明らかな人材難 その理由は? ? | ||
[日本の政治] | ||
2021年2月19日 2時18分の記事 | ||
昨日の本ブログ「明らかな人材難 その理由は? ?」(2021年2月18日)の続きです。
国民不在、アスリート不在のコメント 上掲の番組でのコメントを観て、結局、森氏の意向と森氏・橋本氏の政府・政権、財界との関係というポイントは出てくるのですが、一番大事な国民ということがまったく出てきません。国民の納得という観点がまったく希薄なのです。 IOCと契約しているのは東京都です。東京都民が今回、オリンピックを開催する主体です。であるのに、五輪組織委員会会長の人事選考については非公開とされ、都民はまったく知ることができず、その前は森氏が勝手に川淵氏を選任するというワンマン(私物化)ぶりであったわけです。まったく、東京都民には内容が見えないのです。これは、民主主義の完全な否定です。明らかにおかしい。東京都民の問題として、透明性の確保 これは絶対条件だったことは間違いありません。これでは都民が何も判断できません。まさに愛知県のリコール署名ねつ造問題と同じく、完全なる民主主義の否定です。 また、国からお金、つまり国民のお金が投入されるのに、まったく五輪組織委員会会長の人事選考の透明性が確保されていないのです。これでは、国民がお金を出す判断できません。 であるのに、都知事の小池氏は何を言っているのかわからないお粗末さ。結局、人事の公開を実現できませんでした。都民の代表、IOCとの契約主体の代表者としてこれはものすごい失態です。 とにかく、この五輪組織委員会については国民不在の側面が極めて強くあります。上述の『バイキング』も後任人事ついての森氏の納得を主張したり、森礼賛はするのですが、国民という視線はホントに希薄です。 会長就任の橋本氏は、森氏と非常に親しい関係です。上記バイキングですら森氏との師弟関係が言われています。また、リテラの記事では以下のように書かれています。
要するに橋本氏の人事は、川淵氏で頓挫した森人事の第二弾なのです。やはりここにも当然のごとく『私物化、院政』というものがつきまとうわけです。これで透明性に前向きでない五輪組織委員会というのですから、さすがにトンデモナイ組織としか言えません。 橋本氏の人事については、賛成する人もいるでしょう。しかし、橋本氏のキス問題がこれだけの醜聞ですから、橋本氏会長就任を反対する国民は相当数になります。そういう人々の存在は『バイキング』の上記の発言では完全に無視されています。あくまでも焦点が当てられているのは森氏の納得と政府との連携だけなのです。 「『「女性蔑視」森の代わりに「強制キス」橋本』 海外メディアが『セクハラ問題』続々指摘」(2021年2月18日 JCASTニュース) また、この橋本キス問題を見ると、橋本氏がそもそもアスリートファーストなのかと疑問を持ちます。同氏は確かに元アスリートですが、このキス問題は、むしろアスリートを尊重しないことを物語っているように思えて仕方がありません。そこに森氏と同じ私物化の臭いを感じます。君臨する特権者。だから、このようなキス問題が生じたと考えます。単なる性欲の異常な強さの問題だけではないでしょう。 『バイキング』ではこのような国民の視線やアスリートの視線が極めて希薄で、森氏の納得と政府との繋がりが際立っているのです。まさに国民不在、アスリート不在の議論であったと考えます。 国民の一人である坂上氏が、国民の視線を強調しないでどうするのかと心から思いますが、そもそも同氏は普通の国民ではない(=上級国民)と思っているのではないかと考えます。 森氏は元々産経にいたわけで、当然、『バイキング』はそのフジ・産経に中にあるわけです。そういうことでの上記のような『バイキング』の内容なのでしょうか? そして、その番組を作る坂上氏は普通の国民ではない上級国民で、フジ・産経の意向の下、発言していると私は考えます。 あと元JOC参事の春日氏が、この番組にも案の定出ていましたが、コメンテーターとしては下の下、なぜ、このような方を出すのか疑問でなりません。やはり、これも上級国民というカテゴリーの問題と私は考えます。 「(私の履歴書)森喜朗(7) 産経入社 『本田が4輪進出』特ダネ 日本工業新聞で企業取材」(2012年12月7日 日本経済新聞) 明らかな人材難 その理由は 五輪組織委員会会長。森氏の後任は橋本氏ですが、とにかく就任前から醜聞が言われているわけです。それでも会長にするということは、よほど森氏の意向が強く働いているのでしょう。すでに方々で言われているように、橋本氏は森氏に近い人物です。そして、五輪組織委員会は明らかに森氏に私物化されていると考えられることをこれまで指摘してきましたが、その後任に森氏に近い橋本氏では単なる傀儡でしかないわけです。 森氏、橋本氏、新五輪相の丸川氏は皆、旧森派、清和会です。明らかに偏りすぎで、橋本氏が仮に離党したとしても、18日に離党した同派閥の白須賀氏とはまったく意味が違うでしょう。 「離党の白須賀議員に憤る地元 重なる不祥事『臨界点に』」(2021年2月18日 朝日新聞) それでいて、橋本氏の醜聞であるわけです。本当に人材難なのですが、人材がいないのではなく、他からの人を容認しないから、このような人材難になっているわけです。これは、権力の集中化、私物化、そういうところに人材難の本質があるわけです。権力の集中化と私物化によって、日本側のオリンピック体制に明らかな多様性の喪失があると考えます。 ジェンダー問題は、人類の半分の問題です。大変に大切な問題です。ただ、このような権力集中、私物化、独裁化の問題は、一部の特権階級以外の人々、人類のほとんどの人々の問題なのです。実はジェンダー問題より権力の集中、富の集中の問題はさらに大きな問題なのです。そうすると、この五輪組織委員会会長人事の問題は、ジェンダー問題以上に、実は権力集中、私物化、独裁化の問題が本質なのです。 しかし、世の中、橋本氏の会長就任はジェンダーと言うことで、本質的な論点がすり替えられてはいないでしょうか? ここは、明らかにジェンダーをいう人々の本質も問われ、実は焦点になると考えています。 女性を入れたり、ゲイを入れたり、異人種・異民族を入れても、利益を共有する一握りの特権グループであるのなら、それは多様性にはなりません。むしろ、多様性の仮面をかぶった独裁、私物化となるのです。そのようなことを許して、多様性と言うことはあり得ませんし、そのようなエセ多様性は必ず社会を衰退させます。 最近、SDGsと言って、『サステイナブル・ブル』とCMでやっていますが、こういうエセ多様性はサステイナブルではないし(支持できない)、サステイナブルではない(持続可能性はない)のです。なぜなら、このエセ多様性の本質は画一化だからです。 社会の発展や安定化のためには、多様性は絶対必要条件です。そのことをザ・フナイの連載では一貫して最重要テーマとして何度も何年も前から申し上げてきました。しかし、現在の日本のように、他から言われて、自分で考えないで体面だけ整えるエセ多様性は間違いなく社会を衰退させます。 SDGsとかと、他人から言われることを何も考えないでやるのではなく、多様性とは何かを自分たちで考えなくてなならない、さらに世界中で考えなくなてはならないのです。そして、その結果出てきた多様性の解が、多種多様あってしかるべきなのです。それが多様性というものなのです。何かの基準に合わせるというのは、そもそも画一化・平準化ということなのです。ですので、SDGsは必ずエセ多様性(画一性)を生み出し、社会を衰退させます。最近よくいる型にはまっているがモラルがない人というのは、この典型でしょう。モラルがなく、考えていないが、基準を満たす人々です。使い物にならない害悪。 社会が発展・安定しなければ個人の発展・安定もありませんが、個人の発展・安定がなければ社会の発展・安定は絶対的にないのです。そしてエセ多様性を含め、多様性のない社会は、個人と社会の両方の発展・安定を失うのです。それが戦前・戦中の日本なのです。 社会の発展・安定のために人々の命をいかに輝かせるかを真剣に考えなくてはなりません。もちろん、そういうところには、私物化とか院政とかというものは、微塵もないのです。 | ||
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