政治哲学と危機感がない | |
[日本の政治] | |
2016年7月3日 23時53分の記事 | |
政治というのはバランスが何よりも大事です。急進的、革命的な動きは必ず社会に大きな矛盾や問題を引き起こします。徳川家康が遺訓として以下の言葉を残しています。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。 不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。 おのれを責めて人をせむるな。 及ばざるは過ぎたるよりまされり。 この言葉は人生における教訓ですが、政治においてもまた意味をなすものです。 現在の政権を見ていると、まさにこの反対を地で行っている典型例です。このような政治に将来、何か国民にとって良きことがなされることはないでしょう。現政権から国民を愛おしみ、大切にする情は、なぜか全く感じません。そこには急進的な目標があるだけで、現実は無視されています。理念が現実に勝る非常に危うい政治で、これは左翼革命と同じで、恐らく多くの問題を今後、残すでしょう。 議会制民主主義の制度を採用しているわが国は、議会で多数をとった勢力が与党として政治を動かします。野党にはその権力・権限はありません。したがって、政治においてバランスをとり、国の行く末に大きな問題を起こすと考えられるものに対しては、当然、批判をします。むしろ、批判をすることがまさに国民のため、政治のため、国のために要請された野党の仕事であり、責任です。この責任を果たすことができないのなら、それは野党は存在価値を失い、何の意味も持ちませんが、むしろ政治においては害悪だけをもたらす存在となるでしょう。だから、与党に対しては今日も批判し、明日も批判し、明後日も批判することが求められています。そのような批判精神から政治において新たな展望が開けてくるのです。そして、このことへの唯一の条件は、国民のためにしっかりとした批判を行うと言うことでだけです。政治の目的は平和と国民の安寧の実現しかありません。そのことに反することが政治で行われているのなら、批判することは止めてはなりません。政治の目的は平和と国民の安寧の実現ですから、そのことのみを考えて行動するしかなのです。そして、これが政治家として志をもった人間に課せられた唯一の使命なのです。 眼を経済に転じれば、大手デパートの6月の売上高が軒並み減収となっています。中国の爆買いが下火になってきたのでしょうが、そもそも日本人の消費が低迷して、一向に回復しないことが明らかに問題です。このことは本ブログで何度も指摘してきました。 アベノミクスとして華々しく打たれた政策は効果を発揮していません。これは金融緩和、積極財政と需要を喚起させる政策を行う一方で、その反対の新自由主義的政策を行い、労働環境を悪化させたまま、税制や社会福祉の政策面で全体を見た政策が打てていないことに大きな原因があります。まさに安倍政権が政策を総合的に考えていない悪しきツケがここにきて如術に現象として現れてきているものと考えます。そして、需要を喚起する政策も的を外しています。だからこそ、現状があるのです。 国民の財産であるGPIFでは巨大な損失が生じていると考えられますし、日本企業の低迷のニュースが次から次へと報じられます。明らかに国力が衰退していると考えますが、そのことへの政権の認識、政策への失敗の認識は皆無で、いまだに政策は成功したと言い、一方で力がない野党を攻撃するしかしていません。まさに勝つことのみを夢想しているのですが、これでは、政治や経済がおかしくなり、国が抱える矛盾が日増しに増大していくのは当然のことでしょう。 | |
このブログへのチップ 0pts. [チップとは] [このブログのチップを見る] [チップをあげる] |
このブログの評価 ★★★★★ [このブログの評価を見る] [この記事を評価する] |
◆この記事へのコメント | |
コメントはありません。 | |
◆この記事へのトラックバック | |
トラックバックはありません。 トラックバックURL https://kuruten.jp/blog/tb/katagiri/355953 |