2013年10月10日 8時51分 |
主体的に生きる上で重要な自分自身の「感情」という羅針盤 |
今に生きることは、自分の人生に主体的に生きることでもあると思います。 日々、勉強や仕事や育児などで様々なやるべきことがある中、その対象に埋没している自分がいます。 その中で、自分の方向性をしる重要な手がかりとなるのが、自分自身のもつ感情です。 我々は、与えられた環境の中であらゆる方向性に進むことが出来ますが、方向性というのは、常に意識的にわかるものではなく、我々の感情を通して間接的に知ることが出来ます。 キーワードは、「それが自分にとって心地よいかどうか」だと思います。 もちろん、日々の生活の中で、ストレートに心地よいと感じられることは少ないかもしれません。 仕事にしろ、勉強にしろ、家事にしろ・・・ でもそれは、自分が直面している現実に対して自分がどういう心境で対処していくのかという自分自身の心の置き方によって対処することができるものであって、今ここで言いたいのは、それとは別の視点からです。 つまり、自分が置かれた環境に対して、自分自身の心の置き方で感じられてきた現実に対して、自分の心がどう「感じているのか」という、感情によるシグナルです。 |
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2013年10月8日 8時43分 |
あらゆる次元における協調して物事を進めていく性質について |
我々が現実世界で生きるとき、例えば仕事なんかでも、あるプロジェクトのためにいろんな人が役割分担をして協力してすすめていくことがあります。 またそれは、形は違うにしても、学校や地域の町内会など様々なコミュニティでおこなわれていることですよね。 この一致団結して協力して物事を進めていくというのは、非物質界でもあったりします。 ただなんとなくそれをしているつもりでも、より大きな流れのために自分がそれを実はしていたということがあったりします。 私にとってのヘミシンクもそんな感じでした。 私はリトリーバル(救出活動)を盛んにしていたことがあったんですが、その時に、いろんな高次の存在に会いました。 これは、私の性格的な方向性なんかにも影響していると思うんですが、割と有名な方が多かった気がします。 ですが、ある共通点があったんですね。 それは、ほぼすべての高次が、キリスト意識に関係していると思われた点です。 特に、イエスキリストから見たキリスト意識ですね。 キリスト意識には、ブッダから見たキリスト意識もありますから。 これは、私の認識でもそうですし、例えばシュタイナーなんかも同じ認識をもっていたみたいです。 |
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2013年10月6日 8時43分 |
自分に正直に生きる |
最近、読者の方でよくメッセージをくださる方がいらっしゃいます。 お会いしたことはないんですけど、とても温かみのあるメッセージで、なんとなく心が温まります。 その方がメールの中で、与えたものが返ってくるというバシャールの言葉と、マザーテレサの言葉とを引用してくださいまして、それを読んで思ったのは、両者の発言がとてもよく似ているなと思ったことでした。 |
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2013年10月5日 5時57分 |
オーパーツについて |
今回は、いわゆるオーパーツが多次元的にみてどういう風にとらえることができるのかについてみてみます。 ここでいうオーパーツとは、それが作られたであろう時代には存在すること自体がおかしい出土品のことを言うみたいです。 これと、以下でご紹介する4つの写真を手がかりにしてリーディングをおこないました。 いつものように、主観的事実であり真実は複数の見方が可能であることをあらかじめ申し上げておきたいと思います。 情報源は、私独自のルートによるセスとの交信からです。 |
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2013年10月4日 6時57分 |
東京懇親会のお知らせ |
皆さん、たぶん忘れているんじゃないかなと思いますんで(笑)、もう一度告知させていただきますね。 東京ミニワークご参加の皆様へ、懇親会のご案内をさせていただきたいと思います。 |
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2013年10月3日 2時13分 |
個人リーディング結果のご紹介 |
今回は、先日の個人セッションのお客様に承諾をいただきましたので、その時の個人リーディングの結果を紹介したいと思います。 長いので私のコメントをいれずに、そのままご紹介したいと思います。 |
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2013年10月2日 1時1分 |
寛容性の中に感じる霊性 |
自分が話している相手がもしブッダだったら、イエスだったら、どんな態度をするのだろう。 あるいは、もし自分自身がブッダだったら、イエスだったら、どんな態度で臨むのだろう。 こんなことを感覚で味わってみるのも、たまには人間関係でよいスパイスとなるかもしれません。 私は、およそ人間関係において大切なのは、礼節を尽くすことだと思います。 それが、身内であれ、他人であれ、かわりはありません。 礼節を、思いやりの心、心配り、こういった表現に言い換えてもいいかもしれません。 誰でも、内側からにじみ出てくるものがあります。 その人物の話している内容うんぬんではなく、その人物の雰囲気、オーラなど存在全体が醸し出してくる「香り」です。 この「香り」に、その人物の霊性の程度が現れてきます。 霊能の程度は関係ないんですね。 |
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2013年9月29日 0時44分 |
大阪ミニワークの内容など |
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2013年9月28日 0時4分 |
ハイアーセルフに、高貴さの違いはあるのか? |
今回の話は、相当マニアックですので、やばそうと思われた方はスルーしてください(笑)。 今日の私のつぶやきに、違和感を感じられた方もいらっしゃるかもしれません。 それは、今観させていただいているクライアント様のハイアーセルフに、今までにない「高貴さ」を感じたというくだりです。 そもそも、ハイアーセルフに「高貴さ」の違いはあるのかということになってくるわけですが。 結論から言うと、あると言わざるを得ません。 「高貴さ」を「個性」と言い換えてもいいかもしれません。 言葉というのは不便ですね。 実際、非物質界の事柄に適切な語彙が見当たらないことはざらにあったりします。 この点、「高貴さ」を「個性」と言い換えてもいいのかという問題があります。 例えば、みなさんご存知のブッダがいますよね。 ブッダは、今でも、非物質的には存在しているんですが、ブッダの意識にフォーカスすると、同じようにキリスト意識を体現して地上に出現したとされるイエスにはない魂の深遠さがあります。 奥深さと言いますか、高貴さと言いますか、透明感と言いますか。 じゃあ、イエスのエネルギーは奥深さや高貴さや透明感がないのかというと、そんなことはないんですよ。 でも、あくまでも主観的事実ですが、ブッダの高貴さはイエスを上回ります。 ですが、それはブッダのほうがイエスより進化しているということではありません。 「個性」なんですね。 その意味で、上で高貴さを個性と置き換えることが出来るという言い方をしました。 これで伝わるといいんですが。 なにぶん、言葉というのは不便なものです。 直観的にダイレクトに伝えられたらどんなにいいか。 |
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2013年9月27日 1時51分 |
あらゆるものは変化し続けている |
この世のものは、たいがい、不完全に作られています。 光と闇、善と悪、正しさと誤り、男と女・・・ 光は闇との対比で初めて光としての存在意義が生まれますし、 善もある物事の一側面から見た悪との対比から生まれるものです。 物事の何が正しくて、何が誤っているのかについても。 そして、男だけでは不十分、不完全ですし、女だけでも不十分、不完全です。 いわゆる、完全性とは、この世には存在しないのであって、セス等の情報によれば、あの世でもそうだと言います。 つまり、あらゆるものは、何かになりつつ状態であって、常に変化しつつあるというわけです。 その変化の方向性というのは、様々であって、それが何であろうとも、そのもの独自の価値を生み出します。 |
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