幸輔。
「そもそも庶政委任体制のもとにおける国政運営の最高実務は」
老中を中心とした幕閣に任されることになっており、幕府は責任をもって職務を遂行することを原理原則としている。これが朝廷と諸藩の合意事項であった。
「重い責任の立場にあう老中がこんよな失態を演じておっては」
「もはや幕府には国政を担当すう能力はなしじゃな」


四 幕府滅亡之表

 三月二日、朝廷は武家伝奏を通じて所司代松平定敬に、次のように内達した。
 長州藩主父子・五卿の江戸招致を止めること、参勤交代は文久二年の緩和令に復すること、そして将軍が上洛して「永世不朽之国是」を熟評することを求める旨を。
 これは在京の薩摩藩首脳部(家老小松帯刀、家老岩下佐次右衛門、側役大久保一蔵)が協議し、関白二条斉敬、内大臣近衛忠房に働きかけてなされたものである。が、一蔵は、蓑田伝兵衛、西郷吉之助宛てに、朝彦親王への不信感を綴った。表向きは賛同しているが、蔭では「違背」していると。
 朝廷の要望に対して、幕府は三月二十九日に、将軍の進発はないとした前言をひるがえし、長州藩主父子が江戸招致の幕命を拒み続けた場合は、将軍が進発するから、諸藩は予め準備しておくようにと命じたのだ。
 しかしこの時、長州藩の内戦は高杉晋作ら改革派諸隊勢力の勝利で終結し、高杉らが主張する「武備恭順」を藩の基本方針とすることを、三月十七日に決定していたのである。従って長州藩が、毛利父子の江戸招致を受諾するはずはなく、成り行き上、将軍進発上坂となる。つまり、朝廷が求めた、国是を熟評するための将軍上京ではなく、長州藩征討を名目とする上坂に変じていくのであるが・・。
 その少し前の三月十一日、西郷吉之助着京。入れ替って三月二十二日に一蔵が帰藩のため出立するが、その間に吉之助とじっくり諸藩の様子を語り合った。
「幕威を恐れ、嫌疑を避けんと勤めおう諸藩が多く、久留米藩などもはっきいとした返答はなかった」
 上京途中、一蔵が遊説してきた感想を述べると、吉之助が声を落とす。
「黒田家も怪しゅなっておう」
「佐幕方が盛い返しておうのか」
 黒田家は、不遇の時代から一蔵らがずっと頼りにしてきた藩だ。藤井良節も今でこそ藩士として普通に勤めているが、お由羅騒動の処罰が下される直前に脱藩し、黒田家に匿われている。
「月形洗蔵等も必死に抵抗しておうごどだが」
「黒田長溥様が病中との事ゆえ」
「いずれの側に属すうかは別として、藩主の重し(意思)がいかに大事か・・」
「長州藩もある意味同様だ」
 薩摩藩も目下のところは、久光以下首脳部の方針でまとまってはいるが、気をつけねばと二人は沈黙した。
 それ以前、昨年三月筑波山に挙兵した水戸天狗党の敦賀での詳細な処刑の様子が伝えられたのは今年二月末。斬罪の武田耕雲斎ほか、約三百五十人が斬首となった。
 一蔵は幕府の扱いを「苛酷ヲ究、衣服ヲ剥取、赤身ニなし・・獣類ノ会釈」であると日記に綴り痛烈に批判。そして実に聞くにたえないこの幕府の行為は「是を以て、幕府滅亡之表」であろうと、腐朽した権力の末期的な無神経と残虐さを指摘したのだった。
 京都を発つ前日、一蔵は一通の書状を源助に託した。
「岩倉様の潜居宅を知っておるな」
 源助は以前、藤井良節の実弟井上石見の供をして、岩倉村へ赴いている。
 心得ましたと強く頷く源助に、気を付けて参れと送り出す一蔵。その一蔵が帰藩したのは四月三日。
 下腹を庇いながら出迎えた満寿子は、いつ産気づいてもおかしくない状態にあった。三男三熊(利武)が生まれたのは、その十日後である。元気な産声に喜ぶ暇もなく、江戸藩邸から報せが届く。
 慶応元年四月十九日、幕府は長州藩征討のため、五月十六日を期して将軍が進発することを布達したと。長州藩が「不容易企」をしているのが征討の理由だ。「武備恭順」の藩論のもとに、外国から銃砲を購入するなどして抗戦の姿勢を強めていることを、幕府が知ったからという。
 江戸城を発った将軍家茂は閏五月二十二日に入京。即日参内し、二十四日二条城を出、翌二十五日大坂城に入り、同所を長州征討の本営とした。
 参内の際に将軍に対して「防長之処置、逐衆議、言上之事」とする勅語が伝えられたが、幕府側はもとよりその意志はなかった。だからといって、確固とした方針があったわけではない。
 六月初めに、一橋慶喜、松平容保、前尾張藩主徳川茂徳、紀州藩主徳川茂承らが大坂城に会したが、特別な意見は出されなかった。彼等も幕閣同様に、長州藩は将軍の進発・大坂出陣に恐れをなし、自ら伏罪の使節を派遣してくることに期待していたのである。
 幕府が長州藩処置の意見をまとめて朝廷に奏上したのが六月十七日。その内容は、長州藩末家(毛利元蕃、吉川監物等)を大坂城に招致して糾問した上で処分策を決するというものである。
 この幕命が芸州藩を通じて徳山、岩国の両家に伝えられたのが七月九日。これに対して藩主毛利敬親以下、清末藩主毛利元純、長府藩世子毛利元敏、徳山藩主毛利元蕃、岩国領主吉川監物が山口に会し、幕命を拒絶することに決定。七月二十七日、芸州藩に使者を送り、毛利元蕃と吉川監物は病気のため、幕府の召命には応じ難いと告げた。
 こういった動きのなかで、薩摩藩は四月末から五月初めの時点で、早々と征長には非協力の姿勢を明確にしている。
 西郷吉之助は福岡藩士月形洗蔵に、幕府が薩摩藩に出兵を求めてきても「私戦」には派兵しないと語っており、一蔵も幕府の征討政策に冷ややかだ。長崎に出張して蒸気船と銃の買い付けに当たっていた伊地知壮之丞(貞馨)に、これからは「別而面白キ芝居」になるだろうから、「彼は彼、我は我」でゆくしかないと伝えている。


五 道ならずしておごる身の

 一方、藩の留学生とともに英国に滞在していた薩摩藩大目付新納久修、同町田久成に宛てた八月四日付書状でも、一蔵は次のように報告。
 まず幕府の長州征討出兵に賛成する藩はほとんどなく、熊本藩は先鋒を願い出て天下の笑い者になっていること。有志の者はもとより「匹夫」も反対しており、とても征長などできる状況でないこと。また閣老が、将軍進発は家茂が独断で言いだしたもので今となっては困ったことになったと、将軍に責任を負わせようとしていると。  
 そして将軍の進発となったのは、第一に会津藩が長州を屠(ほふ)って幕威を興張させようとしたもので、一橋慶喜、松平容保、松平定敬が閣老を援護して幕威を押し立てようとする見込みのようである。が、慶喜は限りなくいつわりであり、また閣老と一会桑三者、あるいは閣老同志が「一和」となっているわけでもなく「内輪之動乱」となることもあり得ると・・。
 一蔵が綴っている幕閣と一会桑に対する非常に深い不信は、とりもなおさず、久光をはじめとして小松帯刀、西郷吉之助、岩下佐次右衛門ら京都政局に深くかかわった薩摩藩首脳部に共通するものである。
 水戸天狗党を処刑した幕府の扱いを「幕府滅亡之表」と滅亡の前兆を指摘した一蔵だったが、その五ヶ月後のいま・・。
「幕府滅亡」は単なる「表」ではなく、幕府首脳部の腐敗、無能という権力中枢の崩壊現象に直面することによって、滅亡が現実となる時期が近付いていることを認識したのである。
 庶政委任体制下で、全国統治の責務を担うべき幕府首脳部が、その責務を全うできない状態となった時、日本全体がどのようになるか。一蔵の眼には清国の姿が迫って来た。
 日本はこのままでは、アヘン戦争後に欧米列強の圧力に屈しがちとなり、さらに太平天国の乱による内乱状態となって、植民地化の危機にさらされている清国の、二の舞となりはしないか。
 これは以前から久光が指摘している点ではあったが、あの頃はまだ、言葉として理解しているに過ぎなかった。が、今は、身体の内奥から震えが沸き起こるほどの危機感が、一蔵を捉えている。
 だから一蔵は、まさに「清国之蹤跡ヲ踏」に相違ないとまで手紙に記し、そのようにならないためには、何をしなければならないか、続ける。
 長州藩は以前の「所謂暴論過激之徒」が、四国連合艦隊に破れて以来、大方が目を開かされ、攘夷論を捨て「大ニ国ヲ開ク事ヲ唱」えるようになった。すでに佐賀、越前、土佐、宇和島などの「具眼」の諸藩は「断然商法等施行」している。これからは「各国(各藩)割拠之勢」が疑うべくもない。だから薩摩藩も富国強兵の術に手を伸ばし国力を充実させ、たとえ薩摩藩一藩だけでも「天朝」を護り奉り、「皇威」を海外に光り輝かせるような大策に着眼する以外にはないと述べ、ヨーロッパで買取りの注文をしている軍艦と銃を、早めに送るように要請したのだった。
「商法」とは外国貿易のことである。薩摩藩が文久三年から積極的に外国と交易を開始したことは周知の事柄であるが、その外国貿易を書中であげた諸藩も断然として開始したことを報告。それが富国強兵のための手段であり、割拠を支える基盤と主張する一蔵。従って、軍艦と銃は割拠のためのものであるから、早く送るようにとも。
 暴論を捨て、広く眼を見開いた新生長州藩も、割拠の道を歩んでいる。実はすでに七月二十一日に、長州藩の伊藤俊輔、井上聞多が兵器購入の斡旋を薩摩藩に依頼するため、長崎で小松帯刀と会談。この結果八月下旬に、薩摩藩の蒸気船胡蝶丸でミニエー銃・ゲベール銃三〇〇〇挺が長崎から三田尻に運ばれた。表だった動きのとれぬ長州藩も、間接的に「商法」を始めており、薩摩藩はそれに手を貸し、長州藩の割拠支援に動き出していたのである
 ここでいう割拠とは、幕府の支配・統制・庇護から自立することであり、富国強兵がそのための条件となる。政治的、軍事的、経済的に力をもってこそ割拠で、弱小藩では割拠とならない。割拠するのは有力藩である。
 ただし、割拠した雄藩間の対立や争いは、日本の独立を維持するためにもあってはならない。割拠した雄藩は手をつないでいかなければならないのだ。
 幕府が頼りにならないとすれば、そうせざるを得ないであろう。だからこそ長州藩の割拠に薩摩藩は手を貸すのだと。一蔵は文面には記さなかったが、そう伝えたかった。
 勝海舟と会談後に割拠を意識した西郷吉之助だったが、一蔵もここにおいて明確に<割拠>を宣言したのである。
 これは薩摩藩の基本方針の大転換だ。文久二年の久光上京以来、薩摩藩が一貫して主張してきたのが、朝・幕・藩の協調関係を基盤とした挙国一致体制の樹立であった。そして緊急の課題として、挙国一致での武備充実を目指していた。それゆえ、最大規模の軍事力を持つ幕府は、武備充実の牽引車として期待されていたのである。
 久光と小松帯刀・一蔵らの薩摩藩首脳部が、国是会議の解体と幕閣・慶喜に失望しながらも、庶政委任体制を容認したのは、まだ幕府の役割に一縷の望みを寄せていたからだ。
 しかし、幕府が国防軍であるべき幕府軍を、長州征討という「私戦」に振り向け、かつ諸藩軍にも動員を命じたとき、薩摩藩は幕府と縁をきることを決意したのだ。
 イギリス滞在の新納久修・町田久成に宛てた一蔵の書簡は鹿児島から発進されたものだが、同じ時期、在京していた西郷吉之助も、八月二十八日付の一蔵と蓑田伝兵衛に宛てた手紙で、同様の思いを綴っている。
 幕府は内紛で「自らたおれ候儀、疑いなき事に候」と、幕府の滅亡を予告。また当面の征長問題については、幕命による諸藩動員はとてもできそうにないから、幕府は「朝命」を下して動員をはかる工作に出るのではないかとも。
まさにその征長勅許が現実となったのである。
一蔵の心に「む」ではじまる日新公いろは歌が響動(どよめ)いた。

 
  昔より道ならずしておごる身の
        天のせめにし あはざるはなし


 おごる人には必ず天罰が下り、不正な富を得ても長続きはしないと・・。







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