政治は商品を選ぶ(消費行動)と言うことではない | |
[日本の政治] | |
2016年7月23日 23時20分の記事 | |
今回の都知事選挙には良い候補者がいないという言葉が見られます。しかし、今までの都知事選挙で良い候補者がそもそもいたのかとも問いたくなります。過去2回の都知事選挙で選ばれた都知事はスキャンダルにまみれ、すさまじいバッシングを受け、世論調査では辞任が求められて、任期途中で辞職しています。結果から見れば、過去2回の都知事選挙ともろくな候補者が選ばれていなかったことは、火を見るより明らかなことです。 それでいて、今回もいないと言うわけです。恐らく、過去2回の選挙で舛添氏、猪瀬氏を選び、今回は良い候補者がいないと言っている人が確実にかなりの数、いると考えます。
ただ、そう感じても無理もないかもしれません。政治家といえども別に特別な人ではありません。普通の人間です。これは地方議員から首相に至るまで変わることがありません。今やテレビやネットで政治家の顔は大写しでだされますから、そのように映し出されると神秘のベールに包まれたカリスマ性というのはドンドン失われていきます。実際、政治家のそばで色々とみてきて、それらの人々が特別な人間とは私は思いません。特別に傲慢であるとは何度も感じたことはありますが、肩書きがあり、権力の座にあっても、それはその人間そのものではないのです。 だから、候補者や政治家にカリスマを感じられなくなっていくというのは時代の移り変わりなのだろうと考えます。むしろ、カリスマがある政治家などは逆にそこに嘘があるということを如実に物語っているものと考えます。それは、人々が「その嘘」を求めているのかもしれません。単に熱狂したいがために。しかし、その結末は、必ず悲惨な末路という精算をもたらします。この熱狂を求める心と都知事選挙で良い候補者がいないという言葉は同根です。どちらもエンターテイメント、パンとサーカス、消費性向が強い心が織りなす現象です。それは政治を、陳列棚に並ぶ商品を選ぶことと同じに考えている勘違いに過ぎません。だから、私の欲求に見合った商品(候補者)がないと叫ぶのです。 | |
このブログへのチップ 0pts. [チップとは] [このブログのチップを見る] [チップをあげる] |
このブログの評価 ★★★★★ [このブログの評価を見る] [この記事を評価する] |
◆この記事へのコメント | |
コメントはありません。 | |
◆この記事へのトラックバック | |
トラックバックはありません。 トラックバックURL https://kuruten.jp/blog/tb/katagiri/357090 |