《日本の政治》 対外的に極めて非民主的な『連合』の清算を | ||||
[日本の政治] | ||||
2021年12月19日 23時59分の記事 | ||||
日刊スポーツの政治コラム『政界地獄耳』で、以下のように、『連合』と立民について非常に良いことが書かれています。(尚、このコラムは掲載から3日ほどで消されてしまいますので、文末に全文を載せておきます) 「【政界地獄耳】天下の連合は堂々と理屈の根拠示せ、なぜそんなにえばるのか」(2021年12月18日 日刊スポーツ)
このコラムはまず、以下の部分から始まります。
まさに政界地獄耳の言うとおりでしょう。この文では特に「連合の力を借りなくても立憲は戦えるようにしてほしい」の部分が非常に重要なのです。 私から見たら立民は『連合』の下部組織でしかありません。ですから、『連合』の鶴の一声で、立民の主張は180度変わってしまう。 有権者が、同党や同党の議員が言っていることに同意して一票を投じても、あとから『連合』がそれは違うというと、まったく反対になってしまう。それが、先の総選挙で共産党と共闘し、その共闘した立民に有権者が票を投じていたのに、選挙後、『連合』の意向で一気にひっくり返ってしまうことに如実に現われているわけです。 はっきり言って、『連合』は立民に対して専制政治をしているに等しい。そして、その立民に主権者国民が票を投じても、『連合』の意向で立民の言動はあっさり変わり、主権者国民の意向は無視されてしまう。これ、明らかに非民主的です。わが国の民主主義の根幹に関わるレベルで、日本において最低レベルの非民主性でしょう。 わが国の立憲民主主義制度において国権の最高機関たる国会の議員に対して、私的機関にすぎない『連合』が専制政治を行なう。それはすなわち私的機関に過ぎない『連合』が、国民の代表たる国会議員を蹂躙し、民主主義を蹂躙していることになります。国民主権を完全に蹂躙している。それはとにかく、わが国の民主主義制度における根本的な問題であるのです。 同時に立民は、そのようなことを平然と許している。それが政界地獄耳の「連合の力を借りなくても立憲は戦えるようにしてほしい」という言葉に凝縮されているわけです。 立民は『連合』の声は聞くが、『国民の声』は聞かない。繰り返しになりますが、とにかく『国民の声』を聞かない。選挙で掲げたことに同意して主権者国民が票を投じても、専制の上部組織『連合』が違うと言えば、主張を180度変えて、国民の意向は完全に無視する。詐欺同然。それで『立憲民主』などと偉そうに言えるのでしょうか? だから、立憲民主党の略称として、彼らが望む『立憲』とは私は書かない。『民主』とも書かない。そんなことを書こうとも思わない。 『立憲主義』とは憲法や民主的な政治制度の確立などによって政治権力の専制化や恣意的支配を防止・抑制し、国民の権利・自由を保障することを言いますが、同党は、『連合』との関係で、立憲主義も、民主主義も言える立場ではない。『連合』の言いなりで、民主主義体制での主権者国民の意向を無視するわけですから、明らかに主権者国民に対して裏切り行為を働いています。 だから、私は『立民』と書いているのですが、その同党は、『連合』に対して毅然とした態度をとることなしに、立憲主義も、民主主義もそもそも言える立場にはないのです。 しかし、この政界地獄耳では、以下のように書かれています。
立民の議員で、政界地獄耳が『えばっている』と表現する連合会長のヨシノに「黙っていろ」と言える議員は一人もいないのです。一人もですよ。それでは、立民は『連合』の下部組織、下僕であって、主権者国民の代表ではないのです。だからこそ、同党が立憲主義をうたうことも、民主主義を言うこともすべて欺瞞に過ぎないのです。 立民の本質は、まず『連合』にいかに対するかにポイントがあるのです。 この政界地獄耳は永田町に長く関わる政治ジャーナリストが書いているものと思いますが、そのコラムにこのように書かれていると言うことは、立民が『連合』に何も言えず、その下部組織になっていることが、永田町では常識となっていることを厳然と示しているものと考えます。実は、この一文、日本の民主主義、立憲主義のあり方に根本的な問題定義をする非常に重要なモノなのです。 ◎ 日本の政治においてまったく非民主的な『連合』 『連合』の組織内がいかなるものかはしりません。民主的なのか、非民主的ななのか。ただ、もっとも重要なことは、日本の政治において『連合』が民主主義の原則を遵守しているか否かなのです。そうなると、上述の『連合』と立民の関係を見れば、当然、主権者国民に対してはまったくの『非民主的』でしかないのです。 『連合』は明らかに組織外に対しては専制的で、民主主義の原則を遵守していません。その専制を甘受して何も言わない立民も無論、民主主義を言える資格はまったくありません。本当に虫唾が走るほどヘタレな政党。 それにしても、この『連合』の新会長のヨシノにはまったく教養を感じないのは私だけなのでしょうか? このヨシノには、元都議で無免許運転常習者である木下や、へずまりゅうと同じものを常に感じますが、最近、このような無教養な人間が増えてきて、恥ずかしげもなく目立とうとすることは、非常に良くない傾向と考えます。そして、そういう無教養な人間に対して何も言えない、黙ってしまう日本人。だから、どんどん社会が悪くなるのです。 エドマンド・バークの以下の言葉を改めて思い出さなければなりません。
このヨシノが善良とはまったく思えません。そして、立民はこのヨシノに何もいえないのです。何もしないのです。こわくて、こわくて。ただ、それだけなのです。国民のために働くことを期待されている政治家なのに沈黙している。それでは政治家の資格はありません。この政界地獄耳の作者が国会議員のバッジをつけた方が明らかに良い。そういう意味では立民の国会議員なんて言うのは税金ドロボウに等しい。このままでは、そういう評価が定着するのも、そう時間を要しないでしょう。 この『連合』の新会長が共産党に言った『民主的』なことについての発言も、基本的に高校生レベルのものです。そもそも民主主義の根本を理解していません。民主主義、人権、立憲主義とは、まず国家権力との関係についてのものであって、一般的な組織内の体制ということは二の次、根本的なことではないのです。人権もまたそこに根本的なポイントがあるのです。 この『連合』新会長ヨシノはそのことをまったく理解していないから、上記のような共産党に対しての的外れな発言になる。しかし、一方で、上述のように立民や立民を支持する主権者国民に対して当たり前のように先制的なことをする。さらに、以下の記事のように権力(政権与党)にはべったりであるわけです。 「連合・芳野友子会長が自民党・麻生副総裁、茂木幹事長と会談 『自己紹介です』」(2021年12月8日 東スポ) このヨシノは、共産党を非民主的と批判するという意味不明なことをいう自分の見識のなさを棚に上げて、自分の非民主性についてはまったく気がついていない。はっきりいって、この『えばっているヨシノ』を、立憲主義と民主主義を言う『立憲民主党』が教育しなければならないでしょう。でも、政界事情にとても詳しい政界地獄耳では、そのヨシノに立憲民主の議員は何も言えないと言われているわけです。あの立民新代表の『イズミ』をみてください。イズミがヨシノに何か言えるとは到底思えません。肝が据わっていない。こういうのをタマがないというのでしょう。もちろん、そのタマとはあなたが思っているそのタマです。あ、それは玉木も一緒です。 「《日本の政治》 対外的に極めて非民主的な『連合』の清算を その2」(2021年12月21日)へ続く。 | ||||
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