改めるべきは一面的思考 | |
[日本の政治] | |
2016年1月23日 17時39分の記事 | |
先日の軽井沢でのツアーバス事故を受けて、国交省と警視庁による抜き打ちの一斉の緊急監査が行われた報道されています。このようなことが、もっと早く頻繁になされていれば、もしかしたらあのような事故はなかったかもしれないと思います。ただ、この国交省と警視庁による動きが、取り締まりではなく「監査」であることに甘さを感じます。法的に仕方がないことかもしれませんが、観光バス事業を免許制にするなど今後の政治の対応が問われるものと考えます。 「相次ぐ貸切バス事故を受け一斉緊急監査」(2016年1月22日 NHK)
本ブログ「軽井沢でのツアーバス事故に見る構造的な問題点」(2016年1月15日)でも指摘しましたが、今回の事故の背景には、明らかに2000年代初頭の規制緩和が深く関わっているものと考えます。規制緩和によって、バス事業に夢見る多くの新規参入者がありましたが、同時に、競争の激化によって経営が当初、夢見たようにはいかず厳しくなり、その結果、杜撰な管理体制を加速度的に増やし横行させたものと考えます。そこには明らかに、規制緩和によってもたらされた負の側面があるわけです。 しかし、規制緩和への議論がなされているとき、このような負の側面を真剣に考え、対処する姿勢があったかと言えば、それは希薄であっただろうと考えます。だからこそ、上述の一斉緊急監査が慌てたように行われるのです。本来ならこのような監査体制が、規制緩和時にしっかりと確立されてしかるべきなのです。物事の一面だけしか見ないことによって生じた現象の典型例でしょう。そういう意味で、今回の事故は、規制緩和によって生じたものと私は考えるのです。事故によって若い命を落とされた方々は、その杜撰な政策の犠牲者と言えると私は考えます。 このように良い側面だけが言われて進められた規制緩和は、明らかに物事の一面だけを見て進められたものなのです。本当なら今回のような構造を持つ事故は生じてはならないのですが、それが生じてしまったのは、規制緩和に落ち度があったと言うことであり、この「一面的思考」の故でしょう。その一面的思考は政治家レベルもありますが、メディアレベル、一般レベルでもあると考えます。 この一面的思考は、物事の基礎となることへの軽視も招きます。したがって、対象となったものの基礎が脆くなり、崩壊を招きます。この20年くらいは、このような一面的思考が非常にはびこっていると思いますし、大抵の場合、新自由主義的な思考にそれが見られます。 また、昨今の安保・軍事における問題にもこの一面的思考が明らかに見られます。拙著『この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体』(2015年 ビジネス社)でも書きましたが、安保法制などの議論でも、そこにはイケイケどんどんのアクセルのみの議論しかなく、ブレーキの議論が全くありません。アクセルだけでブレーキのない自動車がどうなるかと言えば、間違いなく暴走するでしょう。規制緩和の議論と同じように、かえって犠牲が多くなることは間違いないものと考えます。 この一面的な思考が、なぜおこるのかといえば、それは個別具体的なものに必要以上に焦点を合わせる思考にあります。それは、最重要な方針や最優先の中心的要素への視野をなくします。今回のケースで言えば、旅客事業でもっとも重要な安全ということから視野を奪うと言うことです。 また、全体性への視点も失いますので、バランスが必ず崩れていきます。そして、様々なところに歪みができてきます。 さらに、このような一面的思考は、ある利害関係者の利益の追求という側面が必ずあります。むしろ、このようなことが背景となっていることが圧倒的に多いでしょう。ですから、実は今回の事故は、かつてなされた一部のものの利益追求のために生じたと言うことであると私は考えます。このような構造は、戦争でも同じなのです。 そして、これが新自由主義の本質なのです。 | |
このブログへのチップ 0pts. [チップとは] [このブログのチップを見る] [チップをあげる] |
このブログの評価 ★★★★★ [このブログの評価を見る] [この記事を評価する] |
◆この記事へのコメント | |
コメントはありません。 | |
◆この記事へのトラックバック | |
トラックバックはありません。 トラックバックURL https://kuruten.jp/blog/tb/katagiri/345274 |