2021年12月13日 7時0分 |
◆『政権交代 小沢一郎 最後の戦い』(2007年7月12日刊) 資料 小沢一郎の足跡メモ(3) |
資料 小沢一郎の足跡メモ(3) ○平成十年(一九九八)一月六日、自由党を結成、小沢は党首に就任。当初、衆院議員四二名、参院議員十二名の計五十四名が参加。野党第一党の座を民主党に譲り渡す。 |
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2021年12月12日 7時0分 |
◆『政権交代 小沢一郎 最後の戦い』(2007年7月12日刊) 資料 小沢一郎の足跡メモ(2) |
資料 小沢一郎の足跡メモ(2) ○宮沢喜一改造内閣で羽田・小沢派の閣僚ポストは、経済企画庁長官(船田元)と科学技術庁長官(中島衛)の二つで冷遇。小渕派の梶山が自民党幹事長に就任、羽田・小沢派は反主流派に転落。小沢は「政治改革」を主張、自らを「改革派」と呼び、主流派に「守旧派」のレッテルを貼る。 |
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2021年12月11日 7時0分 |
◆『政権交代 小沢一郎 最後の戦い』(2007年7月12日刊) 資料 小沢一郎の足跡メモ(1) |
資料 小沢一郎の足跡メモ(1) ○昭和四十四年(一九六九)十二月二十九日、第三十ニ回総選挙(旧岩手二区・自由民主党公認)当選、ニ十七歳。この総選挙を党幹事長として指揮した田中角栄率いる「木曜クラブ(田中派)」に所属。 |
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2021年12月10日 7時0分 |
◆『政権交代 小沢一郎 最後の戦い』(2007年7月12日刊) おわりに―政権交代はなるか(3) |
おわりに―政権交代はなるか(3) 小沢一郎が、参議院議員選挙に勝ち、与野党が逆転という事態が起きると、政権は、まさに「死に体」となる。衆議院で予算案が成立しても、「形影伴う」関係にある予算関連法案が参議院で成立しなくなる。 |
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2021年12月9日 7時0分 |
◆『政権交代 小沢一郎 最後の戦い』(2007年7月12日刊) おわりに―政権交代はなるか(2) |
おわりに―政権交代はなるか(2) 「戦いは平押しでは勝てない」 これは、「戦(いくさ)」の鉄則であり、常道である。もっと詳しくは「戦勝の要は、要点に集中発揮せしむるにあり」(作戦要務令)という言い方で表される。勝つためには、決勝点にできるだけ大きな力を集中指向しなければならないのである。これを小沢一郎は、 |
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