2013年3月29日 0時0分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第9章 小泉首相 VS 低抗勢力の「最後の死闘」 ? |
第9章 小泉首相 VS 低抗勢力の「最後の死闘」 ? ●衆参両院ともに改憲派が三分の二以上を占める 総選挙の結果、自民党が二九六議席、公明党が三一議席を獲得し、自民・公明連立政権は定数の三分の二を上回る圧倒的勢力に支えられることになった。 勢力分野は、以下の通りである。 |
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[カテゴリ:◆『戦国自民党50年史』2005年12月15日刊] [コメント (0)] |
2013年3月28日 3時15分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第9章 小泉首相 VS 低抗勢力の「最後の死闘」 ? |
第9章 小泉首相 VS 低抗勢力の「最後の死闘」 ? ●郵政官僚に冷遇された小泉郵政相と「陰の郵政相」への怨念 背中に立派な「昇り龍」の彫物を背負っていた祖父・小泉又次郎は浜口雄幸内閣の逓信大臣を務めている。孫の小泉純一郎は、平成四(一九九二)年、宮沢内閣の郵政大臣に抜擢された。 |
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2013年3月27日 0時0分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第9章 小泉首相 VS 低抗勢力の「最後の死闘」 ? |
第9章 小泉首相 VS 低抗勢力の「最後の死闘」 ? ●小泉首相が平壌を二度訪問し金正日と首脳会談、日本人拉致被害者救出 小泉政権が誕生して九か月そこそこのとき、小泉首相は平成一四(二〇〇二)年一貝二〇日、外務大臣・田中眞紀子を突然、辞任させた。田中眞紀子が外務省の「機密費」の不明朗な使途を解明しようと熱心に取り組んでいたところ、外務官僚に低抗され、これがもとでトラブルが発生したためである。 |
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2013年3月26日 1時34分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第9章 小泉首相 VS 低抗勢力の「最後の死闘」? |
第9章 小泉首相 VS 低抗勢力の「最後の死闘」? ●橋本派・江藤・亀井派、旧河本派など「非主流派」がリベンジの機会を窺う 小泉政権の誕生で、一転して自民党主流派から「非主流派」に転落してしまった旧橋本派や江藤・亀井派、旧河本派などは、 「小泉首相のお手並み拝見」 としばらくは、静観の構えであった。総裁選挙の敗北により、元自民党幹事長・野中広務はもとより、元幹事長の古賀誠は、「A級戦犯」の烙印を押されながらも、 「いまは静かに謹慎していた方が得策」 と死んだフリを決め込んでいた。 |
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2013年3月25日 3時31分 |
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊) 第8章 小泉政権の誕生 ? |
第8章 小泉政権の誕生 ? ●小泉政権にとっての「最大の敵」は、「利権集団」 小泉首相が、「あらゆる低抗」を打ち破って改革しようとしていた対象の「正体」は、一口で言えば、「政・官・財・学の癒着」により「テトラ構造」で結びついた組織とそこに巣くう「利権集団」である。これこそが、日本の経済を停滞させている元凶そのものであり、小泉政権にとっての「最大の敵」であった。 |
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