2019年5月2日 8時21分 |
◆『野村総研』(1988年2月20日刊)―第三章 三菱総研から見た野村総研の評価―研究者の論理、企業の論理 |
研究者の論理、企業の論理 ところで、生き甲斐を含めて、存在そのものや、研究者あるいはシングータンクの中立性確保について自問し続けている研究者の論理と、営利追求を最大目標としている企業の論理との激しいぶつかり合いの問題について、三井銀行の斉藤章二調査部長は、次のように説明している。 |
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2019年5月1日 7時27分 |
◆『野村総研』(1988年2月20日刊)―第三章 三菱総研から見た野村総研の評価―野村総研と対応を異にする三菱総研の政策研究 |
野村総研と対応を異にする三菱総研の政策研究 シングータンクとしての機能と役割を、政府をはじめ地方自治体や民間企業など広く国民に期待されていながら、皮肉なことに民間シングータンクであるが故に、その機能と役割という面で、非常に困難な状態に置かれているのが、国の政治に直接係わりを持つ政策研究である。 |
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2019年4月29日 0時0分 |
◆『野村総研』(1988年2月20日刊)―第三章 三菱総研から見た野村総研の評価―「営利追求型」に再編成される野村総研の研究活動 |
「営利追求型」に再編成される野村総研の研究活動 ところで、野村総研の内部では、とくに研究員たちの間では、今回の野村コンピュータシステムとの合併によって、親会社である野村証券本体のためにストレートに貢献しなくてはならないような研究体制が敷かれ、研究者たちの日常の調査・研究活動がますます「営利追求型」に再編成され、きつくなってくるのではないかという危惧と恐れを抱く人が増えている。これを三菱総研サイドでは、どのように見ているのだろうか。 ※(昨日の投稿では、以下からの文章の途中で、誤った頁ものを掲載してししまいました。誠に申し訳ございませんでした。本日、正しい内容に変更して掲載いたしましたので、あらためてお読み頂きたくお願い申し上げます) |
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2019年4月28日 7時29分 |
◆『野村総研』(1988年2月20日刊)―第三章 三菱総研から見た野村総研の評価―世界の最高水準に達した日本の調査・研究技術 |
世界の最高水準に達した日本の調査・研究技術 企業が競って総合研究所を設立させていった時代背景を受けて、政府もシングータンクの機能や社会的役割について認識を高めてきた。それが、昭和四十六年に総合研究開発機構(NIRA)を東京・新宿に設置するという形で結実した。 |
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2019年4月26日 6時11分 |
◆『野村総研』(1988年2月20日刊)―第三章 三菱総研から見た野村総研の評価―野村、三菱両総研のモデルとなった満鉄調査部 |
野村、三菱両総研のモデルとなった満鉄調査部 第一次ブームのときに、野村総研がモデルにしたのが、旧南満州鉄道株式会社(略称、満鉄)の調査部だった。 満鉄は、明治三十九年(一九〇六年)に設立され、初代総裁に後藤新平が就任した。昭和二十年(一九四五年)敗戦によって崩壊するまでの足かけ四十年、巨大な植民地会社として中国の東北地方に君臨し、ここを拠点に中国大陸に大きく翼を伸ばして、日本の大陸政策の中心点を形成した。 |
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