くる天 |
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プロフィール |
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板垣英憲 さん |
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 |
地域:埼玉県 |
性別:男性 |
ジャンル:ニュース 政治・経済 |
ブログの説明: 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速報する。板垣英憲の過去著書も連載します。*定期購読月額1000円
板垣英憲マスコミ事務所
http://www.a-eiken.com |
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女性起用最多5人を「目玉」としているが、「女性」に目を奪われてはならない。うちの3人は「二世議員」である。岸田首相は、麻生・茂木の呪縛から逃れられず、本命の「目玉人事」を逃していた。 |
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女性起用最多5人を「目玉」としているが、「女性」に目を奪われてはならない。うちの3人は「二世議員」である。岸田首相は、麻生・茂木の呪縛から逃れられず、本命の「目玉人事」を逃していた。
◆〔特別情報1〕 岸田首相は13日、第2次岸田再改造内閣の顔ぶれを発表した。 これについて自民党二階派「志帥会」重鎮は開口一番、「ダメだね。これでは全然(支持率は)上がらないだろう」と発した。まず、林芳正外相を外して上川陽子にしたことは、全く評価できない。何もやらない岸田政権で唯一、林外相が成果を上げていたといっても過言ではない。林外相の外交成果で、岸田政権は維持していたところがあった。その林を退任させて、上川に替えた。そこが一番悪い。あとも、どれも代わり映えしない。「女性起用最多5人」が目玉と言いたいところだろうが、目玉になるような働きをするとは思えない。女性5人のうち初入閣した3人は、二世議員だ。復興相の土屋品子の父は、元参議院議員で埼玉県知事も務めた故・土屋義彦、少子化担当相の加藤鮎子の父は、官房長官や自民党の幹事長を務めた加藤紘一、地方創生相の自見花子の父は、自見庄三郎元郵政相である。しかも加藤と自見は、副大臣の経験なしで、いきなり大臣就任だ。これだと改造しないほうがよかった。 |
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やはり日本は、外圧でしか変われないのか、どうにもならないと思われていたことが、「外圧」により動かざるを得なくなった。ジャニーズ事務所の「性加害」問題、そして神宮外苑再開発による「樹木伐採」問題である |
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やはり日本は、外圧でしか変われないのか、どうにもならないと思われていたことが、「外圧」により動かざるを得なくなった。ジャニーズ事務所の「性加害」問題、そして神宮外苑再開発による「樹木伐採」問題である
◆〔特別情報1〕 やはり日本は、外圧でしか変われないのか、どうにもならないと思われていたことが、「外圧」により動かざるを得なくなった。 ひとつは、ジャニーズ事務所の「性加害」問題。国連「ビジネスと人権」作業部会の議長が7月24日〜8月4日の日程で来日した。「ビジネスと人権」作業部メンバーは、日本政府や企業が人権をめぐる義務や責任にどう取り組んでいるかを調査するなかで、ジャニーズ事務所の創設者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題についても関係者から聞き取りをおこなった。そして約1カ月後の9月7日、ジャニーズ事務所は約4時間にも及ぶ記者会見を開き、ジュリー氏は社長を退任し、新社長として所属タレントである東山紀之が就任した。ジャニーズ事務所の株式は継続してジュリー氏が所有するとしていることから、問題解決への道のりは遠いだろう。しかし、ジャニーズ事務所、業界、マスコミ等、これまでのような「見て見ふり」の黙認は続けられなくなったといえる。 そのジャニーズ事務所の会見の翌8日、もうひとつの「外圧」が日本に押し寄せてきた。明治神宮外苑の再開発について、ユネスコの諮問機関である「イコモス」が、事業者や東京都に対し、計画を撤回するよう求め、緊急要請「ヘリテージ・アラート」を出した。 神宮外苑の再開発について、上皇陛下の側近でMSA資金の最終承認者である吉備太秦に話を聞いた。 |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊) 第1章 受け継がれた政治家の血 ●自民党幹事長・田中角栄に面会を求めて一人で挨拶に行く |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊)
第1章 受け継がれた政治家の血 ●自民党幹事長・田中角栄に面会を求めて一人で挨拶に行く
政治家への道に踏み出したとき、小沢は、人世航路に決定的なインパクトを与えるもう一人の重要人物と巡り会った。言わずと知れた田中角栄その人である。 小沢は昭和四十四(一九六九)年四月、自民党幹事長の田中に面会を求めて、一人で挨拶に行った、田中は、笑顔を浮かべながら、迎えてくれた。そのうえ、 「選挙に勝つには、辻々で説法し、一人で三万軒を回る覚悟が必要だ。選挙区内の神社の百段が何段あるかも知っているくらいでないといけない。いいか、思い切ってやれ、必ず応援する」 と言って、力強い励ましの言葉を与えてくれたのである。田中流の選挙は、辻説法にはじまって辻説法に終わると説かれているほど、徹底した戸別訪問を原則としている。足に皿豆ができ、それがつぶれても歩き続けるのだ。 |
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[カテゴリ:『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊)] [コメント (0)] |
◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊) 第1章 受け継がれた政治家の血 ●亡父の遺志を受け継ぐ |
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◆『政権交代−小沢一郎最後の戦い』(2007年7月12日刊)
第1章 受け継がれた政治家の血
●亡父の遺志を受け継ぐ
小沢一郎は、「執拗さ」「しつこさ」を発揮して、これまで父の期待に懸命に何度も応えようとした。だが、それらをことごとく裏切ってしまった。小沢にとっては親不孝の極みである。「父の期待に応えられなかった」という悔いの念を抱き「この代償はどこかで埋め合わせしなければならない」と思い続けてきたのだろう。 ところが、小沢が司法試験に二度目の挑戦を目指して猛勉し、最後の仕上げにかかっていたその最中に、父は、体力の衰えから急に元気を失い、慈恵医大病院に入院した。だが、父の容体は、よくなることがなく、昭和四十三(一九六八)年五月八日未明、心不全のため六十九歳で他界してしまう。年齢的には、早い死だった。 |
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