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2017年7月9日 18時18分
視たことのない 流れ
先日 撮影した角地のあたりに貼られているもの


川なのか 水の無い道なのか いずれにせよ 蓋がされた ということになっていて
アスファルトの下は わからない

写真や動画なども 見たことがない


現存している・・見える道路

鬱陶

使っているもの かどうか  使わざるをえないのか 
それとも 迂回など とか  使うというよりも (頻繁に)観察とか



小路のほうには マンホールらしき蓋はあります

(水窪という名の川が あるのかどうか わかりませんが‥そのように言われているラインの)

源流は「1-23」「美久仁小路」のある近辺の「蟹窪とよばれる湿地」「約3.5キロの川」で‥

(そのあたり muonにあるかもですが)


最近 地図を眺めているときに
「東西南北」角度などがあてにならないような感覚をおぼえることがあり

くるくる回して 何かをみたり

以前は 単に 「方向音痴」だからと内部処理していたような気がいたします


(弦巻川と違い)「源流部を除いて流路がほぼそのまま暗渠の道となって残っている」ということで

実際に見たわけではありませんが 何かの道だけは遺っているのかもしれません?

環境 素材などの状態なども知らないわけですが


何かが 流れているのでしょうか?

何かが 流れてくるのでしょうか?


大通り沿いの某店とも近いですが そのポイント(からは)‥

標高は? 傾斜はどうなのか
どの方角に流れがついているのか いないのか?

店の裏(小路との間)に道が一本ありまして

思い出されるのは 振り幅の大きそうな「事件」があったこと
いつでしたか‥数年前になりますか

  ・

日本における「標高」  http://lowch.com/archives/1032

東京湾の平均海面を基準(標高0m)とした土地の高さ
海面は国会前庭に設置された日本水準原点(標高24.3900m)を基準点として測量され…

「海抜」は「標高」同様、平均海面を基準として計測
東京湾ではなく近くの港湾などの平均海面を基準としていることが多い

津波対策や高潮対策が必要な 海に近い地域での海抜表示などで用いるためで
近隣海面との比較が重要になるため

山の高さ 土地の高さ 一般的な地理上の高さを表す場合「標高」
海の近くで津波や高潮の災害対策に用いられる場合は「海抜」 が使われることが多い 

  ・

水辺 muon 2014)
『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』 本田 創 (著, 編集) より
…明治時代後期以降は江戸川橋の直前で、音羽谷東縁を流れる水窪川と合流していたようだ。もともとは護国寺下で水窪川と合流していたのが、江戸時代に護国寺の創建とともに参道と門前町が造られた際、谷の両端に分けられたといわれている。…
[カテゴリ:2017.7]




2017年7月8日 8時0分
カンセイ か
 

近所を うろうろしがち で 考え事でしたり・・
いろいろ うかんだり 脳内?での出入りが頻繁なときもあり

(川についての記述も 合間に少々目をとおしたり)



朝から ちょっと西口数箇所で 数時間 佇んでいる程度ですが  
いろいろと うかんだり 脳内?での出入りが頻繁なときもあり

目にしていたはずの風景が 別の何かに・・ くっきり とか
 
平面でもないのですが ある種の地図ように視える・・
そんな見え方(の利用法) というものもあるのかもしれません

けっこう (個人的)深淵なところにでかけたのかもしれず


早朝の路上 
交点でお仕事をされている方が 何かを話しかけてきた ので 
内容はまったく聞き取れず 朝のご挨拶だけ 笑みとともに

そして custuma cafeへ

以前から おひとり 陰陽(師)系 とうかんでしまう方 が 

私だと接客が乱れるのか? いらいらを隠せないようすでしたが
きょうは そこは 割合抑えられていたのでは(でも やりにくそうな)

いつも変わりないのは モロ片耳に集中される ということで・・
耳を見ての会話



入室 検索 まとめサイトに寄らせていただき
https://matome.naver.jp/odai/2139028391802587301

「右耳からのヒアリング」

店に入って注文しているだけなのですが
「人は右耳から頼み事をされるほうが…」「承諾」する

「電話」ではないのですが
「…右耳で聞くと、左脳に響いて記憶に残るためミスが減って、合理的に物事を進めることができる…」

「…左右されず、内容そのものをストレートに受け取るので…」

そんな感じに近い? のかどうか わかりませんが

(普通のカウンター上の 短かいやりとりなのですが)
何かをはらいのけて 事務的にさっさと進めねば という 何かが

(以前から)ありました



自分の場合も どちらかに首をやや傾けているなあ などと
気づくときもあり





間性(intersex)





[カテゴリ:2017.7]




2017年4月1日 10時42分
「4月1日」
 
わたしにとって 限りなく「嘘」の無いような 日   ほぼ100%
    ・・99%?  数字をいくつにしたらいいのか わからない



わずかなかたがた からの (根や枝のような) 浸透


  喝采




・・・・・・・・・・

昨夜から 眠気が少なめ



「命日」・・1988.4.1へ
「道場」という場所が のぞみだったのかどうか


「寒井」という名称の地は   栃木県大田原市寒井

「1988年3月24日上海列車事故 高知学芸高校の生徒が被害」
6年後製作された映像・・動画も確認 (事故から引き出す「年」)


Wikipediaの詳細 より たどって
川添哲夫(教諭 「上段の川添」という異名)享年38
上段の構え   天の構え 火の構えとも 

(平正眼の構え)

その年 ニュースを見聞きして あの教師が と
大変なショックをうけた すぐあとのことだった らしい

その他 「圧」のいろいろ・・ その後の展開 などなど など



わたしは 入学式に出席していない
(どれくらいか 相当数 通った地)




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2
記入時にgoogleマップも開いておりました

職員宿舎の上 ちょっと・・数十メートルくらい? 北 でしたか
緑の (やや)丸型 が ありますが そこでは
パター練習ができるような機能もあったような   覚えが


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
6
そのときは(所の関係?)「材木」町から出向いていただいた形
その後 数回 そちらに

建永元年(1206年)『稲木山観専寺』浄土真宗本願寺派

信願房(清和天皇の後胤、佐竹常陸介義隆の次男
稲木次郎義清:常陸稲木の領主)により建立

親鸞聖人伝道の際、梅の木に託して句を詠まれた時、
梅樹の梢よりしきりに雨を降らしたという『霊雨梅樹』があります。

[カテゴリ:2017.4]




2017年2月12日 7時58分
は い る
2020.5.14
それが下書き状態でしたのを公開設定に変更



11/17:04 muonに送付されなかった分(今日 送りなおし済み)



目白

1 11:30

2 11:32 あれ
[続きを読む]
[カテゴリ:2017.2]




2017年1月22日 7時57分
息抜き
おいしいと感じた  最近の数店舗ではそこ (2.11)



“FABRIC”ブレンドのほうは ブラック



シマシマ 

速度によっても 道筋 入射角などが異なりますか
いるポイント シマが置かれている場所 ・・時間(帯)?

屈折角 ですか・・



水滴に 大きいもの 小さいものがあるとして 
(中くらいとか 様様でしょうが) そんなふうに分けたとして

「雲」あたりから落ちる速度がちがう というような研究も
かつて されて

小さいものが 大きいのにぶつかって(反発) 砕ける 
というような  とらえかたをする時期があり

いや 小さいのは 大きいものの中をすり抜けるのだ 
とかいうような・・・・ (研究の持続)



どちらかに というのか   新たな 何か とか
  

割合  バランス 均衡    姿勢  意思  心持  道理    


イキヌキ 



[カテゴリ:2017.1 ]




2016年12月21日 12時9分
烏有
 
烏 有

そんな漢字をみたような気がしたのですが。 どこで。 どこに。


鎖鑰 さやく
鑰という字 始めて見ました(変換可) 「錠前と鍵」 ですか


言葉には 思わぬ意味が付いていたりするもので
何かがついてくる‥まあ タダほど アレなものもないかもしれません
.......................................
さゆう【左右】
<一> 
(1) 左と右。
(2) 自分のそば。かたわら。
(3) 態度をあいまいにすること。
<二> 
思うように支配すること。
.......................................


番号のあれで 役所に向かった日(煙突に向かう前) 東武裏側の
壁に貼りついた窓型ショーウインドーshow window の中に

西洋風の鳥籠が入っていたのですが 中にはなにも‥あれは カゴ自体を見て ということ?  たしか トビラも開いていたような

右隣の出窓に置かれていたものは 見事な手仕事品で
小ぶりのものでしたが 細部も眺めたくなるような感じの飾られかた(出っぱりの「窓」は同じ形だったような  たぶん)

ガラスの中に密閉されている(閉じ籠っているor閉じ込められている) 鉄枠

糸で丁寧に装飾された‥埃や何かが被らないように展示された 布

そんなふうに とらえることも 可能

また (鳥が)鳥籠の外にいても カゴに重なって見えるケースでは カゴ内にいるように錯覚する場合も なくはない‥

鉄格子の中に有るのは 烏 とか


(朝から 紙にメモをとっていたのですが 紙面が簡単に埋まってしまい)


昨日 20
前日午後 前夜 廊下が ざわついた ことだけでなく めぐるものごとなどもあり 睡眠1時期程度で

おでかけを どうするか? やめとこう‥でも などと
体調が微妙な中 でかけました

経緯など 気になるところで

16に 自分のおこなっていたポイントは ‥曰く「男手があたる場所」だから かわってもらった というようなことでした

そこに入られたのは12月から入場 のYさん
状況説明していただき(微量の申し送り) 労い など
(同じ頃入られたもう一人は 一度挨拶したきり 姿が見えず)

聞いて‥ 思うに‥‥
煉瓦を どのようにか 積み上げるにあたり 周囲に溝を掘らせ
そこに それらをぶっこんだ 的な  無造作な大量投入なのでは

Y:(電気屋系ではなく)前の現場では匠掘りの方 そして長野にも 二人  同姓

(電気のほうの Yチェーンは ある意味相当な覚悟を持って のぞまれているようで)


いつでも早退 などと思いながら 結局あれで (具合が悪かったのですが)

そのようなときには 動きがあるもので 消耗しそうになりつつ
(慣れている様子で)あれ

誰が どのような物事を起こしてくるのか 手を差し伸べるのか
はっきり 特定できるように お知らせして くれたり します

あれですか‥隙というのは 気づくこと みつめ続けること
修整 調整など と 「使う」こと ですか?


.......................................
さら・う
習ったことをくり返して勉強する。復習する。
.......................................
さら・う【攫う】
(1) すきをみて、うばいさる。
(2) ひとりじめにして持ってゆく。
.......................................


(心身の調和などを) 弱めようとはたらく方々は
わかりやすい力の誇示をしたり(逆とか)そうでなかったり と
見かけは様様ですが

タイミングをさりげなくねらって 弱まっている隙間や
弱いところが無くても 何かをやらかしてでも 入り込もうと 画策

わかりにくく みえにくい しらっとした 態度で(後ろ姿でも 背中や頭)総動員で (相手の)様子の観察

この国の  て ろ 系  というのは 「ゼン人」の装いかたといい
ギマンにミチ(そしてアフレはじめ) この上ないほどに アレ で

些細なことをきっかけにして はじまる (個人間)「  」日常茶飯事  その凝り固まりが 「史」をつくり


「ゆる」すことはできない というフレーズを 有効にしつづけたい
(相手に言わせて) タタかい好きな方々が・・・・・・・・・・
(いるようなので それを発し続けており また「  」す と発することも無理)


「ユル」されることをノゾまず 延延行いたいこと
その「オコナイ」のゼンテイ 。。。ホショウ。。。 どうでしょう?

(相手は誰かを「ころ」さないタイプだから でも自分は「やる」 などというのは 論外というより アレ)

とりわけ 独自カンが「  」の「  」ですと
「コロ」しても(されても)「     」ですとか?

どのみち あれだし「  」するしか。。というなら
あれでしょう‥   意思の尊重 ですか

「  」の「  」というのも 望み通りかに関わらず
キョウギに則った ソレ で 粛粛と なのでしょう

ベースのちがう処に住んでいる者には あれな世界 ですが


.......................................
さら・う【浚う・渫う】
川・池などの底の土砂をすくってとりのぞく。
.......................................

なんか。 さらっと とっかかりを と うちこみはじめたのですが。。
メモ外のことで長くなってしまい。


啓意 ということで
.......................................
さらけだ・す【さらけ出す】
ありのままをすっかり出して見せる。
.......................................


はてな は 行間や画像の修整等が果てしない ということもあり
こちらでも


烏有に帰す    「烏有」 「いずく(烏)んぞ有らんや」

 




2016年12月13日 11時21分
もともと “色” は ‥
11.1 14:38

撮る直前まで 虹色の何かはあったのですが 消えたようで

休憩中に写している方がいて (わたしも ちょうど持っていた とか そんな)


....................


「次の  」という感覚 とか

「  間」「  憶」「  実」とは? というあたりで

それらは あれで いろいろと あれ


そこそこ はなれているような場合には 特に


 




2016年12月8日 9時33分
つなぎ目
鉛を流し込む


2016年12月8日 9時33分下書き


2024.9.26公開
[カテゴリ:2024.9]




2016年10月1日 2時21分
スイホウ
 
年端の満たない者共が  騒々しく涌き出し 蠢く‘秋の夜’


お決まりのパターンに則ってしか 動くことができない者たち

“秋の夜長”の静けさ  情緒  情感
ゆたかな過ごし方をみつめることが‥あるのだろうか



ある『ハッケン者』の道より
 * * * * * *

東京の中野区を、西武新宿線という私鉄が走っている。その沿線の野方という駅から環七通りを北へ十分ほど歩き、丸山一丁目の四ツ角を右へ直進すると、道はほどなく、この一帯を蛇行しながら流れて神田川に注ぐ妙正寺川という川を、直角に横ぎる格好になる。そこにかかる橋を江古田橋という。

(2.26事件 昭和11年)


若い人にも ぜひ一度 その植物化石層のあるあたりを歩かれてみることをすすめたい

江古田の植物化石層
この地層は (当時の)気候風土 地形 のみならず
「日本が大陸から離れて列島になる寸前のありさまを示すものだ、と私は思っている」

関東ローム層との関係から、この寒系植物化石の地層の直後に堆積したと考えられる千葉県館山市附近の沼の地層は、暖かい珊瑚礁の海の生物の化石を包含している。なぜ生物にこのような極端な移り変わりが生じたのか、それは地学的な大変動があったからであり、その大変動こそが大陸から日本が離れたことを示すものだ、と私は思っている。

    *

昭和22年11月4日 かたくなに主義を守り通した裁判官が
栄養失調で亡くなるというできごとがあり

前の月にも 警察官が同様にあの世に旅立った

 * * * * * *



その レットウ

‘日本海’と呼ばれる域は ‘水疱’性の何かのようにもみえ

そちら側は ‘断ち切り’  
あちら側は ‘しわ寄せ’


‘浄化’装置は ‥      (各アルプス)

‘災害’の準備は念入りに 怠らず
‘優雅’に移動しては 何かの成功例として ‘大売出し’


‘水泡’の中で ぬくぬくと



‘おこす’‘おこした’‘おこしてきた’

‘発案者’たちは 一方で ‘おこす’ことはない
それは くすぐるような “プログラム” なのだろうか?

‘浄化’と名づけられた  ‘  ’行動  


‘泡’たちは ゆっくり   あるいは  一斉に  ?

‘道具’と化したまま 望み通りに 疑問を いだくこともなく


‘発案者’も 同様なのだろう


いずれも 内容に関わらず 全て“自発”扱いなのだろう
これまでも そうだったように




階下のことは見える  


ほかのことを記入したくなるのは・・どうしてか そこらへんは

もう わずかに残る‘自発’的感覚 としか 
いいようがないような




サイカイ〜スイホウ5頁 水-はてな に



2016年10月1日 2時21分下書き

2024.9.26公開
[カテゴリ:2024.9]




2016年9月30日 11時19分
ぼ け っ
 


ボケ?  アルイハ キオクッテナニ


(緒)「説」以前に 
‥何を見て(思って)(浮かべて)記入したのか?

何か違う地名を書いたような‥ 「出雲」 とかなんとか

設定によれば  そこは「妻」の「実家」らしい‥

そのあたりの記述を

どこかに「弥生」を あれだったかもしれないおカタ(マリ)
の ひとり

『学問への情熱』から (しょっ)引く
 * * * * * *

(大正12)1923.2.3
『目黒の上高地に於ける先史人類遺物及文化の化学的考察』

「私の病はぬきさしならないものになっていった」

(ある日医者から)
「これ以上化学研究をつづけると、命は保証できない」
(と宣告された)

「肺がぼろぼろになっていたのである」

「2年間懸命に勉強」「ようやく就職できた職場」
「3年間、おこたりなく勤めあげたその職場」

窒素研究所に退職願いを出し

(「結核療養所に入るお金をもちあわせない私は」)
しばらくして長野県 別所で「むしばまれたからだをいやす」

「ともかくも空気のきれいなところへ移らなければならなかった」が

「血のつながりのない」家に「長く厄介になれるわけがない」
しかも「伝染性の病気の持ち主」

郷里臼杵に帰る決心

志を立てて再上京から6年目の大正12年8月31日、東京駅発の夜汽車に飛び乗らなければならなかった私の心は沈みきっていた。

姫路で途中下車しようと、ふと思い立ったのは、明けて9月1日、その汽車が明石駅を過ぎたころだったと思う。

急に先生(後に「妻」)に会ってみたくなった と

住まいは 「姫路駅の東北およそ1キロ」 城近くの「五軒邸」町

その9月1日午前11時58分。この瞬間から東京・横浜両市の400万人の人びとは奈落の底におちることになった。

「知ったのは 先生の家に着いた翌日だったと思う」
(新聞の号外)

「東京にのこしてきたかけがえのない女性がいた」
(上野保線事務所にいるとき知り合った)

「近い将来結婚することを約束していた」が
「彼女も胸を病んでしまった」

「周囲からの意見もあって」「ひとりで臼杵に向かったのである」

「彼女はどうしただろうか」
「が、ちょうどその日」先生から「意外なことを打ち明けられ」

「恋人のことを気にかけながらも」 「いいですよ」と

翌年の冬 「十歳上の先生と私は結婚した」
「私が入籍」し 名字が 変わった


 * * * * * *


シュウソクのドラマをタダヨワセル …グループ


 * * * * * *


午後 小部屋にて少々の追加をしていた

別の場からの連絡待ちで電源を入れていたところ
14:23 メール送付先の増殖組から 電話が入る
(昼間にもかけられる ようす)

電話ができない場所にいることを告げつつ
いついつメールを送りましたが?と聞けば 通じていないようで

どうやら 「スタッフ相談室」メール窓口は機能していないらしい
(さわりを伝えて・・ 続きを読んだかどうか?)

なんとものんびりとした方  遮られたポイントをながめながら
一分くらい話してしまった   会話禁止の場所で

話したくない  関わりたくもない  でも 隙間に入り込む


踏んだまま 気づかない  気づいても踏みつけたまま


〜一般的「低レベル」しかも 「超」がつくそれは
 私にほどほどの体調をもたらす因のひとつ らしい〜

このような状況を 万人が我慢できるとは思えない

「自律改革」などと 悠長に掲げている間にも 
ギリギリで 今にもあれな方々が 沢山いるのでは

そうとらえることで なんとか しのいできた (という面)
(ずっと怒っていれば 伝わった?  そうでもないのでは)


このあたり よく「家族」系にも勘違いされてきたのだけれど
満足しているわけでもなく 膨大な怒りをかかえたままで

サラには なりようがない面で 全くおさまることもない

座を奪って どかっと座ったままの方々が どうにかしないと
起こしてきた方々が なんとかしなければならないこと

(災害などの)情報を伝えるだけで 済むとでも?

誰かが起こそうとしているのを 手伝う ということなのか
理解しがたい     ゆるしがたい

それらと 体調などを 離した   放した だけのこと


 * * * * * *


建物の管理人が 騒音に対して ナーバスなのか
赤太線(フリーハンド)囲みの記事を 貼った

それはミンパクについてのことなのだが



このあいだのアレは。。本当にひどかったのだけれど

たぶん旅行者が泊まっていたわけではないと思う

その件に関しては この部屋からは 苦情は入れていない



2016年9月30日 11時19分下書き
2024.9.26公開
[カテゴリ:2024.9]





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