金融問題における二つの視点 | |
[日本の政治] | |
2016年1月12日 23時49分の記事 | |
年初来、日経平均株価がノンストップで下がりつづけていることが報道されています。その中でこのような状況に対する様々な解説がなされていますが、どれも本質をとらえているというより、何かを守ろうとする思わくが潜んでいるように考えます。中国経済の先行き、北朝鮮の状況、原油安など実に多くの「要因」が語られ、それらは現実としてあるものですが、むしろ実相はそれらを持ち出すことによって、それらを持ち出した人々の利益や立場を守ろうとしているように見えます。現状、生じていることの本質はもっと別にあり、そして世界的な規模で生じていることと考えますから、理由付けされている要因のようにミクロのことが原因ではないでしょう。この変化の要因は、原油が下がり始めた時から既に始まっていて、原油下落はその変化の一現象にすぎません。ただ、こと経済のことですから、このような大きな流れの中で、弱まった日本の基盤・ファンダメンタルズは、日本を取り巻く環境の中では非常に大きなポイントになることは間違いないでしょう。
このような状況の中で、ポイントとなる視点が現状、二つあるものと考えます。 一つは日経平均など株価が下がる中で、「損失」というポイントです。これは株式市場での資金運用比率を上げたGPIF問題で顕著な論点です。これは間違いなく大きなポイントですが、それを単なる損失とだけ考えるべきなのかということが、もう一段深いポイントとしてあるものと考えます。 GPIF問題は、その巨額資金が株式市場に投入されている中での損失ですから、そのことの実相は損失と同時に明らかに富の移動です。つまりGPIFの巨額資金という富が、どこへ流れたかということがもう一つのポイントとしてあると考えます。通常、一般の人が株式市場で投資を行い、株価下落で損失をするということは、その投資された富が不特定な別の投資家などに移動したということになります。「自由」な市場では、このようなその時々の趨勢によってこのような富の移動がなされると考えられるものです。しかし、GPIFのように超巨大ファンドの場合は多少話が違ってくるでしょうし、以下の記事のように投資が影響力の行使という論点で言われ始めると事情は違ってきます。この記事のような話は投資において純粋に資産運用ではなく、明らかに「思わく」が生じることを意味し、それは富の移動も「神の見えざる手」ではなく、そこに関わるものの思わくでなされる可能性を生じさせます。つまり、その富の移動が、実は意図的に行われる可能性をも意味するわけです。こうなると巨額の損失は巨額の富の移動ということになり、巨大なインサイダーという不正の可能性を生じさせるわけですが、以下のような記事は、その可能性に現実感を持たせるには十分なものなのです。即刻、政権は、このようなポイントに対しては否定すべきでしょう。 「安倍官邸やりたい放題 国民の年金資金で企業にアメとムチ」(2016年12月4日 日刊ゲンダイ) FRBウォッチャーで有名なブルームバーグの山広恒夫さんは、2年以上前から、ダウの動きが1929年の時と同じ動きをしていると、ダウなどの株価大暴落を述べています。そのような予測がある中で、GPIFの株式運用へのシフトを行ったわけですから、明らかに無謀な政策であったわけです。私もこのような論点で様々な場でこの政策を批判してきましたし、このことは拙著『この国を縛り続ける金融・戦争・契約の正体』(2015年 ビジネス社)でも時流に対する読み方として触れています。 このような時流に対する中・長期的な認識からすると、むしろこのようなリスクがあることが前提でGPIFの運用比率変更の決断がなされた可能性があると考えます。そうではなく、そのような時流に対する読みができないということなら、決断したものは、即刻、能力がないので辞職すべきです。 山広さんが指摘したような状況では、普通なら株価は一度下がるのが確定的ですから、下がった後に株を買えば、利益が見込めますし、市場の活性化材料にもなります。一石二鳥の策であったのですが、しかし、実際は株価のピーク時に近い状況でGPIFの株式による運用比率が上げられていますので、明らかに損失を招きやすい状況であったわけです。だからこそ、このGPIFの運用比率変更の決断は、その時点から問題であったわけで、今の状況は完全に想定内であるわけです。 これは明らかに責任問題ですし、上記の富の移動を含めて考えれば、リスクが明らかなGPIF運用比率変更の決断は、非常に大きな問題がそこにある可能性を示唆しています。現政権は決断者ですから、これらの問題点に関してはまずクリアにすべきでしょう。 したがって、現状のGPIF損失問題は、間違いなく現政権がいう長期のポートフォリオの問題にはしてはいけないのです。それは明らかに責任逃れの議論でしかありません。ここでも安倍政権お得意の未来への論点すり替え、空手形の論理が使われているものと考えます。 時価会計 GPIF損失問題を、長期間における資産運用という責任逃れの議論を政権は展開していますが、実際、世の中は時価会計で常に大変な思いで経営をしているわけです。政府だけそのような責任逃れができる甘い環境や認識を持ち出して言い逃れはできないものと考えます。これがもう一つのポイントとなる視点です。 特にGPIF運用比率変更の決断に極めて大きな問題がありますので、時価会計で常にチェックしていく必要性は間違いなくあるものと考えます。そうでなければこの問題あるGPIFの決断に対していつまでも政権が責任をとることはないでしょう。しかし、もう既に決断した時から責任は間違いなく発生しているのです。兆単位の損失が生ずることですから、このことを厳重に見つめるのは当然のことと考えます。 | |
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