2012年12月17日 2時23分 |
『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日刊) 第5章 日本最強「小沢親衛隊」の実力と戦闘力 ? |
第5章 日本最強「小沢親衛隊」の実力と戦闘力 「才能を釣り上げる名人」 「来る者は拒まず、去る者は追わず」 小沢一郎は懐の深い政治家である。青雲の志を抱いて門を叩く若者たちを快く受け入れ、私設秘書、昔風に言えば「書生」として手元に置いて薫陶する。なかには、日本大学法学部などで学ばせてもらい、卒業してからは小沢一郎の選挙区である岩手県水沢市で秘書として働き、県会議員に当選した者もいる。 |
[続きを読む] |
[カテゴリ:◆『小沢一郎総理大臣』2007年11月10日刊] [コメント (0)] |
2012年12月16日 2時58分 |
『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日刊) 第4章 血盟的同志づくりと脱落者 ? |
第4章 血盟的同志づくりと脱落者 ? 小沢は連立離脱を決断、党内の連立残留派が保守党を結成 しかし、公明党の連立参加は小沢に幸運をもたらすことにはならなかった。自由党の主張は次第に脇に追いやられるようになり、業を煮やした小沢はついに連立離脱を決断する。小沢一郎に近いグループは、平成十二年(二〇〇〇)三月、自自公連立政権からの離脱に傾いた。ところが、野田毅前幹事長、二階俊博運輸大臣らを中心としたグループは、連立継続を望んだ。 |
[続きを読む] |
[カテゴリ:◆『小沢一郎総理大臣』2007年11月10日刊] [コメント (0)] |
2012年12月15日 3時10分 |
『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日刊) 第4章 血盟的同志づくりと脱落者 ? |
第4章 血盟的同志づくりと脱落者 ? 細川護煕内閣で閣僚五人を輩出 八月九日、非自民・非共産八党派による細川護煕内閣が発足。これをもって長らく政権を握ってきた自民党の五五年体制がついに崩壊し、実に三十八年ぶりの政権交代が行われることになったのである。 その一翼を担った新生党は閣僚五人を輩出した。 |
[続きを読む] |
[カテゴリ:◆『小沢一郎総理大臣』2007年11月10日刊] [コメント (0)] |
2012年12月14日 5時20分 |
『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日刊) 第4章 血盟的同志づくりと脱落者 ? |
第4章 血盟的同志づくりと脱落者 ? 政治家の権力闘争と赤穂浪士の討ち入りに見る共通点 政治は権力闘争である。トップリーダーたる政治家は、志を立てて同志を統率し、選挙に勝利し、最大の目的である政権獲得という大願成就を果たさなくてはならない。 この一連の行動プロセスは、「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助以下四十七士の吉良邸討ち入りに共通している。 |
[続きを読む] |
[カテゴリ:◆『小沢一郎総理大臣』2007年11月10日刊] [コメント (0)] |
2012年12月13日 5時19分 |
『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日刊) 第3章 珠玉の「政権政策構想」を実現する ? |
第3章 珠玉の「政権政策構想」を実現する ? 小沢政権は小泉元政権の経済政策見直しから始める 小沢一郎が「積極財政派」の政策を導入していく前提として、まずは小泉政権時代に積み重ねた負の遺産を克服する必要がある。安倍政権は基本的に小泉構造改革路線を引き継いできたので、結局は小泉元首相の経済政策から見直しを迫られていた。平成四年(一九九二)秋から始まった「平成大不況」の間にボロボロになった日本経済を再生し、景気回復を図るための切り札として、小泉元首相は「構造改革」の断行に踏み切った。平成十三年(二〇〇一)五月七日、首相就任後初の所信表明演説を行い、改革に反対する党内外の抵抗勢力に対して宣戦布告を行った。「 私はこの内閣において、『聖域なき構造改革』に取り組みます。私は自らを律して一身を投げ出し、日本国総理大臣の職責を果たすべく、全力を尽くす覚悟であります」 |
[続きを読む] |
[カテゴリ:◆『小沢一郎総理大臣』2007年11月10日刊] [コメント (0)] |
前の5件 次の5件