東京五輪に意味があるのか? | |
[日本の政治] | |
2016年4月8日 23時54分の記事 | |
東京五輪の費用が、当初見込みの3,000億円を超える額になると報道されています。コンパクト五輪と銘打ったこの催しは、今や当初予算の6倍以上はかかると言われ、その大半が税金による補填と観測されています。 「東京五輪費用負担の枠組み見直し、実務者で協議 」(2016年3月31日 日刊スポーツ)
東京五輪については、この1年でエンブレム問題、新国立競技場問題の費用問題、聖火台が考慮されていない新国立競技場など、これでもかと言うほど、問題が浮上してきています。その上、一部では1兆8千億を超える運営費用がかかると言われており、さらにその大半は税金による救済とも観測され、そもそも一体、何をやろうとしているのかわからなくなっている状況と考えます。 開催まではあと4年ありますが、運営費用はこの額でも収まらないのではないかと考えます。その費用負担の大半は税金によるものになるでしょう。むしろ、現在のアベノミクスの失敗による経済情勢から考えれば、税負担の割合はさらに増える可能性もあります。 1ヶ月程度の祭典によるダメージはかなり大きなものになるのではないかと予測します。そして、オリンピックの後には必ず不景気が生じます。オリンピックで活性化しない経済が、それが終わった後、追い打ちをかけるように不景気が襲う状況が想定されます。その状況は目も当てられない状況になるのではないかと危惧します。 本当は、これから現状、壊れてしまった経済構造を立て直すためにじっくりと施策を行うべき時ですが、この一過性の祭典のためにさらにバランスを逸する可能性は非常に大きいものと考えます。この3年間で現政権が労働問題にしっかりと対処していれば、ここまでひどくはなかったでしょうが、今や時既に遅しです。 東京五輪に向けて選手の強化などに多額のお金がかけられていますが、それも大会が終わればなくなります。大抵の場合、その後は成績が低迷しますが、それと同じことが経済・社会においても生じると言うことです。もしかしたら、こちらの方が選手の成績よりも大きな低迷を東京五輪後にするものと考えます。その時、このことに責任をとるものはいません。現状の東京五輪の運営に関しても責任の所在があまりにも曖昧です。それよりひどい無責任が大会後に必ず露呈するでしょう。 一体、何のために行われるのか、現段階で既に不透明になっているものと考えます。この大会でのお金の流れは今からしっかりとチェックすべきでしょう。当然、責任の所在についてもその対象であるのは言うまでもありません。 | |
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