くる天 |
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プロフィール |
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板垣英憲 さん |
板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 |
地域:埼玉県 |
性別:男性 |
ジャンル:ニュース 政治・経済 |
ブログの説明: 世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速報する。板垣英憲の過去著書も連載します。*定期購読月額1000円
板垣英憲マスコミ事務所
http://www.a-eiken.com |
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経営再建中の日本航空のCEOを受託した稲盛氏は「企業再生支援機構が立てている再生計画を着実に実行できれば、私は再生が可能だと思っている。中にいる社員の人達のためにお手伝いしたい」と決意を示した。 |
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経営再建中の日本航空のCEOを受託した稲盛氏は「企業再生支援機構が立てている再生計画を着実に実行できれば、私は再生が可能だと思っている。中にいる社員の人達のためにお手伝いしたい」と決意を示した。
●若手社員の話をじっくりと聞く ●経営者としての責任を自覚する ●世界行脚の苦労が実る
●日本航空会長兼CEO就任を受諾する 平成二二年(二〇一〇)一月二二日、鳩山由紀夫首相(当時)は、京セラの稲盛和夫名誉会長と会談し、経営再建中の日本航空の会長兼最高経営責任者(CEO)への就任を要請し、稲盛氏はこれを受諾した。鳩山首相は、京セラをベンチャー企業から世界的な企業グループに育て上げた経営手腕を高く評価。事実上倒産に追い込まれた日本航空の再建に大きな期待を寄せている。稲盛氏は「企業再生支援機構が立てている再生計画を着実に実行できれば、私は再生が可能だと思っている。中にいる社員の人達のためにお手伝いしたい」と決意を示した。鳩山首相との会談後、記者団に「年なので週三、四日の勤務でやらせてもらう。無給でやらせてもらう」と語っている。稲盛氏は、鳩山内閣の行政刷新会議のメンバーを務めてきたが、日本航空会長就任を受諾したのを機に辞任した。 大企業の実業家ながらも熱心な民主党支持者として知られており、民主党の小沢一郎幹事長とは新進党時代からの旧知の仲である。また、本社がある京都市を地盤とする前原誠司国土交通相の後援者会長を務めていた。小沢一郎が二〇○八年九月二一日に民主党代表として再選された際には来賓として挨拶も行っている。 |
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追悼・稲盛和夫は昭和34年4月1日、京都市中京区西ノ京原町の宮本電機の倉庫を借りて本社を構えた。社名は「京都セラミック」、 世界に通用する「京都」に特殊磁気の英訳「セラミック」を組み合わせた。 |
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追悼・稲盛和夫は昭和34年4月1日、京都市中京区西ノ京原町の宮本電機の倉庫を借りて本社を構えた。社名は「京都セラミック」、 世界に通用する「京都」に特殊磁気の英訳「セラミック」を組み合わせた。
◆誓詞血判、一致団結を誓う ◆「世界一」を目標とする ◆松下電子工業から大量発注を受ける
●松風工業を退社し、翌日結婚する 稲盛和夫は、敢然と独立を決意して、昭和三十三年(一九五八)十二月、松風工業を退社した。しかも、その翌日、特磁課という同じ職場にいた須永朝子とめでたく結婚したのである。簡素な結婚式を挙げて、別府と霧島に二泊の新婚旅行にでかけた。 朝子の父は、須永長春(本名・禹長春)といい、東大農業学科を卒業して植物の育種の研究で農学博士号を取得した学者だった。京都のタキイ種苗の農場長などを務め、戦後、実父の郷里・韓国に行き、疲弊していた農業の立て直しに尽力し、「韓国近代農業の父」と呼ばれていた。 朝子は、その四女である。和夫は後に、義父に会ったとき、分野こそ違え、同じ研究者として意気投合することになる。 |
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「いい技術や製品に対して見る目を持った人は、必ずいる」と語っていた稲盛会長は、小沢一郎の悲願である政権交代を支援した、真の政治家を見る目を持った「陰の主役」であった。 |
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「いい技術や製品に対して見る目を持った人は、必ずいる」と語っていた稲盛会長は、小沢一郎の悲願である政権交代を支援した、真の政治家を見る目を持った「陰の主役」であった。
2009年の民主党への政権交代で「陰の主役」といわれた京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫氏が、24日午前8時25分、老衰のため、京都市伏見区の自宅で亡くなった。財界主流が自民党を支えてきたなか、京セラの稲盛会長は唯一、民主党を支えた経済人だった。 稲盛氏が昭和34年に京都セラミックを創業するときのことを振り返り「いい技術や製品に対して見る目を持った人は、必ずいる」と語っていた。そして京セラを電子部品大手に育て上げ、真の超大物政治家・小沢一郎衆議院議員の悲願である政権交代を支援する立場となった。 立憲民主党の小沢一郎衆議院議員は、「稲盛和夫会長の訃報を受けて」と題し、次のようなメッセージを掲載した。 「稲盛会長は、早くから日本には政権交代可能な成熟した民主主義が必要であると認識され、民由合併と、その後の政権交代に強力なご支援をいただきました。 会長の先を見据える御見識と全てを包み込む人間力に、私自身どれほど助けられてきたか、わかりません。 会長がお元気なうちに、もう一度政権交代をして、何とか御恩返しができればと思っておりました。本当に残念でなりません。 心からご冥福をお祈り申し上げます。」小沢一郎(事務所)@ozawa_jimusho
筆者は、浦和法人会の会報誌「法人うらわ」での連載「誰でも知っている創業者のサクセスストーリー」において2009年11月号・2010年1月号・3月号に、稲盛和夫会長のサクセスストーリーをまとめており、稲盛会長のご冥福をお祈りし、その内容を以下、掲載させて頂く。 |
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山口組系右翼団体員に刺殺された旧民主党の故・石井紘基は、カルト宗教問題に深く取り組み、オウムがロシアに行く前に統一教会が進出し、いつの間にかオウム信者とすり替わっていたと記している。 |
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山口組系右翼団体員に刺殺された旧民主党の故・石井紘基は、カルト宗教問題に深く取り組み、オウムがロシアに行く前に統一教会が進出し、いつの間にかオウム信者とすり替わっていたと記している。
◆〔特別情報1〕 以前にも書いたことだが、統一教会の核となる中心メンバーは、早稲田大学を中心とした「革マル」だった。早稲田大学が中心だが、南は九州大学から北は東北大学と全国的な「革マル」のメンバーが、統一教会の「原理研」に入って、自分たちの身を守った。彼らは、人間としては非常に真面目で優秀な逸材だったといえる。まいでこそ、保守と統一教会の関係がクローズアップされているけれども、実は統一教会は保守も革新も関係なく、どこにでも入り込んでいった。実際、創価学会にも入り込んでいる。 歴史的には統一教会より創価学会のほうが古く、統一教会の信者を鼓舞するやり方は、創価学会と似ているところがある。初期の統一教会が日本に入って来て、1964年7月16日に宗教法人の認可を受け、そのとき初代会長になったのは元立正佼成会の久保木修己だったこともあって、初期の統一教会は、創価学会に対する批判が随所であった。その影響もあって60年代から70年代にかけて、創価学会から統一教会に信者が流れるケースが意外に多くあった。流れていったメンバーによって、創価学会の折伏(布教)や組織固めの手法が、統一教会にも取り入れられていったといえる。 |
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