2013年12月7日 1時24分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第3章 内務省復活への挑戦と挫折 ? |
知事のポストを押さえる 自治官僚たちは見方によると、すでに地方行政のほとんどを"制圧"していると評されている。そこで、自治官僚たちがいかに地方の行政を支配し、コントロールしているかを探ってみよう。 内務省の復活が遠くなった状況のなかで、内務省の嫡流意識が持っている自治省官僚たちは、じわじわと都道府県に対する支配力を強めていった。これは、内務省がバラバラにされたままだったので、元の姿に戻ろうとする官僚の本能とも言える内在的な動きであった。 |
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2013年12月6日 2時40分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第3章 内務省復活への挑戦と挫折 ? |
自治庁の省への昇格 その後、自治庁の省への昇格構想が浮上し、岸内閣は昭和三十五(一九六〇)年三月十一日の閣議で自治省設置法案を決め、国会に提出した。この法案は国会で成立し、この年の七月一日、自治省が設置された。 初代の自治相には石原幹市郎が就任している。 |
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2013年12月5日 1時39分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第3章 内務省復活への挑戦と挫折 ? |
第3章 内務省復活への挑戦と挫折 「いつの日か必ず」の悲願を持ち続ける人たち 「内務省」という名の役所はなくなり、散り散りにされたとはいえ、内務官僚は生き残っていた。内務官僚たちは、「いつの日か必ず元の姿に戻りたい」という悲願を持ち続けていた。元の姿とは、地方行政・警察・厚生・労働の総元締としての完全な姿であり、それは、内務省への復活の願望である。 |
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2013年12月4日 4時22分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第2章 戦争責任と内務省の解体 |
第2章 戦争責任と内務省の解体 第二次世界大戦と内務省 内務省から派生した厚生省は戦時体制下、もっぱら戦力向上のための体位増進や軍需労働力の確保、動員、配置の仕事が中心となった。労働行政は、終戦後の昭和二十二年(一九四七)年九月一日新設の労働省に譲り、厚生省は社会保障、医療などに関する行政機関となる。 |
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2013年12月3日 3時10分 |
『内務省が復活する日』1995年10月25日刊 第1章 内政の総元締としての内務省 ? |
警保局から生まれた恐怖の特別高等警察 警察権は、明治初期には兵部省、刑部省、弾正台が分掌していた。明治四(一八七一)年十月、政府は東京府下に遷卒三千人を置いたが、各府県の警察制度は多様だった。 警察行政面では、明治五(一八七二)年に司法省警保寮が設置され、明治六(一八七三)年に新設された内務省に移管された。 |
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