2013年12月12日 2時32分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第6章 族議員化と利権の確率 |
第6章 族議員化と利権の確率 純粋な「権カ官庁」だった 建設・不動産業界を監督し、公共事業を発注する建設省や、海運・港湾建設業界を掌握している運輸省広く産業界を指導、育成している通産省、高度情報産業界に権限を持つ郵政省、製薬業界にかかわる許認可権限を発揮している厚生省などが「利権官庁」と呼ばれてきたのに対して、自治省とともに警察庁は、とくに利権官庁とは呼ばれてこなかった。 |
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2013年12月11日 3時18分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第5章 日本の名誉挽回を図る ? |
奥野誠亮に同感する内務官僚OBたち 戦後五十年を迎えて、社会党が中心になって提案した国会での「不戦決議」に対して、奥野誠亮は、反対の立場を鮮明にした。これに対して、内務官僚OBたちのほとんどが、賛成していた。奥野誠亮の不戦決議反対について、どう思うか。 |
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2013年12月10日 2時25分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第5章 日本の名誉挽回を図る ? |
第5章 日本の名誉挽回を図る ? 奥野誠亮の気骨 奥野誠亮は、奈良県御所市の素封家に生まれた。昭和十三(一九三八)年、東大法学部を卒業して内務省に入った。地方局事務官を振りだしに鹿児島県警の特高課長などを経て、戦後は地方財政委員会事務局企画室長、自治省税務局長、財政局長に就き、昭和三十八(一九六三)年に自治事務次官に昇りつめた。その翌年の総選挙で奈良全県区から初出馬して当選して以来、衆議院議員生活を送っている。 |
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2013年12月9日 3時15分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第4章 内務省復活の原動力「内友会」の実力 ? |
選挙に精通した森清 愛媛二区選出だった森清(当時福田派)は、昭和二十三(一九四八)年に東大法学部を卒業して、自治省に入った。 地方財政委員会事篶勤務を経て長崎県庶務課長、岡山県企画部長、自治省振興課長、公務員課長、行政課長、総務課長、官房長心得、大臣官房審議官などを歴任した。昭和四十七(一九七二)年九月に消防大学校長に就任したが、わずか四十日で退任して、この年の総選挙に出馬した。しかし、このときは準備不足で次点にとどまった。 |
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2013年12月8日 0時0分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第4章 内務省復活の原動力「内友会」の実力 ? |
第4章 内務省復活の原動力「内友会」の実力 内務官僚が中曾根政権樹立に結集 内務省系出身の国会議員で組織している「内友会」(会員四十六人)という集まりがある。内務省出身の国会議員の親睦会のようなものである。内友会のメンバーは当然、大霞会のメンバーでもある。 |
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