2014年7月31日 5時51分 |
永遠のナンバー2『後藤田正晴 男の美学』 あとがき |
あとがき 平成五年十二月十六日、田中角栄元首相が、東京・信濃町の慶応病院で、肺炎などにより死去した。目白台の田中邸に大勢の政治家たちが、弔問に訪れ、そのなかに、後藤田正晴の姿もあった。記者たちに囲まれた後藤田は、 「今日の自分があるのは、あの人のお陰です」 と話していた。受けた恩義を忘れていないということである。 |
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2014年7月30日 6時22分 |
永遠のナンバー2『後藤田正晴 男の美学』 第11章 総理大臣を固辞する ? |
君たちは石原君の美談を聞いたかね 平成七年四月十五日、衆議院本会議で、地方分権推進法案の採決が行われた。村山連立政権が提案した地方分権推進法案は、平成七年五月十五日可決成立した。二月二十八日に国会に提出しスーピード審議の結果、四月十四日、衆議院本会議で全会一致で可決、参議院に送られて、五月十五日成立した。 |
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2014年7月29日 5時8分 |
永遠のナンバー2『後藤田正晴 男の美学』 第11章 総理大臣を固辞する ? |
大体、国民に対して失礼だ。絶対やらん 「村山内閣が潰れたら、次は、選挙管理内閣になる可能性があり、そのとき、ぼくは個人的には、後藤田氏を是非、首班にするべきだと思う」 山岸章・前連合会長は、有力な後藤田総理大臣待望論者の一人として、後藤田に熱いエールを送っている。 |
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2014年7月28日 0時0分 |
永遠のナンバー2『後藤田正晴 男の美学』 第11章 総理大臣を固辞する ? |
第11章 総理大臣を固辞する 後藤田正晴は、竹下内閣の下で、自民党選挙制度調査会長のポストについて、「選挙」の角度から、自治・警察ににらみを効かせ続けた。武村正義は、自民党時代、政治改革本部の本部長代理だった後藤田の下で、事務局長を務めた。内務・自治・警察族のドンである後藤田を敬服し、尊敬していたのである。 |
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2014年7月27日 0時0分 |
永遠のナンバー2『後藤田正晴 男の美学』 第10章 ハト派 |
第10章 ハト派 戦争は悪である。そんなものは絶対繰り返しちゃいかん 議論は、国際貢献問題にも広がり、後藤田は、「戦争は悪である。そんなものは絶対繰り返しちゃいかん。中曽根内閣のときもそれを強く説いた。海部内閣のときに起きた湾岸戦争の最中、掃海艇の派遣にも反対した。私は身をもって戦争はやっちゃいかんと思っている」 |
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