歴史の境界においてはこれまでの常識は通用しなくなる? | |
[日本の政治] | |
2019年2月22日 23時48分の記事 | |
昨日の本ブログ「歴史の境界においてはこれまでの常識は通用しなくなる?」(2019年2月21日)の続きです。
このような状況を観れば、小川議員のようにINF全廃条約離脱やイラン核合意離脱を理由に挙げてトランプ大統領を批判するのはおかしなことなのです。トランプ大統領の朝鮮戦争終焉の方向性と同じ中にあるのが、INF全廃条約離脱やイラン核合意離脱、シリア撤退の方向性、アフガニスタン撤退の方向性、そしてNATOからの離脱の方向性であるわけです。 つまり小川議員のあげた理由は、実は米軍の世界展開の終焉を批判するものであるわけです。そして、それは第二次大戦後、いまだ残る冷戦構造を温存しようとするものであるわけです。もちろん、それは戦争を温存する方向性であり、新しい状況、新しい時代へ対応するものではありません。 日本(安倍政権)がトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦したと言うことは、それまで安倍政権がとってきた東アジアでの外交政策が完全に失敗したことを示す証です。このことは対露政策にも、対朝鮮半島政策にも、そして対米政策にも共通することですが、問われるべきはこの外交政策の失敗であるのに、その失敗の証を批判しては、そもそもの失敗した政策を逆に追認するということにしかなりません。これではその破綻した政策をむしろ肯定することになるわけです。要するに小川氏と安倍政権の本音は同じと言うことなのですが、これこそが元来の対米隷属路線と言われたものなのです。 この路線こそまさに国益を害する方向性で、長妻氏はこの路線からはずれたことを国益を害すると言っているわけです。つまり、従来の対米隷属路線が国益に適うと言っているにすぎません。 つまり、小川氏と長妻氏が言っているのは、戦後構造(朝鮮戦争の構造〔日米同盟、冷戦構造〕)が大きく変化していることを知らず、ずっとその構造が続いていると思い込んでいる世の中に対して、その構造から離脱しようとしているトランプ路線を対米隷属と批判することによって、実は従来の対米隷属路線を肯定・強化しているということなのです。 これが政権批判だけを考え、国際情勢を知らない無知故に出てきた言葉なのか、それとも意識的に戦後構造(朝鮮戦争の構造〔日米同盟、冷戦構造〕)を継続させるためなのかはわかりません。しかし、この小川氏と長妻氏の発言を見たとき、55年体制という言葉を思い出したことは事実です。55年体制は保守合同と冷戦にあわせるように保革対決が特徴ですが、冷戦下の西側に位置し、同時に朝鮮戦争の後衛基地である日本において、この保革対決の55年体制は、この左右の範囲内に国民の選択肢を収める装置という側面があったと考えます。55年体制・自社馴れ合いということはかつて結構言われていましたが、このような側面は少なからず当然、あったものと考えます。 ただ、昔はこの保革対決も緊張感があったように思いますし、それは上記の小川氏や長妻氏のように対米追従・隷属と批判して、その実はこれまでの対米隷属を肯定するという露骨なものではなかったと考えます。この両名について私の考えが間違っていればと心から願いますが、今後、両名が所属する立憲民主党が安倍政権をどのように追い込み、批判していくかということはしっかりと観る必要があるのは確かでしょう。このことに立憲民主党の本質がはっきりと読み取れるでしょう。 私の考えが間違っていても、国際情勢を知らない無知と言うことは隠せないものと考えます。政治家として、東アジアの将来についてのビジョンがあるのなら、朝鮮半島和平をなぜ安倍政権は積極的に率先して牽引しなかったか、ご本人がノーベル平和賞の候補になるように動かなかったかと本当は批判しなければいけなかったわけです。実際、この私でさえ2年以上前から朝鮮戦争の終焉を分析し、その和平に日本は動くべきと述べてきたのですから、一流の政治家ならそのくらい言えても当然です。 また、小川氏は核問題を引き合いに出していますが、まず言うべきは日本の核問題のはずでしょう。小川氏の質問をトランプ大統領が見たら『そもそもお前の所はどうなっているんだよ』と言う言葉が頭をよぎってしかるべき発言であるわけです。 まだ、立憲民主党には東アジアの未来をどうするか、いかにこの地域での平和を築いて行くかというそもそものビジョンがないと考えます。少なくとも戦後構造(朝鮮戦争の構造〔日米同盟、冷戦構造〕)を温存するというレベルで、それは安倍政権とほとんど変わらないレベルと考えます。歴史の境界においてはこれまでの常識で物事を判断すると、実は想定とは全く違う方向に向ってしまうのです。 「基本的には変わらない?」(2019年2月17日)で書いたように、経緯から見てトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦することは、安倍首相ですら本意ではなかったでしょう。本位であれば、文在寅大統領のように早々にそのことを自ら昨年の米朝首脳会談前に表明していたでしょうし、米国から要請があって、数ヶ月してそれに応えることもなかったでしょう。このタイムラグも実はこのノーベル賞推薦という行為の本質を示すものなのです。もちろん、日本(安倍政権)のノーベル平和賞推薦が安倍政権の優れた外交感覚を示すというようなことは全くありません。この行為と一連の経緯が示すことは、安倍政権の外交失策とその行き詰まりの証なのです。そのことを批判しなくてはいけないのですが、日本の政界、野党、マスコミは全くの無能ぶりを鮮明に露呈しています。事実、このことは日本の政界、野党、マスコミが安倍政権と同じレベルであることを示しています。もちろん、この件をもって安倍政権の外交感覚が優れているというのは、単なるバカでしかありません。 上述の立憲民主党の議員の発言と、同党結党の引き金となった希望の党代表の松沢氏の発言が、以下のように奇妙に一致しています。 松沢氏は一時、東京都知事選で石原慎太朗氏の後継になったと言われましたが、そのような方が以下のように発言するのは、ある意味、当然と言えるものです。そして、それを朝日新聞が掲載するというのも、実のところ違和感がないことでもあります。 歴史の変わり目では、色々と本質が見えてくるものだなと改めて思います。 「(#政界ファイル)希望の党・松沢成文代表『トランプさんのポチでは問題』」(2019年2月22日 朝日新聞) 「歴史の境界においてはこれまでの常識は通用しなくなる?」(2019年2月25日)へ続く。 | |
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