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都知事選の主要候補予定者4氏による共同記者会見を私はこう観る
[日本の政治]
2024年6月22日 23時32分の記事

都知事選が6月20日に告示されましたが、告示日の前日である19日に行なわれた都知事選の主要候補予定者4氏による共同記者会見が行なわれました。このことについて書きましょう。

・ 『【ライブ】東京都知事選立候補予定者が共同記者会見| TBS NEWS DIG(2024年6月19日) 』(2024年6月19日 TBS)

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この記者会見において出席者から放たれた言葉で、良いと思ったものは以下の2つです。
まず一つ目。この言葉が最高でした。


東京都知事として、東京のことを最優先で考えるのは、それはミッションだと思ってます。




これは蓮舫氏によるもので、上記ビデオでは55分20秒付近のものです。
この言葉は、民主主義の基本中の基本です。首長、為政者が責任をもって管轄する地域を最優先で考えることは、政治においては中核です。そうでなければ誰か他のもののために政治が行なわれる『売国』ということになってしまいます。
ただ、本当は、『主権者である都民、国民を最優先することがミッション』ということが民主主義、立憲主義においてはやはり適切で、政治においては基本です。『人あっての国であり、社会』なのですから。
そういう人あっての国、社会と言うことを忘れると、『国のために人がある』ということになって、先の大戦のように国体・国のために『一億総玉砕』と言って、国民が一人もいなくなる状態を追及しようという異常な状態に当たり前のようになってしまいます。もし、先の大戦で一億総玉砕になっていたら、その後の日本の繁栄はありませんし、国土は残ったとしても、そこに住むものは外国人で、別の国になってしまったことでしょう。
そうならずにすんだのは、阿南惟幾陸軍大将の献身をはじめとする鈴木貫太郎内閣が終戦に向けて最善を尽くし、昭和天皇が終戦の御聖断を下されたからです。昭和天皇は、昭和20年8月9日の御前会議で本土決戦になれば『或は日本民族は皆死んでしまわなければならなくなるのではなかろうかと思う。そうなったらどうしてこの日本という国を子孫に伝えることが出来るか』とおっしゃって終戦の御聖断を下されています。まさに人あっての国なのです。
このような過程を経て、戦後日本の発展と今の私たちの存在があるわけです。しかし、戦前・戦中においては、国民は国体や国のためにあり、『一億総玉砕』といわれ、当時は政治において国民が愛されていない、国民の存在が無視されているというトンデモナイ時代であったわけです。
蓮舫氏が『主権者である都民、国民を最優先』と言わなかったのは、都民ファーストとダブってしまうからかもしれません。もし、そう考えていたとしたら思慮が浅いと考えます。このほんの少しの表現の違いが、政治では雲泥の差を生むのです。
いずれにせよ、その都民ファーストが文字通り、都民最優先でやってきたかは私には疑問です。

この蓮舫氏のように他の3氏がどうして明言しなかったのか、それが不思議でなりません。コイケと田母神氏は『防衛』という軍事用語をさかんにつかってはいますが、『都や都民を最優先に考えることは使命』と明言できなかったことは、むしろ『防衛』という言葉をことさらに言いたかったからではないかと考えます。
もし、そうならば、それは防衛という言葉が優先して、『都や都民を最優先』ということが二の次になっているということと考えます。それはその『防衛』が『都民のためではない』という深層心理を物語るものと私は考えます。実はこれ、とても危険であると私は考えます。なぜなら、戦中・戦前とまったく同じだからです。
また、石丸氏はそもそも東京、東京都民を最優先に考えていませんから、このことばはそもそも出てくるはずはないと考えます。正直、どうして彼は都知事選挙に出てきたのかという疑問符がつきます。彼の発言には都民への愛情がまったく感じられません。彼の主張は昔あった『青年の主張』に見えてしかたがありません。そして彼が望むことは人から愛され、評価されるということと思えて仕方がありません。
石丸氏は、ネットで話題になり、そしてだからこそ安芸高田市長の職責を任期をまっとせずに投げだし、その話題性を踏み台にして都知事選挙へステップアップしたわけで、彼こそがそもそも国民に対する責任をもたず、自分のことしか考えない『政治屋』なのではないかと考えています。安芸高田市長をあと二期して、安芸高田市民から本当に感謝される存在になることが政治家としては、まずすべきことだったと考えます。

蓮舫氏はこの会見で『若者たちへの支援』ということを最大に押し出しています。それは良いことですが、しかし、若者以外の高齢者などについて重点をおいてはいませんでした。若者オンリー。
しかし、都民も、都も、若者だけで構成されているわけではありません。そういう意味では非常に偏った発言を終始繰り返していたわけで、これはかなり良くないものでした。これでは良い政治ができるとは到底思えません。
蓮舫氏の場合、若者なら若者、女性なら女性と強調したいところだけに目がいってしまい、その他は無視同然ということになる傾向があると考えます。このようになるのは、彼女の性格もあるでしょうが、これまで議員として『重点をおくことだけに専念する』ことでよかったという姿勢がここに出ていると私は考えます。そういう姿勢が『批判ばかりしている』と言われる根本のようにも考えます。
はっきり言って、批判ばかりしても良いのです。ただ、首長、為政者としてまんべんなく、分け隔てなく主権者を考えなければなりません。そういう愛情の方向性が彼女には見えない。それが問題なのでしょう。要するに彼女は批判の観点が狭すぎるということなのです。
現在の急激な物価高の中、スーパーで目の前の食べ物を買うかどうか迷っている高齢者の苦悩と絶望に少しは配慮すべきでしょう。また高齢で体が動かなくなり、認知能力も落ちているのに、それを『老害』と若者にゴミ扱いされる気持も少しは考えて上げるべきでしょう。
また、若者の低賃金、結婚できない状態は今に始まったことではありません。非正規雇用問題など20年以上続いている慢性的なものです。そうなれば、20年前に若者であった人々はすでに40歳を過ぎ、その人たちのことはどうするのか? そういうことが、彼女の視点にはまったくない。皆無。蓮舫氏には1つのことしか見えない。それが彼女の最大のネックなのです。


○ もう一つの良い言葉
もう一つの良い言葉は、田母神氏による以下の言葉でした。59分27秒付近のものです。


やっぱり所得を上げてやることだと思うんですね。実質の。じゃないと生活ができないから。なかなか魅力ある都市になりませんよね。政治は強い人のためにはいらないんですね。強い人は自分で生きていけるから。その弱い人たちが生活できるようになって、初めて都全体に活気が出ると思うんです。だから弱い人をいかにして救ってやるかということを、十分に考えてく必要があるんじゃないか。特に若い人ですね。




『特に若い人』という表現であれば、若者オンリーということにはなりません。
それにしても田母神氏の『政治は強い人のためにはいらないんですね。強い人は自分で生きていけるから』はとても良い言葉です。政治の基本です。『自己責任』を強調して弱者切り捨てをずっと推進してきた『右翼』とはまったく真逆の言葉を田母神氏が放ったのは、驚きでした。
この言葉は多様性の原点なのです。弱いものが守られなければ、強者だけが残ると言うことに究極的にはなります。それは、社会や世界が『強者』だけになるという多様性の喪失に繋がります。
ではなぜ、多様性を確保しなければならないのか? それは、その時の『強者』は未来における『強者』とは限らないからです。だから、状況が変われば、多様性を喪失した社会は、新たな状況に対応できない可能性がどんどん大きくなり、社会や人類という全体性を損なう危険性が出てくるからです。
このことは、『逆転の発想』やロケット開発で名を馳せた糸川英夫さんが、『ポピュレーション・セオリー』として30年ほど前に21世紀の哲学といって提唱していたことです。私はこのポピュレーション・セオリーをとても評価していますが、それでは、それはどういうものか?
ポピュレーション・セオリーの核心、人類は総人口の80億人で人類という1つの生命を形づくっているということです。このことは、同時に一人一人の存在は、平等に価値があるという『生命の平等』ということなのです。誰一人としてこの人類という名の生命から欠けて良い存在はいないということなのです。老若男女、富める者も貧しきものも、人類という生命において等価として必要である。そしてその多様性を維持して人類という生命を次の時代に繋いでいくと言うことなのです。
ですので『一億総玉砕』なんて言うのは、すべての命を殺すと言うことですから、この真逆のことなのです。田母神氏が戦前の自立を志向する保守が良いと言っているのですが、それはやはりおかしな話しであると私は考えます。上記で触れた昭和20年8月9日の御前会議で昭和天皇がおっしゃられたお言葉を少しは考えるべきです。
何よりも、先の大戦で国を滅ぼしたのは、その戦前・戦中の体制であるわけです。戦後に日本の自立性がないというのなら、その自立性を失わせたのは何よりも戦前の体制の失敗であるわけです。アメリカの責任ではなく、自分の責任。自分の責任を棚に上げて、アメリカの責任にするのは卑怯だし、なんの将来性もありません。このことの反省なくしては、復古して戻したところで同じ失敗を繰り返すだけです。そして、戦前回帰すればまったく単にそうなるだけでしょう。このようなことはわかりきっていることと考えます。

あと、弱肉強食、格差だけを拡大する新自由主義・市場原理主義もまたこのポピュレーション・セオリーに反することです。実に右翼と新自由主義・市場原理主義は人の命を大切にしないということでは、非常に親和性があります。
実際、右翼は『自己責任』ということで、弱者切り捨てを推進しました。弱者がいない社会なんていうのはこの世に存在しないのです。人々の能力は一様ではありませんし、病気などで誰でも弱者になってしまう可能性がありますが、そのような人々もすべて日本人、日本国民なのです。それでも弱者切り捨てをずっと主張してきたのが右翼であるわけで、要するに右翼というのは日本人を根本的には愛してはいないのです。それが右翼の本性。しかし、それは『一億総玉砕』を言った先の大戦での右翼と別段変わりはないということで、今も昔も右翼は日本国民を愛さないということには変わりがないのです。今に始まったことではなく、相変わらずその本質は変わらないと言うことなのです。
ただし、上記の田母神氏の発言はそうではないということなのですが、一方で同氏は戦前復古を言っているのですから、政治の根幹についてのその思想は矛盾しています。

10年ほど前から新しい時代においては『ポピュレーション・セオリー』がその時代の哲学になると申し上げてきました。そのポイントは生命にありますが、この4名の発言の中で、来る新しい時代を感じさせるものはありませんでした。


○ 誰が勝者か?
この4名による共同記者会見という一種の討論会での勝者は誰だったのか? 最終的な選挙結果は別として、純粋にこの一種の討論会についてということだけで見るなら、それは間違いなく蓮舫氏でしょう。討論会での『話し方、表情、服装、話しの内容』などを観るとそうなります。
ただ、このことが蓮舫氏の当選に繋がるかどうかはわかりません。実際、蓮舫氏が重点をおいた今の若者層は『ノンバーバル・コミュニケーション(非言語コミュニケーション)』の能力が低く、劣化しています。このことは彼ら・彼女らの将来においては極めて深刻な大問題を引き起こすと断言しますが、蓮舫氏の『話し方、表情、服装』が良かったとしても、それが蓮舫氏がウェイトをおいた若者層に理解される可能性は低く、この選挙においてはプラスにはならないと考えます。
それに若者層はしっかりとした考えはまだできていません。単なるノリとか、面白いと言うだけで動いている傾向がかなり強いと考えますので、若者にウェイトを置く蓮舫氏の言葉がどこまで彼ら・彼女らに届くかも、実は未知数であると考えます。
一方、コイケは、蓮舫氏と同じ『舞台』で勝負しても、残念ながらもはや勝てません。これが今回の共同記者会見で明らかになりました。また、コイケには明らかに自信がありません。それにどうして半袖で腕をだした服装にしたのかもわかりません。あれは『勝負服』だったのかもしれませんが、あれが『勝負服』という時点で実は時代に乗り遅れている、時代感覚がずれているように考えます。『ばあば』の服装になっていたように思います。
コイケが蓮舫氏と同じ舞台で勝負しても、勝負にならないということは、仮にこの都知事選でコイケが当選しても、今後のコイケ都政においては非常に大きな問題になると考えます。そして、それはコイケ支援を表明したものの足をすくうことになるでしょう。

次に、4名のポイントについて書きます。

(つづく)

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○ 『餓死した英霊たち』

○ 『世界で最初に飢えるのは日本 食の安全保障をどう守るか』

先の大戦も、現在も日本国民を大切にしない政治。この2冊がそのことを雄弁に物語ります。

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◎ 拙著です

○ 『この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体』



内容は今まで見たことのない国際情勢と世界史の分析で、2024年の世界情勢の根本要因が書かれています。この本とザ・フナイの連載をトータルで読むと、ロシア・ウクライナ情勢、パレスチナ・イスラエル情勢及び中東情勢、東アジア情勢など現在の世界情勢の本質が見えてきます。もちろん、日本国内の情勢も見えてきます。内外情勢は決して別々ではない。
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片桐 勇治(かたぎり ゆうじ)プロフィール
1967年生まれ。東京都出身。中央大学法学部政治学科卒。高校がミッションスクールの聖学院高校で高校・大学時代は聖書研究に没頭。
大学在学中から元航空自衛隊幹部の田村秀昭元参議院議員の秘書、以来、元防衛庁出身の鈴木正孝元参議院議員、元防衛大臣の愛知和男元衆議院議員の秘書、一貫して政界の防衛畑を歩む。
2005年から国民新党選挙対策本部事務局次長、広報部長を歴任。2010年より保守系論壇で政治評論を行う。 yujikatagiri111@yahoo.co.jp
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