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薩摩いろは歌 幕末編25 薩土盟約 (無料公開)
[【時代小説発掘】]
2013年12月22日 12時15分の記事


【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編25 薩土盟約
古賀宣子



(時代小説発掘というコーナーができた経緯)


梗概・薩土盟約
 「王政復古」という「大条理」を実現するために、幕府に建言して政権を返上させようとする後藤象二郎の構想に一旦は賛成した薩摩藩だったが・・。


作者プロフィール:
ひっそり年金暮らしの老夫婦。


これまでの作品:
薩摩いろは歌 幕末編1 口上
薩摩いろは歌 幕末編2 率兵上京に向けて
薩摩いろは歌 幕末編3 時に到りて涼しかるべし
薩摩いろは歌 幕末編4 久光入京
薩摩いろは歌 幕末編5 寺田屋事件 
薩摩いろは歌 幕末編6 舞台裏  
薩摩いろは歌 幕末編7 勅使東下
薩摩いろは歌 幕末編8 無明の酒
薩摩いろは歌 幕末編9 極密献策
薩摩いろは歌 幕末編10 外交初陣
薩摩いろは歌 幕末編11 中川宮朝彦親王
薩摩いろは歌 幕末編12 戦端
薩摩いろは歌 幕末編13 戦禍
薩摩いろは歌 幕末編14 八月十八日政変
薩摩いろは歌 幕末編15 生麦事件の総括
薩摩いろは歌 幕末編16 西郷召還
薩摩いろは歌 幕末編17 元治国是会議
薩摩いろは歌 幕末編18 長州藩処分問題
薩摩いろは歌 幕末編19 藩政改革
薩摩いろは歌 幕末編20 薩摩藩の周旋運動  
薩摩いろは歌 幕末編21 薩長盟約
薩摩いろは歌 幕末編22 有待庵             
薩摩いろは歌 幕末編23 将軍空位
薩摩いろは歌 幕末編24 四侯会議



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【時代小説発掘】
薩摩いろは歌 幕末編25 薩土盟約
古賀宣子



一 後藤象二郎

「久光公のご体調は、如何でございますか」
 怪訝な口調で徳三が一蔵を窺う。
「何か」
 久光に面謁することのない徳三が聞くからには、そのような噂でも立っているのか。だからといって、徳三の疑問は興味本位で発せられたものではないであろう。
「越前藩あたりから出ているのですが、これまでのような鋭さに翳りが、と」
「ああ、そのことだな」そう思ったが口にしなかった。
「脚気のごく軽い症状が出てのう。だが懸念には及ばない」
 足にしびれがあり、正座をしての、しかも根をつめた話し合いに堪えにくく、従来のように集中できなかったようだ。
「そいどん、久光公も齢五十一になられう。身体の衰えも否めぬ、だろうな」
「せっかく薩摩藩が牽引してきましたのに」
 久光が倒れては、これまでの努力が水泡に帰すと、言いたいのであろう。
「文久二年の率兵上京以来、薩摩藩が常に挙藩一致でやってきた意味は、こん点にあっとだ」
「この点に、とは」
「久光公のお考えは既に我等に沁み渡っておい、受け継がれつつあう、ちゅうこっだ」

  似たるこそ友としよけれ交わらば
            われにます人 おとなしき人


「日新公いろは歌だが」と一蔵は意味を語る。
 自分と同じ程度の人と友達になろうとするものであるが、なるべくならば自分よりも才能や学問などの優れた人で、思慮分別のある人を選ぶようにしなさい。
 郷中で教わったころは、その通りの意味に受けとめていたが、今は違う。この歌がいわんとするところは、受け継いでいくことの大切さではないか。一蔵はそう解釈している。「無論、まだ教わらねばならぬこたあ多いであろうが」
「なるほど。人の命には限りがあります」
「そういう意味では、我らとて同じだ」

 六月十六日、久光は二本松藩邸で、品川弥二郎と山県狂介を引見。
「幕府反正の目途も立たないので、今一際尽力の覚悟である。近いうちに西郷吉之助を山口に派遣するつもりであるゆえ」
 久光は六連発の短銃を自ら与え、先に山口に帰国して、長州藩首脳部に伝えるようにと依頼した。
 その後、両名は小松帯刀邸に招かれ、西郷・大久保・伊地知正治等と会談する。そこで二人から、今後の見込みを問われた小松帯刀は、次のように返答。
「薩摩藩の方針は朝廷守衛を専一として、“天勅”を奏請し」
 幕府年来の罪を正した上で朝廷の「御基本」を立てることを目標としていると語り、さらに・・。
「長州と薩摩両藩が“連合同心戮力”して“大義を天下に鳴ら”したいものである」と告げた。
 小松帯刀は、一蔵が在国の側役蓑田伝兵衛に宛てた書簡に記した「決策」の内容を語ったのである。
「幕府の罪を正すということは」と品川弥二郎が言葉をはさむ。
「将軍慶喜が謝罪するだけでは、なく・・」
「無論、それでは済まされぬ」
「将軍職にかかわる処置との解釈ですね」
「では、朝廷の御基本を立てる、とは」山県狂介だ。
「朝廷の政治、つまり朝議にかわって新しい政治の場の創設だ」
「それゆえ拙者が山口へ参るのは」と西郷吉之助があとをつなげる。
 薩摩藩の「決策」の実行を長州藩に伝え、軍事的な協力について相談することである、と。
 この時、薩摩藩在京首脳部が考えていたことは、勅命によって幕府の罪を正し、あわせて朝政の大改革を行うことを意図したもので、それを、武力を背景に行う、というものである。

 その翌日の十七日、偶然にも土佐藩邸では・・。
 土佐藩参政後藤象二郎が同藩重役の寺村左膳に説いていた。
「王政復古」という「大条理」を実現するために、幕府に建言して「政権ヲ解カシメ」ようと。
 後藤象二郎は四侯会議のため上京していた山内容堂に献策しようと、長崎から坂本龍馬とともに上京してきたのだ。しかし山内容堂は五月二十七日に京都を発っていた。
 六月十九日、寺村左膳は後藤象二郎の意見と構想を「書付」にまとめる。そして翌二十日、後藤象二郎が小松帯刀を訪問し、「書付」を提示して「大議」を謀った。
 この「書付」の内容は、幕府が政権を返上するべきだと説く「大条理」の趣旨を述べたものである。
 小松帯刀は後藤象二郎の論に同意する。
 その翌日の二十一日、土佐藩大監察の佐々木高行が京都探索の命を帯びて上京してきて、早速この日、後藤象二郎らと集会。「政権返上ノ建白ノ評決」がなされた。そして寺村左膳の「書付」にも手が加えられ、完成度の高い内容となる。
 これを「大条理旨主」と名付けておく。
 二十二日、後藤象二郎、福岡藤次、間部栄三郎、寺村左膳が薩摩藩の小松帯刀、西郷吉之助、大久保一蔵と会談した。ここに坂本龍馬と中岡慎太郎も同席。
 ここで「大条理旨主」が同席の者に提示され、後藤象二郎がその趣旨について話し、それをもとに議論がたたかわされた。なお、この席で、土佐藩が幕府へ提出する「建白」の内容も説明される。
 二十三日、在京土佐藩重役の会議で「昨日之議(薩土会談)を決」し「大政返上云々ノ建白ヲ修正」する。そしてこの修正された「建白書」草稿と「約定書」が、二十六日に西郷吉之助のもとに届けられた。
 翌日、久光は鹿児島の藩主茂久に、二十七日付の手紙を送る。
 そこに「約定書」と「大条理旨主」を同封し、次のように記した。
 此策断然相行れ候得は、実に皇国挽回之基本とも相成可申・・。
 久光は「約定書」の内容を点検したうえで、幕府に「政権返上」を要求することを骨子とした土佐藩との盟約に同意したのだ。
 なお土佐藩は、二十八日には芸州藩へも働きかける。在京芸州藩重役辻将曹らと佐々木、寺村らが会し、建白の件について話し合った。辻ら芸州藩の意見は「少々異論、尤モ大体ハ同意ナレ共、文字上等ナリ」というもので、賛成したという。
 七月一日、薩摩藩は土佐藩に「建白ノ趣旨、甚ダ御同意」と返答。
 後藤象二郎は最終的に薩摩藩の態度を確認して、七月四日、京都を発ち高知へ。
 そこで、山口へ向かうつもりだった西郷吉之助は、山県狂介、品川弥二郎に宛てた七月七日付の手紙を書き、村田新八に届けさせた。村田新八は十五日に山口着。
 西郷はこの手紙で、「約定書」と「大条理旨主」の写しを同封して、薩摩藩と土佐藩が盟約を結んだことを記している。そして後藤象二郎が藩論をまとめるため高知に帰国したため、後藤から報告があるまでは動き難いと告げ、続いて率直に明かされた胸の内が・・。
 土佐藩からの申し入れは「渡りに船」であった。
 薩摩藩の決策は、勅命によって幕府・将軍の罪を正すことを目指しているが、言うが易しくて容易ではない。一応文久三年政変を思い描いていたが、どのようにして勅命を出すのか等々、色々と困難をともなうとの覚悟があった。
 その時、在京土佐藩重役から、慶喜に将軍職の辞退を迫る案が持ち込まれたのである。 勅命方式をとるか、直接辞職を迫るか。方法は異なるが慶喜から将軍職を奪うことに関しては、年来の薩摩藩首脳部の考えと一致すること。
 また土佐藩側は、慶喜に辞職を迫るためには、十分な兵力の背景が必要であるとの考えで、後藤が藩論をまとめて再び上京する際には、相当数の藩兵を上京させる積りであること。
 いずれも薩摩藩にとっては、まさに望むところであったのである。


二 高知探索

 七月一日の晩、一蔵は茶室に徳三を呼んだ。
「土佐藩の探索を命ずる」
 一蔵は四日に後藤象二郎が京都を発ち、高知へ向かうことを話し、徳三に「大条理旨主」と「約定書」の写しを見せた。
「簡潔に申す」
 薩摩藩が同意したのは、どちらも第四条に書かれている内容であると。
「第四条ですね」
 徳三はまず「大条理旨主」を読み上げる。
「将職ニ居テ政柄ヲ執ル、是天地間アル可ラサルノ理也、宜ク侯列ニ帰シ、翼戴ヲ主トスヘシ」
「次に」と、「約定書」を手にとる。
「将軍職ヲ以テ、天下ノ万機ヲ掌握スルノ理ナシ、自今宜ク其職ヲ辞シテ、諸侯ノ列ニ帰順シ、政権ヲ朝廷ニ帰ス可キハ勿論ナリ」
「加えて第六条だが」
 一蔵が指さした個所を徳三が読む。
 朝廷ノ制度法則ハ、往昔ヨリノ律例アリトイヘトモ、当今ノ時務ニ参シ、或ハ当ラサル者アリ、宜ク其弊風ヲ一新改革シテ、地球上ニ愧(はじ)サルノ国本ヲ建ン
「この条項にも注意をと、いう意味ですね」
「実は」一蔵は声をさらに低める。
「もう一通、土佐藩が幕府へ提出すう建白書があっとだが、そや約定書と変らぬ」
 一蔵はそこで一旦言葉を切り、続けた。
「これらはどちらも、佐幕色の強い容堂公の了解を得ておらぬゆえ、骨抜きにされう可能性があう」
「そのために第六条を」
「朝廷の制度法則を一新改革すうちゅう主張には、将軍職の廃止が含まれておう」
「なるほど。将軍職は、天皇が勅を下し将軍宣下の儀式を必要としています」
「つまい、朝廷の職じゃぁ」
「廃止と明言していないだけのこと」
「慶喜に将軍職を辞退させ、次には将軍職を廃止すう」
「そこまで考えてのことですね」
「当然のこっながら、こん改革には天皇・公家の同意を必要とすう」
 もし反対されたなら、反対勢力排除へと向かう。
「朝政・朝廷改革は」
 文久二年以来、薩摩藩が一貫して主張してきたものであり、薩長盟約の精神・基本目標である。
 この「大条理旨主」と「約定書」の写しは、井上石見を通して岩倉具視へも渡っている。まだ岩倉具視は全面的な赦免にはなっていない。三月二十九日に、追放解除が達せられただけで、住居は洛外のままだ。月に一度一宿の帰宅が許されているだけである。
写しを読んだ岩倉具視が六月半ばに密かに有待庵へ訪ねてきた。第六条の主張に大きく関与したことは言うまでもない。が、一蔵はその点には触れなかった。
「第六条は、薩摩藩からの主張によって加えられた」
 徳三は大きく頷いた。
「もう一点」緊迫した空気がゆるまぬうちに続ける。
「これは表には出せぬ薩摩藩の見解だが」
「はい」徳三の視線がさらに引き締まる。
「薩長盟約を坂本龍馬が後藤象二郎に告げたのでは、と」
「土佐藩も乗り遅れるな、ということですか」 
「そや、それで良かとしても、土佐藩の動きには、牽引役に躍り出たいちゅう」
「功名心、ですな」
「目指すは神州挽回であう」
 その、つまらぬ功名心のため、あと一歩、いや半歩のところで、慶喜にうっちゃられては何もならぬ。
「慶喜がそう簡単に将軍辞退を受け入れうはずがなか」
 今までの経緯をなぞれば明白だ。甘い。だが、万が一、首尾よくいくならば、それに越したことはない。
「これが、薩摩藩の正直な見解だ」
「それゆえ、流れを見極める細心の注意が必要と」
「一方で、高崎猪太郎には、詳しか事情は告げず、在京土佐藩士らと親しゅ交われちゅう指示を出すつもいじゃぁ」
「表裏両面からの情報収集ですな」
 徳三の呑み込みは早い。
 徳三が京を発った半月後、ゆうが男児を出産。達熊と名付けた。一蔵にとっては四男となる。風が凪ぎ、いっとき水面が穏やかになったような時期の出産に、一蔵は親思いの子だと頬をゆるめた。


三 柏村数馬

 十日もすれば、藩論をまとめ、兵を率いて上京してくると言っていた後藤象二郎だったが、その気配もない。
 薩摩藩の懸念が濃厚になりつつあった八月十一日、長州藩直目付
柏村数馬と御堀耕助が入京。その目的は、先に小松帯刀から品川弥二郎らに告げられていた薩長軍事同盟構想(「連合同心戮力」)が、薩土盟約によって、薩摩藩の方針がどのようになるか、在京首脳部の意志と方針を確認するためである。
 十四日に二人は小松帯刀邸で、西郷と大久保を加えた三名と会談。
 先ず小松帯刀は、久光が上京して以来の朝議の模様や慶喜の行動を、説明。
「もはや、“人事口答”のみでは、長州藩の冤罪赦免の実現は難しい」
 そのように告げ、「兵力を以て、模様を付替え」れば、新たな手段も生じるかもしれない。が、現状では確かな見込みはないと話した。「ようするに状況を打開するためには、兵力に訴えるしか途がないと覚悟した」
 小松帯刀はそのように胸の内を告白した。
 そこで柏村は・・。
「兵力を動かした場合の“秘策”を考えておられるようだから、差し支えがなければ、帰国して藩主父子に伝えたいので教えて欲しい」
 それを受け、西郷が構想を打ち明ける。
「まず、京・大坂の薩摩藩藩邸に一〇〇〇人の藩兵がいる。その三分の一、すなわち約三三〇の兵で、京都守護職の会津邸を急襲する」
 西郷は京都市中の絵図を広げ、御所の西に位置した藩邸を指し、続いて御所の西、二条城北方を指し示して説明。
「残りの兵約三三〇で、幕府の拠点である屯所を焼き払う。これらは同時に行われる」
 ここで西郷は太い息を洩らし、大坂城下の絵図を開いた。
「次は大坂での行動だ。ここでは、鹿児島から三〇〇〇人の藩兵を派出し、大坂城を占拠すう。そして大坂港の幕府の軍艦を破砕すう。これは全体として、大坂の海陸を制圧すう作戦であう」
「すると、京・大坂で動員される兵は、約四〇〇〇、になりますね」
「薩摩藩の兵のみで、他藩の兵は加えておらぬ」
「関東の方は、いかがですか」
「江戸定府の約一〇〇〇の薩藩兵と水戸藩の浪士その他で、甲府城にたてこもり、江戸方面からの幕兵が京都反撃のために、中山道から繰り込むのを阻止すう」
「それは、京・大坂・江戸の順ですか」
「期を定め、三都一時に事を挙げる」
「主眼は京における行動ということですな」
 この京都における行動計画は、なにを意味するものなのか。
 これはまぎれもなく政変の計画である。「御所の守衛に繰り込む」というのは、薩藩兵で禁裏御所の六門を固めるということだ。
 そこへ正義の堂上が参内する。正義でない公家は入れない。正義の公家で天皇を囲み、朝議を行う。そこで長州藩赦免が決議される。さらには将軍慶喜にたいする処分、すなわち将軍職の剥奪や京都守護職松平容保の処分も。これらの処分も勅命で行う。
 まさに文久三年八月十八日政変の再現だ。
 三条実美が慶喜で、長州藩が会津藩なのだ。反対勢力ははっきりしており、しかも京都に滞在する諸藩の兵は、文久三年当時に比べてはるかに少数である。帰趨の判らない諸藩の兵は、少ない方が好都合なのだ。また文久政変の際とは違い、薩摩藩首脳部が京都に滞在しており、情報収集も十分で、諸藩の帰趨はおよそのところは掌握している。政変を決行する条件としては、今回の方がよいのは言うまでもない。
 ただし以上のことがらは、あくまでも計画段階で、いつ行うとも決めていない。機が熟し、準備が整い次第なのだ。
 西郷はいう。
「こん計画は不意に起さなくては失敗すう」
 だから薩摩藩でもこの計画は、久光、小松、大久保、西郷の四人だけが知っていると。 こうした機密の政変計画を長州藩に告げたことの意味は重要だ。
さらに西郷は続ける。
「薩摩藩がいま行おうとしているのは、討幕じゃなか。政変を決行すうだけで、そん後のこっについては決めておらん」
 また政変の後、将軍慶喜の出方次第では「討将軍」の綸旨を出すこともあり得る。この件については同志の公家と相談中である。
「会津邸急襲とは、具体的には」
「包囲し、武器没収を考えておう。装備の面では、薩摩藩の方が圧倒しておうゆえ」
 尚、と、西郷は口調を改めた。
「政変の決行までは、薩摩藩が責任をもって実行すう」
 ここまでの行動は、倒幕を目指した行動の一つではあるが、討幕行動ではない。討つためには、罪を明らかにして攻め討つとする勅命が必要となる。その勅命は万人が納得する正義の勅命でなくてはならず、非義の勅命であってはならない。討幕するか否かは、朝廷と諸侯の合議によって決めるべきものである。
 さらに国家の基本方針(国是)も早急に決議されるであろう。この点は「薩土盟約」でも謳われている。また幕府勢力の軍事的反撃があった場合は、薩摩藩だけではとても対抗できないのも自明のことであり、諸侯の支持・協力が必要とされる。
「それゆえ、政変後の明確な見通しについては、未だ」
 述べることはできないと西郷。
「しかし、ここまで具体的な構想をもちながら、何故、土佐藩と盟約を結んだのですか」「後藤象二郎が申すには」
 薩土盟約で詳しく検討したような内容の建白書を幕府に差し出しても、幕府は採用しないであろう。その場合は土佐藩も幕府と対決することを在京の土佐藩同志は確約した。また薩摩藩も土佐藩の建白の趣旨に賛成し、協力すると約束してくれたので、自分が帰国し、藩論を一定したい。十日もあれば上京し、万端について報告する。
「それゆえ、後藤の上京をまっているところである」
 そして最後に西郷は締めくくった。
「土佐藩の藩論がまとまらなかった場合は、薩摩藩だけで決行する」
 これに対して柏村は・・。
「容堂と宗城そして春嶽の意向だが」
 とくに春嶽・越前藩は親藩であるから、政変が起こった際に、幕府のために出兵することはないのかと訊いた。
 これらの問いに小松帯刀は答える。
「容堂は“天朝御危急”の際には、すぐに出京する意志であると伺っている。宗城も同様であることを家老松根図書より聞いている」
 春嶽には帰国の前日に小松が直接会って話をしている。
「春嶽は“天朝御危急”の際には“直ちに出京”するから御懸念のないようにと繰り返し、かつ幕府のために出兵することは決してないから“御気遣”ないようにと言っていた」 十八日、柏村は大坂に移り、十九日に大坂薩摩藩邸で、小松帯刀と大久保一蔵と面談。薩摩藩側は久光の帰国後藩主茂久が上京することが内決したことを告げる。それが政変の前か後かは未定だが、藩主が上京して責任をもつとの決意を表明したのだ。薩摩藩の方針をもって、柏村は八月二十四日に帰国した。


四 探索状

 後藤象二郎は七月八日に高知着。翌九日、藩主山内豊範と容堂に面会し、京都の状況や「建論之筋」を委細言上した模様。
 徳三からの第一便である。
 徳三が大坂を発ったのは七月二日。薩摩藩御用達田中正十郎の手代角兵衛の伝手を頼っての高知行きだ。
 豊範は「異存も無之」、容堂も「尤之至」との対応だったと。ただし乾退助は「少しく論有り、趣旨は薩摩ニ近し」と。
 早速、有待庵で小松、西郷と紙面を分析する。
「藩主父子が即座に同意したと・・」
疑う西郷に小松が奥を読む。
「出兵の件は話しておらぬ、な」
「それは、乾の論として伝えたのでは」
「あり得る」
「それゆえ、少しく論有り、か」
 乾は五月二十一日に、中岡慎太郎とともに、小松・西郷と京都で話し合った際に告げている。
「土州藩同志は、脱藩しても討幕の師に加わらんとの決意」と。
 乾が「勤王過激家」であり、坂本龍馬や中岡慎太郎と共に、土佐藩内では薩摩藩に近い人物である。が、この時はまだ薩摩藩在京首脳部の政変計画を知っていないし、話し合い自体も、私的なものであった。
 後藤はなかなか上京できないでいた。 
第二便では、理由として先ずイカルス号事件に触れている。
 後藤象二郎が高知に着いた同じ日の七月八日に、長崎でイギリスの軍艦イカルス号の水兵が殺害されるという事件が起きて、土佐藩の海援隊に嫌疑がかけられていた(犯人は福岡藩士)。そのためイギリス公使パークスが高知に出張してきており、後藤がその対応に当たっていたのだ。
 そういう事情はあったが、根本の理由は、やはり藩論が容易にまとまらなかったことである。
 八月三日、佐々木高行が高知に帰藩。乾から次のように聞かされる。大政奉還が行われたならば、即日将軍を関白にするなどと後藤が言っており、従って出兵のことも中止になったと。
 そこで後藤に会って問いただしたところ、容堂が以下のような意見であると告げられる。
 慶喜が政権を朝廷に返上すること自体は「天下ノ為」であると評価し、土佐藩の「大条理」には原則として賛成する。しかし、兵力を背景に脅迫的手段で、慶喜に迫るのは反対である。
 第三便は、藩主の親書が記されている。
 此頃猥ニ討幕ナトト相唱ル者モ有之哉ニ相聞、以之外之事ニ候、孰(いずれ)も我等之下知ヲ可相待事
親書が下ったのは二十三日。
「乾等急進論者の出兵論を、藩主の命で押さえつけるためであろう」
 西郷吉之助だ。
「思召之委細」
「同じ日に容堂から示されたものと、ある」
「方今天下之形勢此儘因循セハ、終ニ亡国之勢ニ至ベシ」
 小松帯刀が読み上げていく。
 因而ハ非常之大御英断を以御改革を急務トス、其第一ハ、日本ノ政令ハ日本帝王ヨリ出ヅベシ、外国交際ハ万国ノ公法ニヨルベシ、○兵食ヲ足シ、○学校ヲ起シ、○貴賎ヲ不論賢明ノ士ヲ登用スベシ
 これが土佐藩の「大趣意」であり、後藤象二郎と寺村左膳が「委任」され「書面等ハ取繕ヒ、上京之上、機ヲ見テ従事」することを命ぜられたようです。
 この「大趣意」は、後に大政奉還建白の根本精神として、また土佐藩側の修正した「大条理」意見として述べられるのだが。
さらに、第三便は綴る。
「兵隊ハ暫時御見合之思召」も明らかにされ、藩兵の上京はしないことに決まりました。「まず、気になることは」小松帯刀が指摘する。
 容堂の「大趣意」には、薩土盟約の「大条理」意見で主張された、将軍職廃止について、何一つ言及されていない点である。
「非常の大英断で改革し、日本の政令は日本帝王が出すと書かれているが、将軍職については曖昧だ」
「思った通り、骨抜きですな」
「大政奉還の建白を行う方針には変らぬが、その姿勢は大きく後退しておる」


五 削除された将軍職廃止

 九月三日、後藤象二郎と寺村左膳は、大坂の西郷吉之助の旅宿で面談。容堂の本文である「大趣意」と寺村左膳・後藤象二郎・福岡藤次・神山左多衛の四藩士連名の別紙が差出される。
 西郷が土佐藩の出兵の件を問うと、後藤は答えた。
「国元には用意しており、一報次第で発するつもりである」
 ついで二人が建白の件について話し合いたいと述べると、西郷は、それについては、京都で談合したいと返答。
 四日、「大趣意」と四藩士連名の別紙を持ち帰った西郷は、京都小松邸で大久保を交えて検討する。
「これは徳三が送ってきたのと同じである」
 小松が容堂の本文を脇へ置く。
「問題は別紙でして」
「薩土盟約の約定書を下敷きにしたものだな」
 ざっと目を通した一蔵がいう。
 三人は約定書と読み比べながら細かく確認していく。
 別紙第一条。天下の大政議定権は朝廷にあること。制度法則一切の万機は京都の議政所より出るとする。
「これはほとんど同一である」
「別紙第二条。議政所の構成だが」
約定書の第三条と基本的に同じとものとみてよい。
「ただし、約定書第二条にある議事院の建設・運営費用については、別紙では削除されておる」
「別紙第三条には約定書に見られぬ学校設立の条項がある」
 これは徳三が送ってきた容堂の「思召の委細」の主張を採用と三人はみた。
「別紙第四条は、外交・条約について述べており、約定書の第五条に該当する」
「やはり問題は約定書第四条である」
 将軍職の辞退とともに将軍職それ自体の廃止をも主張した条項は、土佐藩の主張である別紙のどこにも見出せない。薩土盟約の二大目標は王政復古と将軍職廃止にあったが、そのうちの一つである将軍職の廃止が削除されているのだ。
「これは土佐藩側の意図的な方針である」
「我等はあくまでも将軍職廃止を目指しておるゆえ」
 元治元年四月二十日に出された、「幕府へ一切御委任」と記された、いわゆる庶政委任の勅を、三人はなぞっている。「一切」が「政権」や「大政」の内容・実体を意味していたからである。
「仮に慶喜が大政を奉還したとしても、だ」
 庶政委任体制以前の状態にもどるだけである。
「慶喜が将軍でなくなるわけではない」
 問題は将軍職なのだ。慶喜が征夷大将軍であるかぎり、慶喜は武家の頭領としての権力を保持し、諸侯は慶喜の命令・統制に拘束される。
「幕府の力が弱ったとはいえ、まだ油断はできぬ」
「先の四侯会議をみよ。四侯は慶喜に翻弄され、朝議は慶喜の意のままであったではないか」
 ともあれ薩摩藩在京首脳部は、「政変」計画を保持したまま、土佐藩とともに「大条理」の精神にそって、まず慶喜に将軍職の辞職を迫る、という選択肢に変じたのである。
 そして七日、京都の小松帯刀邸に後藤が呼ばれ、西郷と大久保を加えた三名と会談。そこで西郷は以下のように述べる。
「・・大条理の建白については、前には同意し、貴兄の再上京を待っていたが、段々様子が変わってきた今となっては、所詮建白などにて事が運ぶとは思えない」
 だから、弊藩にては兵力をもって尽力致すつもりである。御返約の段は不都合の筋でもあるが、御同意下されたい。
 これを受けて後藤は言う。
「弊藩にては両君公決して挙兵の御趣意にこれ無く、建白書を以てどこまでも貫徹致すよう命ぜられている」
「お主自身はどうなのか」と西郷。
「自分も挙兵には同意できない」
 その後、話は平行線のままで終わる。
 実は一蔵らは「政変」計画のもとに動き出しており、単に後藤象二郎の上京を待っていたわけではなかった。
 久光の三男で重富郷領主島津備後珍彦が、二小隊の藩兵を率いて九月十七日に入京。これより先、八月中旬には藩兵二小隊を上京させている。派兵の目的は朝廷護衛である。西郷が柏村に告げた三〇〇〇人の藩兵派遣には足らないが、一部大坂滞在も含め京都の薩摩藩兵は一五〇〇となった。装備の面で勝っている薩摩藩は、これだけでも京都守護職会津藩と十分に対抗できる。
 久光は予定通り、九月十五日大坂を発ち、帰国した。代わりを島津珍彦が勤め、藩主茂久の上京を待つ体制が整う。
 つまり「政変」は藩主と久光の同意のもとに行われるものであり、大久保一蔵はそのことを伝えるために山口に向かった。

 







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